retifの都市探検日記(高層ビル編)

東京の街並みなどを報告します

都営三田線板橋区役所前駅(板橋三丁目 観明寺)

2011-08-30 06:10:25 | Weblog
商店街を北西に歩き、しばらくして、北へ曲がる。
細い道を、そのまま、北へ進むと、西側に、観明寺。
賑やかだった宿場、ということで、近くには、寺社が、多い。
観明寺も、その一つ。
創建は、おそらく、江戸時代の初めだろう。
そもそも、江戸時代の初めに、何もない場所に、板橋宿が、開設されたからだ。
ただ、一説に、鎌倉時代が終わった後、室町時代の創建、とする見方もあるようだが、どういうことだろう。
ちょっと、想像してみる。
ここからは、離れるが、北西側、高島平の南に、東京大仏を擁する、乗蓮寺があるが、その乗蓮寺と、同じ経緯、なのかもしれない。
かつて、乗蓮寺も、創建は、室町時代、そして、板橋宿にあったのだ。
といっても、もともと、板橋宿の地にあったわけではなく、創建は、今の、東武東上線中板橋駅南東側、鎌倉街道の通っていたあたり。
江戸時代初め、板橋宿が、開かれる、ということで、そちらに、移っている。
とすると、やはり、板橋、というのは、鎌倉街道沿い、だったのかな。
中山道が開通し、板橋宿が、開かれたことで、地域の中心が、移ったのだ。
それにともなって、いくつかの、寺院も、移転したに違いない。
今となっては、もう、わからないけど。
(2010年12月記)

都営三田線板橋区役所前駅(板橋三丁目 板橋不動通り商店街の入口)

2011-08-29 05:07:59 | Weblog
17号線は、ゆるやかに、西に向きを変えていく。
道なりに、西へ。
しばらくすると、北西に伸びる、商店街。
名前は、板橋不動通り商店街。かつての、旧中山道、板橋宿だ。
ここから、板橋宿が、始まるのかと、思ったら、実は、もっと、東から始まっている。
今の、埼京線板橋駅北側が、板橋宿の入口だったらしい。
なるほど、だから、板橋駅、なわけか。
以前、訪れたときは、新しい感じの駅前だったが、歴史が、あったのだ。
板橋宿は、ここから、さらに、北西へ。
途中、ゆるやかに、向きを、北へ変えつつ、伸びていく。
長大な感じだが、例えば、千住宿も、今の、南千住駅から、隅田川を越え、北千住駅の北まで、伸びていたわけだから、江戸の近くの、宿は、賑わっていた、ということか。
ところで、江戸時代より前の、板橋は、どうだったのだろう。
例によって、鎌倉街道を、見てみる。
鎌倉街道は、その昔、ここより、遙か西側、東武東上線の、中板橋駅あたり、そして、もう一つは、埼京線の、東側、南北に、伸びていたらしい。
板橋宿は、その中間。
とすると、鎌倉街道とは、無関係なので、江戸時代より前は、何もなかったのかな。
ただ、板橋、という地名、かなり、古くからある。
ひょっとすると、もともとは、東武東上線の、中板橋駅あたりのことを、板橋、といっていたのかもしれない。
時代の流れを、感じるな。
(2010年12月記)

都営三田線板橋区役所前駅(リビオタワー板橋)

2011-08-28 05:12:02 | Weblog
高田馬場駅から山手線。巣鴨駅で、都営三田線に乗り換える。
ひさしぶりに、都営三田線に乗ると、庶民的な雰囲気が、懐かしい。
板橋区役所前駅で下車。
地上に出ると、ものすごく、寒い。
月の初めは、暖かだったので、寒冬、という予報は、どうなったのかな、と思っていたけど。
ここにきて、予報どおりの、寒い冬が、到来。
もっとも、年末の休みだから、いいけど。
それにしても、寒いなあ。
南東に伸びる、交通量の多い、幅広の、17号線を、南東へ。
上空には、首都高中央環状線の高架。
陽が当たらないので、余計、寒い。
しばらく、歩いていると、東側に、リビオタワー板橋。
駅から、ちょっと、離れているけど、最近、多い、駅前再開発による、高層住宅、ということだろう。(工事中はこちら
また、交通量の多い、大通りに対する、壁にもなっている。
その、すぐ東側には、江戸時代の、板橋宿。
今回は、板橋宿の跡を、訪れることにする。
(2010年12月記)

