retifの都市探検日記(高層ビル編)

東京の街並みなどを報告します

小田急線本厚木駅北口(リヴァージュ21)

2007-10-31 06:20:29 | Weblog
だんだん本厚木駅に近付くと住宅も増えてきてほっとする。
特に駅南口からまっすぐ南へ伸びている道はいい感じだ。
静かな住宅地、という雰囲気なのだ。
北口に出ると繁華街が広がる。南口とは対照的だ。
駅前はごく新しいお店や商業ビルが並んで賑やかだが、もっと北へ歩いて行くと、昔ながらの店が軒を連ねている。
江戸時代のころ、大山街道の厚木宿があったのだが、現在の本厚木駅から北東側になる。町名が、厚木町と呼ばれるところだ。その場所には、厚木神社もある。
例に漏れず、やはり昔の厚木の町からははずれたところに現在の厚木の街はあるようだ。
厚木の街の北側を東西に伸びる通りに出て東へ。
相模川に架かる橋のたもとにリヴァージュ21がある。
この高層住宅もバブル崩壊の頃に建っている。
交通の要衝、ということでバブルの頃に注目を集めたのかもしれない。
といっても駅の北口に比べれば、現在、こちらはずいぶんと静かな感じがする。
いつしか街外れになり、さびれ、バブルの頃に再開発された、ということかな。
しかし、バブルも崩壊し、結局、夢の跡だ。
賑やかなのは駅北口だけ。
どこも似たようなおしゃれなお店が並んでいる。ショッピングモールかショッピングセンターみたいだ。
江戸時代の厚木宿があったあたりも、歴史テーマパーク、街の中のミュージアム、という形でしか生き残れないだろうなあ。
もっとも、歴史テーマパークがあるからこそ、似たようなショッピングセンターだらけ、という中にあって街の個性が残るのだろうけど。
(2007年5月記)

小田急線本厚木駅南口(厚木アクストメインタワー)

2007-10-30 06:20:11 | Weblog
てくてくと歩き伊勢原駅に戻る。
バスにしようかと思ったが、こういうところはクルマ社会なので、たいてい、バスも便数が少ないのだ。(確かめていないけど)
再び、小田急線に乗る。まわりは完全に農村なのに、鉄道路線だけ通勤電車というのも妙だが、助かる。
本厚木駅で降りる。
北口はちょっとした繁華街だが、南口は静かな住宅街になっている。
南口へ出て、まっすぐ南へ伸びる道へ。
両側には住宅地が広がっている。
突き当たったところで西へ。そしてまた南へ。南を目指してひたすら歩く。
もう住宅も点在するぐらい。畑と空地と工場が広がる。
やがて厚木インターチェンジ。交通量の多い129号線も通っている。もう完全なクルマ社会だ。
そして、いたるところラブホテルだらけ。
そんな中、厚木インターチェンジのすぐ近く、東名高速道路の南側に厚木アクストメインタワーがある。
まわりは更地も多く、がらんとしている。これはバスを期待しなくてよかった。
なにか商業施設があったり、高層住宅があったりするような、独立した街にはなっていない。
ひたすら何もなくて、その中に記念碑みたいにビルが建っているだけなのだ。
都心とは東名高速道路で直結している、ただそれだけの高層ビルのようである。
バブルが崩壊した頃に建っているので、バブルの遺産なのだろうけど。
見渡す限り、クルマと交通量の多い道路。更地と荒地と工場。
点在する住宅地。そしてやたらとたくさんあるラブホテル。
まさに、バブルの記念碑としてはふさわしいのかもしれないな。
すぐに本厚木駅を目指して歩く。
(2007年5月記)

小田急線伊勢原駅北口(東海大学医学部付属病院)

2007-10-29 05:47:44 | Weblog
中央線から武蔵野線へ。府中本町で南武線。登戸で小田急線に乗り換える。
新百合ヶ丘のある多摩丘陵を過ぎ、町田、相模大野を過ぎ、海老名、厚木を過ぎる。
伊勢原駅で降りる。
目の前に、のどかで牧歌的な農村地帯がどこまでも広がる。
そんな中、東海大学医学部付属病院がある。
まわりには何もないので、遠くからでもよく見える。
なんかまるで、チベット仏教のポタラ宮を思わせる。
なんでこんなところに、こんな巨大な建造物があるのだろうかと、不思議に思うよりも先にただ呆然と見とれてしまうなあ。
近くに小田急線もあるし、246号線もあるし、東名高速道路からは小田原厚木道路が伸びているし、ということで交通の便がいいので、建ててしまったのだろう。
高度成長期の終わりごろにこの辺鄙な農村地帯に東海大学の病院ができたらしい。
その後、最近になって、この巨大な病棟が完成している。
都心集積化の時代になって、郊外の大学のキャンパスに高層のキャンパス棟が建つのと同じ流れだろうか。
もっともキャンパスはたいてい敷地も広いので、そこに巨大な建造物があっても納得できてしまうのだが、東海大学医学部付属病院の場合、いきなり、まったくまわりの環境とはそぐわないほどに巨大なのだが、忽然と建っているのだ。
何百年もしたら、巨大な遺跡建造物として、果樹園の向こうにたたずむ歴史遺産として、伊勢原の土地に溶け込んでいるのかもしれない。
その前にすでに東名高速道路からや小田急線からは目印の一つにはなっていることだろう。
(2007年5月記)

