retifの都市探検日記(高層ビル編)

東京の街並みなどを報告します

田園都市線桜新町駅(弦巻四丁目 蛇崩川支流跡)

2011-09-30 05:08:48 | Weblog
この道路の、ちょっと、くねくねした曲がり具合、川の流れを思わせる。
それは、気のせいなのかもしれないが。
そのまま、南西へ。川筋跡を辿っていくと、さっきの、教育センター通りとの交差点。
ここからは、西へ、まっすぐの道路となる。
おそらく、最初は、まっすぐ、ではなかったのだろう。
やはり、くねくねと、曲がっていたはずだ。
ちなみに、明治時代初期の、地図を見ると、一帯には、田圃。
明治時代初期だから、江戸時代と、それほど、変わってはいないに違いない。
とすると、たぶん、改修されていて、江戸時代には、すでに、用水路、みたいになっていたんじゃないかな。
そんな川筋跡の、道を、歩いていく。
まわりは、谷地になってはいるが、谷地に多い、下町は、全域、山の手住宅地なので、さすがに、ありはしない。
ここから、南側は、谷地に対する、尾根筋、ということになるが、尾根筋に、多い、山の手住宅地は、普通に、広がっている。
なんてことは、ここらへんには、あまり、関係ないことだな。
(2011年1月記)

田園都市線桜新町駅(弦巻三丁目 蛇崩川支流跡)

2011-09-29 05:08:53 | Weblog
通りを東へ。
しばらく、歩いていくと、北に伸びる、教育センター通り。
教育センター通りを、北へと、進む。
ほどなくして、北東へ伸びる、道路との、交差点。
北東へ、曲がり、そのまま、北東へ。
どんどん、歩いていくと、東西に伸びる、弦巻通りに、辿り着く。
ここは、以前、来た場所。
蛇崩川の源流を求めての道行きのとき
ここらで、本流か支流か分からないが、二つの流れが、合流していたらしい。
あのときは、北西側からの、流れを、辿ったのだ。
今回は、南西側からの、流れを、辿ることにする。
ちなみに、明治時代の地図を見ると、南西側からの、流れの方が、谷が、広くなっているみたい。
だからといって、こちらが、本流なのかどうかは、今となっては、わからないが。
そういうわけで、弦巻通りから、もう一方の、蛇崩川の源流を求めて、歩き出す。
といっても、さっき、来た道を、引き返すだけ。
実は、教育センター通りから、北東へ、伸びる道が、川筋跡、なのだ。
もとは、川筋、という風に、思って、改めて、道路を、見ると、そんな感じにも、見えるけど。
(2011年1月記)

田園都市線桜新町駅(桜新町一丁目 サザエさん通り)

2011-09-28 05:08:01 | Weblog
再び、二子玉川駅。
二子玉川駅周辺、もう、訪れるようなところもないので、別の場所に、行こうと思う。
渋谷方面に向かい、桜新町駅で下車。
地上に出ると、たいていは、交通量の多い、幹線道路があったりするのだが、ここの場合は、東西に伸びる、普通の道路があるだけ。
交通量も少なく、静かなものだ。
通りを、西に向かうと、南側に、サザエさん通り。
かなり前、一度、来たことがある。
地上に出たとき、まわりの街並み、あまりに、サザエさんから、思い浮かべるような、庶民的な雰囲気がないので、驚いたけど。
山の手なのだから、当然かな。
ただ、子供の頃、アニメで、よく、見ていたので、その、庶民的なイメージが、強いのだ。
だから、今では、かってに、サザエさん、というのは、練馬あたりの、郊外住宅地が、モデルかな、と思い込むようにしている。
それはそれとして、ひょっとしたら、昔は、桜新町、やはり、サザエさんのような、街並みだった、とも思えるし、実際、そうなのだろう。
だが、作者、を見ると、どうも、庶民的とも思えないのだ。
おそらく、庶民とは、かけ離れているから、庶民を、客観的に、面白おかしく、描写できたのだろう。
というわけで、山の手に興味などなく、だから、もとより、サザエさん通りを訪れる予定はない。
今回の目的地は、別にあるのだ。
(2011年1月記)

田園都市線二子玉川駅(二子玉川ライズオフィス)

2011-09-27 05:11:29 | Weblog
高田馬場駅から山手線。渋谷駅で田園都市線に乗り換える。
二子玉川駅で下車。
駅東側に出る。
駅周辺は、再開発も終わり、すっかり、整備されてきたようだ。
東西に伸びる、多摩堤通りの北側には、二子玉川ライズオフィス。
最近、完成した、オフィス高層ビル。(工事中はこちら
駅ビル、なんだろうか、よくわからない。
あとは、西側の、高層住宅群と、駅との間に、高層オフィスビルが建つぐらい。
昨今、景気よくないので、建つかどうか、さだかではないけど。
ただ、建てば、とりあえず、二子玉川の再開発は、完成する。
ところで、そういえば、最初、来たときは、八百屋が、普通に、あったものだが。
小さな、古本屋もあって、時間潰しに、ちょっと、覗いたりもした。
古びた、喫茶店があったのは、普通の、郊外とは、違うのかもしれない。
そういった街並みは、今は、一掃されてしまったのか。
二子玉川の新しい街並みを後にして、駅に向かう。
(2011年1月記)

りんかい線東雲駅(東雲二丁目 東雲交差点の横断歩道)