南北線溜池山王駅(赤坂スターゲートプラザビル)

2011-08-27 05:44:51 | Weblog
山王日枝神社西参道の石段を下り、西へ。
再び、南北に伸びる、外堀通り。
南へ、歩いていくと、通りの西側に、赤坂スターゲートプラザビル。
最近、竣工した、高層オフィスビルだ。(工事中はこちら
溜池山王駅の、すぐ近く。
巨大高層ビル、というほどでもないので、駅とは、直結していないだろうが、入口は、間近だ。
赤坂の変貌は、いまだ、続いているものらしい。
そういえば、江戸時代、一帯は、溜池だったのだ。
池のすぐそばには、鬱蒼とした森、丘陵地、そして、山王日枝神社。
さぞ、風光明媚な景観だったに違いない。
その溜池、明治時代には、徐々に、埋められてしまう。
埋め立てられた、場所は、次第に、繁華街へ。
繁華街は、都心の真ん中、風光明媚、とあって、随一の繁栄を誇る。
その繁栄も、高度成長期を達成する頃には、消滅。
衰退した、というわけでもないんだろうけど。
そして、今は、こうして、高層ビルが、建ち並ぶ。
目の前の、高層ビルも、その一つ。
高層ビルが建ち並ぶとして、では、これからは、どうなるのだろうか。
とりあえず、そんなことは、来年、考えよう。
来年になるまでの、少しの間、時代の流れから、外れて、ゆっくりしたい。
溜池山王駅から、帰ることにする。
(2010年12月記)

南北線溜池山王駅(山王日枝神社 謎の入口)

2011-08-26 03:20:19 | Weblog
もう、帰ろうかと思ったが、ちょっと、物足らないので、再び、境内へ。
境内は、正月を前にして、静かな中にも、ちょっとした、緊張感に包まれている。
以前、明治神宮を、正月前に、訪れたことがあるのだけど、そのときも、同じような、緊張感だったな。
たぶん、初詣の準備、ということなのだろう。
それ以来、なにか、そのような雰囲気が、好きで、また、こうして、この時期、山王日枝神社を、訪れたわけだが。
社殿の北側、静かな、末社のあたりへ。
稲荷神社の千本鳥居などを見る。
江戸名所図会には、稲荷神社はあっても、千本鳥居のことは、載っていないので、おそらく、伏見稲荷神社などに影響されて、あとで、設けられたのかな。
そんな風に、境内を散策していると、北側あたり、妙な、入口を見つけた。
秘密の抜け穴だとしても、特に、秘密にするような場所でもあるまいに。
おそらく、境内にある、たとえば、山王茶寮、その他の施設への、通路、なんじゃないかな。
ちょっと、わからない。
山王茶寮の、勝手口に通じているとも、思えないし。
もっとも、そういう、わからないところがある方が、むしろ、いいのかも。
ということで、山王日枝神社を、降りることにする。
南側へ。山王橋の袂から、北に伸びる、西参道。
細い石段を、下っていく。
(2010年12月記)

南北線溜池山王駅(山王日枝神社山王橋)

