商店街を北西に歩き、しばらくして、北へ曲がる。
細い道を、そのまま、北へ進むと、西側に、観明寺。
賑やかだった宿場、ということで、近くには、寺社が、多い。
観明寺も、その一つ。
創建は、おそらく、江戸時代の初めだろう。
そもそも、江戸時代の初めに、何もない場所に、板橋宿が、開設されたからだ。
ただ、一説に、鎌倉時代が終わった後、室町時代の創建、とする見方もあるようだが、どういうことだろう。
ちょっと、想像してみる。
ここからは、離れるが、北西側、高島平の南に、東京大仏を擁する、乗蓮寺があるが、その乗蓮寺と、同じ経緯、なのかもしれない。
かつて、乗蓮寺も、創建は、室町時代、そして、板橋宿にあったのだ。
といっても、もともと、板橋宿の地にあったわけではなく、創建は、今の、東武東上線中板橋駅南東側、鎌倉街道の通っていたあたり。
江戸時代初め、板橋宿が、開かれる、ということで、そちらに、移っている。
とすると、やはり、板橋、というのは、鎌倉街道沿い、だったのかな。
中山道が開通し、板橋宿が、開かれたことで、地域の中心が、移ったのだ。
それにともなって、いくつかの、寺院も、移転したに違いない。
今となっては、もう、わからないけど。
(2010年12月記)
細い道を、そのまま、北へ進むと、西側に、観明寺。
賑やかだった宿場、ということで、近くには、寺社が、多い。
観明寺も、その一つ。
創建は、おそらく、江戸時代の初めだろう。
そもそも、江戸時代の初めに、何もない場所に、板橋宿が、開設されたからだ。
ただ、一説に、鎌倉時代が終わった後、室町時代の創建、とする見方もあるようだが、どういうことだろう。
ちょっと、想像してみる。
ここからは、離れるが、北西側、高島平の南に、東京大仏を擁する、乗蓮寺があるが、その乗蓮寺と、同じ経緯、なのかもしれない。
かつて、乗蓮寺も、創建は、室町時代、そして、板橋宿にあったのだ。
といっても、もともと、板橋宿の地にあったわけではなく、創建は、今の、東武東上線中板橋駅南東側、鎌倉街道の通っていたあたり。
江戸時代初め、板橋宿が、開かれる、ということで、そちらに、移っている。
とすると、やはり、板橋、というのは、鎌倉街道沿い、だったのかな。
中山道が開通し、板橋宿が、開かれたことで、地域の中心が、移ったのだ。
それにともなって、いくつかの、寺院も、移転したに違いない。
今となっては、もう、わからないけど。
(2010年12月記)