東京駅西口大手町(大手町合同庁舎跡地再開発工事)

2007-10-28 09:41:35 | Weblog
木場駅から東西線に乗る。大手町駅で降りる。
地下鉄の駅から地上に出ると永代通りとなる。
東京駅の北西側、大手町の高層オフィスビル街へ向かう。
北西端、首都高速都心環状線の南側は役所が建ち並ぶ一帯になっている。
その南側部分で大手町合同庁舎跡地再開発工事が行われている。
通りを挟んで南側には、三井物産ビルがあり、南東側には、KDDI大手町ビルがある。
もとは、大手町合同庁舎第1号館、2号館があったようだ。つまり、オフィス街というような感じではなかったのだが。
いつの間にか、大手町の高層ビル街が北側に拡大した、ということだろう。
同時に丸の内、大手町の旧来のビル街も建て替えが進行している。
都心部への集積化が続いているのだ。
かなり昔のことだが、たしか、以前ここにあった、大手町合同庁舎第1号館、2号館と北側の大手町合同庁舎第3号館の間は通れるようになっていたと思う。(今でもそうかもしれない。あるいは工事中で通れないかもしれない)
季節は秋だったかもしれない。気象庁の前を通っていると、この大手町合同庁舎第1号館、2号館と北側の大手町合同庁舎第3号館の間の抜け道がなんだか賑やかな感じになっていた。
その賑やかさに誘われるように、その抜け道を進んでいくと、果たして、お祭りのような屋台が両側にずらりと並んでいたのだ。
お役所でも学園祭みたいなことをやるのだろうか。やきそばを買いつつ、そんなことをふと思ったが、ごく普通の光景のような気がして、そのときは詮索はしなかったけど。
あるいは、どこかの団体が敷地だけ借りて、そのようなお祭りをやっていたのかもしれない。
でも、普段は役所に勤めている公務員が、このような日には、屋台でやきそばを焼いている、なんて考えた方が楽しいではないか。
そんな場所も、高層ビルが建ち並ぶと、屋台でやきそば、なんてもうないだろうなあ。
少し寂しい気もする。
(2007年5月記)

東西線木場駅南口(深川ギャザリアタワー)

2007-10-27 06:21:37 | Weblog
有明一丁目計画の工事現場の近くのバス停で都営バスに乗る。
途中で、ひょっとしたら豊州で別の都営バスに乗り継いだかもしれないが。
東西線木場駅前で都営バスを降りる。
たぶん有明一丁目あたりから木場駅まで直通する都営バスはないので豊州で乗換えたのだろう。
三ツ目通りを南へ。首都高速深川線の高架が上を通っているので昼でも薄暗い感じだ。
三ツ目通りの西側に深川ギャザリアタワーがある。
S棟とN棟からなるツインビルだ。N棟の方が最近できたばかりだ(工事中はこちら)。
木場は、江戸時代からの貯木場である。今はもっと南側の新木場に移っている。
高度成長の頃、埋立てが沖合いに進んだことにもよるが、工場や倉庫街がいらなくなったことも大きい。
そしてバブルの頃、貯木場は埋め立てられ、木場公園になっている。
さらに勢いにのって東京都現代美術館まで建ててしまっている。
中央には東西に仙台堀川が流れ、その上に木場公園大橋が架かる、というなんだか贅沢な公園になっている。
本当は、オフィスビルなども建ったかもしれない。以前、見た予想図にはそうなっていたように思う。
しかしバブルが崩壊して、公園と美術館だけにとどまった。
ある意味ではバブルの置き土産、といった感じだろうか。
そして、最近になって、東西線木場駅の少し離れるが、南側の工場跡地にショッピングセンターと一体となったツインの高層ビル、深川ギャザリアが完成する。
最近、あちこちで建てられている、駅前の拠点再開発なのだろう。
華やかなこの一帯だけが、カプセルのようになっている。
すぐ東側には首都高速深川線の高架があるし、こういう土地の利用法しかなかったのだろうなあ。
(2007年5月記)