2011-08-25 06:07:34 | Weblog
鳥居を潜り、石段を登っていくと、神門。
神門を抜け、まっすぐ進むと、すぐに、社殿が現れる。
華美にして、豪壮、見る者の、気持ちを、強く、惹き付ける建築物だ。
そんな社殿を後にして、北側に出る。
そちらには、末社が並び、ひっそりとしている。
南側へ、歩いていくと、再び、神門。
あっけなく、もう、一回りしてしまった。
最初に、訪れたときは、深い山林に、迷い込んだような、不思議な、感覚があったが、何度か、訪れているうちに、慣れてしまい、狭く感じるものらしい。
そういえば、たしか、そのとき、鶏が、いたんだっけ。
鳥居の、「鳥」は、「鶏」のことらしいので、鶏が、神社にいても、いいわけだが。
ただ、もう、十数年前のこと。姿が見えないので、いなくなってしまったのかな。
さらに、西へ、向かうと、幅広の、長い長い、石段。
その、下った先には、巨大な鳥居がある。
山王日枝神社の西側には、南北に伸びる、外堀通りが、通っているので、これほどの、立派な、石段なのだろうか。
あと少しで、この石段、初詣で、大いに、賑わうに違いない。
今年も、残りわずかだ。
(2010年12月記)

南北線溜池山王駅(山王日枝神社鳥居)

2011-08-24 05:06:36 | Weblog
いったん、北へ進み、西へ。
さらに、南へ向かい、東急キャピトルタワーの西側に、回りこむ。
そこには、鬱蒼とした森と、小高い丘陵地、そして、大きな鳥居。
山王日枝神社だ。
神田明神と並んで、都心では、もっとも、有名な神社。
だが、創建は、ちょっと、わからない。
江戸時代の初め頃は、江戸城内、梅林坂にあったようだが。
江戸城改築で、いったん、西側、紅葉山へ、また、さらに、遠く、今の、最高裁判所あたりに、移築。
そして、しばらくして、そこから、現在の場所に、移っている。
だが、それ以前は、どうだったのだろうか。
一説によると、室町時代、太田道灌により、川越の日枝神社から、連れてこられた、ということになっている。
また、一説によると、平安時代の終わり、江戸氏により、やはり、川越の日枝神社から、連れてこられた、とも言われている。
今となっては、どちらの説が、どうということは、もはや、わからない。
ところで、川越、というと、近くを流れる、入間川が、思い浮かぶ。
その入間川、昔は、そのまま、東京湾に、流れ込んでいたのだ。
そして、入間川の河口の近くには、江戸。
だとすると、入間川によって、川越と、江戸は、密接に、繋がっていたはずだ。
つまり、日枝神社は、川越と江戸は、セットだった、ということを、表している、と思える。
今、考えられるのは、それぐらいかな。
(2010年12月記)

南北線溜池山王駅(東急キャピトルタワー)

2011-08-23 05:08:15 | Weblog
高田馬場駅から東西線。飯田橋駅で、南北線に乗り換える。
溜池山王駅で下車。
地上に出ると、吹きすさぶ寒風。
暖かい冬だな、と思っていたら、いつ間にか、厳冬の来襲だ。
そういえば、今年の冬は、寒冬だって、言っていたっけ。
でも、もう、年の瀬。
正月までの、この、わずかの間が、一年のうちで、もっとも、のんびりできる。
だから、寒くとも、それほど、つらくはない。
南東に伸びる、幅広の外堀通りから、北へ伸びる、通りに入り、そのまま、北へ。
しばらく歩いていくと、通りの西側に、東急キャピトルタワー。
最近、竣工した、高層ホテル棟だ。(工事中はこちら
都心部では、こうして、まだまだ、高層ビルが、建ち続けている。
さらに言えば、駅とも、直結していて、最近、多い、駅前再開発、なのかも。
いつものように、溜池山王駅から、地上に出るとき、外堀通りに出てしまったが、駅北側から、地上に出れば、東急キャピトルタワーのすぐ近くだし。
東側には、国会議事堂前駅もある。
そう考えると、そちらの方から、地上に出れば、こんな寒い日には、便利だったな。
もっとも、今日は、年の瀬。のんびりした気分なので、気にならない。
(2010年12月記)