ゆりかもめ有明テニスの森(有明一丁目計画)

2007-10-26 06:22:29 | Weblog
荒れ野が広がる道を北東方向に歩いて行くと、最近出来た高層住宅、ガレリアグランデがあり、さらにその北東側に有明一丁目計画の工事現場がある。
こちらも本当にまわりに何もないなあ。
ちょっとした買物がある場合、どうしているんだろうか。
まさか全部、コンビニで済ませているとは思えないし。また、それほどコンビニが混んでいるようにも見えないし。
どこかの別荘地だかリゾート地に行って、どこにも買物をするお店がないなあ、という妙な優越感を持ったりする場合があるけど、それと同じなのだろうか。
ただ、有明テニスの森あたりと比べれば、ちょっと東側に団地なども見え、生活感が少しは感じられ、ほっとする。
もっとも近くを通る晴海通りの上を首都高速晴海線が通る予定で工事中となっている。
普通の住宅地には見られない光景だ。
南側の高速湾岸線とのジャンクションはもうかなり工事が進んでいるようだ。
こういう光景を見ると住宅地には見えないが、だからこそ高層住宅が建っているのかもしれない。
道路を挟んで南側は、据え付けてある看板によるとどこかの大学の敷地になるようだ。
そして高速道路のジャンクションのあたりは、公園にでもなるのだろうか。
殺風景な更地が広がっているのも今だけかもしれない。
そして、その頃にはショッピングセンターかスーパーができてるんだろうか。
いったい、どんな街になっているんだろう。
そういうことを考えてわくわくするのも、フロンティアの荒野に住む楽しみなのだろうか。

ゆりかもめ有明テニスの森(Brillia Mare 有明 TOWER&GARDEN工事現場)

2007-10-25 06:23:57 | Weblog
高速湾岸道路の北側へ。
以前は、高速湾岸道路を越えるには、コロシアムブリッジという歩道橋しかなかったのだが。
臨海副都心と同じ埋立地なのだが、高速湾岸道路が南北を分断しているので、北側は臨海副都心という雰囲気ではまったくない。
倉庫街、というところだ。もっとも、東側にもずっと続いているので、実はこのような倉庫街の風景の方が普通なのだろう。
今では、ゆりかもめが豊州に延伸した頃かな、環状2号線も伸びたので、そちらを通って、高速湾岸道路を越えることができる。
そういえば、スポーツ競技場なら有明コロシアムがあったのだ。もっとも、あんまり客が集まるとも思えないけど。
このように有明テニスの森公園以外は、一帯は倉庫街なのだが、最近になって、そんな中、高層住宅が建ち始めている。
新しく延伸したゆりかもめの北東側にはオリゾンマーレ。そして南西側には、Brillia Mare 有明 TOWER&GARDENの工事現場がある。
しかし、まわりは本当に見渡す限り何もない。
コンビニとジュースの自動販売機しかない。
こんな場所なんだが、将来性を見込んで住もうなんて考えたのだろうか。
あるいは、このフロンティアな感じがいいのだろうか。
それはそれとして、夜は静かだろうなあ。
しかも、臨海副都心や豊州や、そして都心の明かりが銀河のように輝いて、夜景が美しいことだろう。
住んだことはないので、本当にそうなのかどうか、わからないが。
こういうのをアーバンリゾートマンション、とでもいうのだろうか。
(2007年5月記)

りんかい線国際展示場駅南口(ホテルサンルート有明工事現場)

2007-10-24 06:23:04 | Weblog
品川シーサイド駅に戻り、再びりんかい線に乗る。
国際展示場で降りる。
臨海副都心は何度来てもがらんとしていて、バブルの頃の郷愁を誘うなあ。
でも、いつも結構、賑やかなので、その点だけは今のところ、よかったのかもしれない。
駅の南側に出て西側へ。パナソニックセンターのさらに西側には、ホテルサンルート有明の工事現場がある。
最近、できたTOC有明の南側になる。
バブルの頃の勢いだったら、あっという間に建物ができてもおかしくなかっただろうけど、こうしてちびちびと小出しにしていく、というのも結果的にはよかったのかもしれない。
毎年毎年、なんらかのイベントがあるのと同じだからだ。
バブルの崩壊した頃に都市博覧会が予定されていたけど、盛大にやっていたら、今ごろ臨海副都心は忘れ去られていたかもしれない。
たしか、バブルの頃は、つくば万博なんてやっていたが、つくばはもう忘れ去られている。たんに遠いところにあるだけかもしれないけど。
臨海副都心で、都市博覧会をやっていたら、その後の顧客満足度を高めるような努力はやらなかっただろう。ただたんに、作りっぱなしで終わっただろうなあ。
ちょっと離れているけど、南側にある東京ビッグサイトもよく作ったものだと思う。
毎年1回は、なんらかの用事で行っているし。
あとは、スポーツ競技場があればいいのかな。
毎年、ちびちびと小出しでいろいろな施設ができているので、そのうちにできるかもしれない。
(2007年5月記)