有楽町線豊洲駅(元深川消防署豊洲出張所の古い建物)

2011-08-22 03:44:23 | Weblog
晴海通りを、南東へ。豊洲駅に戻る。
豊洲駅近く、通りの、西側には、元深川消防署豊洲出張所の建物。
もう、廃墟に近い、いや、すでに、廃墟になっているのかな。
まわりは、再開発されていて、ここだけ、取り残されている。
この建物、完成したのは、高度成長期の終わり頃。
もうすぐ、高度成長を達成して、安定期に、到達する、というところ。
当時、まわりは、広大な工場と、高度成長期に完成した、団地があるだけ。
そういえば、あと少しで、ここから、それほど、遠くないところに、コンビニ1号店が、開店するのだ。
世の中、急速に、すみずみまで、整備されていき、豊かになり始めたっけ。
今から思うと、ちょっと、怖いような、あるいは、いいのかな、という感じ。
でも、そんなこと、しばらくすると、すぐ、忘れて、有頂天。
どういうわけか、すごく、忙しくて、忙しくて。
それが、バブル期だったわけか。
しばらくして、バブルは、崩壊。
ただ、当時は、崩壊、ということは、それが、正常に戻る、ということと、裏表だったような気がする。
ということで、ニュースでは、投資と、前倒し発注の、勇ましい、掛け声。
だが、期待をもたせつつも、いっかな埒は明かない。
しばらくすると、ようやく、気が付く。
バブルが崩壊しただけではない。
そもそも、それ自体、土台から、つまり、バブルの基盤だった、安定期まで、崩れ去ってしまったのだ。
その成れの果てが、今の世の中。
目の前の、当時の、この廃墟を見ると、広大な工場と、団地があった、あの頃、将来は、どんなだっただろう、未来は、どんなだっただろう、と思ってしまう。
ひょっとすると、この廃墟、昔の廃墟ではなく、未来そのものの、廃墟なのかもしれない。
もう、帰ろう。今年も、残り、わずか。
来年は、どんな、年になるんだろう。
有楽町線豊洲駅に向かう。
(2010年12月記)

有楽町線豊洲駅(豊洲キュービックガーデン)

2011-08-21 07:20:24 | Weblog
晴海通りを、北西に、歩いていく。
しばらくすると、晴海通りの向きは、西へ。
曲がっている地点で、別の通りが、北東へ伸び、三叉路になっている。
その手前、晴海通りの、東側には、豊洲キュービックガーデン。
最近、竣工した、高層オフィスビルだ。(工事中はこちら
ところで、一帯は、豊洲の北部。歩けない距離ではないが、豊洲駅から、ちょっと、離れている。
いつもながら、面倒に思ってしまうが。大袈裟に言うと、陸の孤島だ。
そういうわけで、ゆりかもめの延伸、ということかも。
もっとも、有楽町線の豊洲駅で降りて、ここに来るために、ゆりかもめに乗り換える、なんて、しないだろうけど。
でも、面白いので、ちょっと、ゆりかもめが勝どき駅に延伸した場合、設置される駅について、考えてみる。
まず、この場所。駅名は、北豊洲駅、あるいは、豊洲北駅か。
次は、晴海運河を、渡った先。トリトンスクエアの南側だ。晴海アイランド駅がいいだろう。
その次。ほっとプラザはるみの近く。駅名は、晴海ふ頭公園駅、かな。
さらに、その次は、朝潮運河を、渡ったところ。ここは、勝どき六丁目駅。
そして、終点、勝どき駅だ。
いかにも、利用者が、少なそうな、感じ。
多摩都市モノレールみたいに、一駅区間だけ、運賃100円、にしないと、誰も、乗らないだろうなあ。
実現しないだろうから、いいんだろうけど。
(2010年12月記)