りんかい線品川シーサイド駅(Brilliaタワー品川シーサイド)

2007-10-23 06:24:11 | Weblog
第一京浜から南西方向にゼームス坂通り、という細い通りが伸びている。
ゼームス坂通り、というのは幕末、明治の頃、来日したイギリス人の名前に由来するらしい。
その坂道を上っていくと大井町の街中に出る。
大井町駅でりんかい線に乗り、品川シーサイド駅で降りる。
新馬場から品川シーサイドまでと新馬場から大井町では歩いても同じような気もするのだが、なんとなくゼームス坂通りを歩いて見たかったのだ。
といって、特に何かの感想もないし。ただ、暮らしやすそうな感じだなあ、とは思ったけど。
品川シーサイド駅を出ると、目の前に品川シーサイドのビル群が現れる。
あいかわらず、この光景には圧倒されるが。
品川シーサイドのビル群は、9棟の高層ビル(日立ソフトタワーなど)で構成されている。
さらに西側には、品川シーサイドアインス、住友不動産品川ビルがある。
そして、東側、京浜運河沿いにはBrilliaタワー品川シーサイド(工事中はこちら)ができたばかりだ。
ちょっと離れるが南側には、東大井一丁目計画ビルがまだ工事中である。
品川シーサイドのビル群は、バブル崩壊後、失われた10年が終わった頃に、一気にぼこぼこと建っていった。
ついでに北側には、大きなショッピングセンターもオープンしている。
本当は、オフィスビルを中心とした、ビジネスゾーンだったのだろうが、今では一つの独立した生活空間まで作り出している。
まるでSFに出てくるスペースコロニーのようだ。
都心集積の現在は皆、そういう感じの都市づくりをしているような気もする。
まわりの青物横丁や鮫洲とは無関係なのだ。
さらに、運河を挟んで八潮団地があるけど、そことも離れている感じがする。
(2007年5月記)

北品川三丁目京浜急行新馬場駅西口(北品川三丁目計画)

2007-10-22 06:24:17 | Weblog
大崎駅東口に出て山手通りを歩く。
北側は、再開発のビルが並んでいるが、南側は工場地帯のままである。
ちょっと近道をしたくて南側の路地みたいなところに入り込む。
工場の敷地内に迷い込んでしまったのかと思った。どこかで行き止まりで結局、引き返さなければならないはめになることを覚悟しながら進んでいくと、ひょっこりと先ほどの山手通りに出ることができた。
都心の山手線内側になんでこんな場所があるのだろうか。
山手線をくぐり、東海道線をくぐって、目黒川に沿ってさらに東へ。
寺や学校があったりして、一転して緑が多くなる。
そんな中、山手通りの南側に北品川三丁目計画の工事現場がある。
すぐ近くには沢庵和尚で名高い東海禅寺がある。
一帯は、目黒川の北側から御殿山の南側までは、もとは東海禅寺だったらしい。
さらに東海禅寺の北側には、小高い丘の上に品川神社がある。
そして、東側、京浜急行の新馬場駅の東側には、掛け値なしに古い荏原神社がある。
太古の昔から目黒川の河口には、品川湊があり、おそらく、そのために荏原神社もあるのだろう。
一応、北品川三丁目計画も目黒川沿いの高層ビルなのだろうが、周り中が、このように歴史遺産に囲まれているような感じだ。
この歴史の深さを思うと、この緑の多さも納得できる。
山手通りをさらに東へ。すぐに第一京浜との交差点と京浜急行の新馬場駅がある。
その先は、江戸時代の品川宿が栄えた場所だ。
もちろん、今の品川はずっと北にあり、江戸時代の賑わいは、もうどこにも残っていないけど。
だが、この静かさがあるからこそ、歴史の情緒を味わえるのかもしれない。
こういうところに住むのもいいかもしれないなあ、と思いつつ第一京浜を南へ。
目黒川を渡る。
(2007年5月記)