2011-09-26 03:42:01 | Weblog
昔を、思い出しながら、ずっと、そのまま、歩いていく。
道路は、徐々に、北東へ。北側には、豊洲運河の水面。
途中、道路は、東へ向きを変え、そのまま、道なりに、東へ進む。
雰囲気的には、まだ、昭和の倉庫街、というところ。
しばらくすると、突き当たり、東雲キャナルコート。
雰囲気は、一変する、と言いたいところだが、それほどでもないか。
東雲キャナルコートの西側には、南北に伸びる、晴海通り。
晴海通りを、南へ。
以前は、北へ向かい、豊洲の方まで、行ってたこともあったな。
幅広の晴海通りを、南へ南へと、歩いていく。
雰囲気は、近未来都市、という感じでも、ないけど、だからといって、昔のまま、でもない。
昭和の時代が、たんに、寂れた、という感じ。
昔、ここに、来たとき、それなりに、活気は、あったように、思うけど。
ほどなくして、東西に伸びる、湾岸道路との交差点。
この、交差点を、渡ると、りんかい線の、東雲駅に辿り着く。
ただ、この交差点を渡るには、二度、信号が、変わるのを、待たなければならない。
分離帯まで歩くと、すでに、信号は、赤になってしまうのだ。
ということで、信号が青になったと同時に、ダッシュ。ぎりぎりで、渡りきる。
昔と、変わっていないな。
歩道橋を設置する以外、解決策は、ないからだろうけど。
東雲駅に着いたので、りんかい線で帰ることにする。
なんか、あっけない。
昔と変わったとすれば、わくわくした感じがなくなってしまったことぐらいかな。
そんな昔は、もう、二度とは、戻らないわけか。
(2011年1月記)

りんかい線国際展示場駅(高層住宅地階のコンビニ)

2011-09-25 07:28:58 | Weblog
昔、この通りを、東雲に、向かって、歩いたこともあった。
たいてい、バスに、乗っていたけど。
それで、歩いていると、途中に、通りの、北側、コンビニがあったのだ。
何度か、立ち寄ったな。
たしか、その頃、コンビニの裏手は、工場だったと思う。
駐車場が、やけに、広かった。
おそらく、クルマでの、利用が、多かったのだろう。
そして、しばらくしたら、いつしか、そのコンビニの裏手、大規模な、再開発。
さらに、コンビニも、呑み込まれてしまう。
結局、どうなったのだろう、と思ったら、新しく、誕生した、高層住宅の、地階に、移っていた。
こうして、さまざまなものが、変わっていく中、変わらないものも、あるらしい。
といっても、コンビニに、興味があるわけでもないし、そこで、懐かしさのあまり、買物しようなんて、ないけど。
ただ、まあ、少し、ほっとしてしまったのは、事実だ。
(2011年1月記)

りんかい線国際展示場駅(シティタワー有明)

2011-09-24 07:13:11 | Weblog
新設される、江東区立有明小中学校の、通りを挟んで、北側には、シティタワー有明。
最近、竣工した、高層住宅だ。(工事中はこちら
こうして、高層住宅は、次々と、建っていく。
といっても、次の、高層ビルの、予定は、ないのだけど。
そういえば、昔、臨海副都心、訪れた後、よく、バスに乗って、この道を通ったものだな。
行き先は、東雲。こちらの再開発現場も、ついでに、見に行っていたのだ。
バス停で、待ってても、バス、来ないときは、その先の、バス停まで、歩いたっけ。
タイミングが、ずれると、歩いているときに、バスが、追い越していく。
それで、次のバス停で待っていて、再び、歩いていると、またしても。
そんなことやっているうちに、東雲まで、着いてしまうこともあったな。
たいした距離でもないので、バスに、乗らなければならない、というほどでも、ないけど。
でも、バスの座席、ちょっと、高い位置にあるので、窓からの景色が、いいのだ。
どこまでも続く荒野、まるで、都心とは、思えなかった。
そんなことなど、思い出すと、当時が、いかにも、懐かしい。
(2011年1月記)

りんかい線国際展示場駅(新設される江東区立有明小中学校)

2011-09-23 07:13:50 | Weblog
広大な荒野の東側には、なにやら、施設の建設中。
道路際の、植栽が終われば、完成、というところだが。
後で、調べたら、江東区立有明小中学校、らしい。
もう、完成間近だから、今年4月、開校、かな。
最近、近隣に、林のごとく、建ってきた、高層住宅のための、新設校なのだろう。
そういえば、豊洲にも、小学校が、新設されたっけ。
このように、都心部は、再開発で、かつての、ニュータウンのようだ。
バブルの頃までは、都心、といえば、昼は賑やかだが、夜は、閑散としている、という風だったのに。
最近は、都心に、すべてが、集中している。
昔のように、仕事は都心、住むのは郊外、ということはもうない。
都心は、ますます、賑やかになり、それ以外は、ますます、寂れていくのだ。
自分の住んでいる地域は、都心ではないので、衰退する一方。
今は、スーパーが、一軒あるだけ。
他の商店は、シャッターを下ろしている。
もちろん、小学校や中学校が、新設されるなんて、あり得ない。
時代の流れなので、仕方がないが。
(2011年1月記)

りんかい線国際展示場駅(有明一丁目 ゆりかもめの高架)

2011-09-22 06:06:46 | Weblog
北西に伸びる、環状2号線の上には、ゆりかもめの高架。
環状2号線とゆりかもめ、同時に、完成したんだっけかな。
忘れてしまったが。
いずれにしろ、数年前、最近のこと。
もっとも、ゆりかもめは、とりあえず、豊洲まで、延伸したとしても、その先、次々と、延伸していくとは、思えない。
今後、景気、よくなりそうにないし。
そういえば、ゆりかもめのような、新都市交通、まさに、バブルの産物、だったように思える。
当時、各地で、同じような、交通機関が、相次いで、開通したからだ。(舎人ライナーは、ゆりかもめの豊洲延伸と同じ、この間の、ちょっと景気がよかった時期の産物かな)
時期的にも、そうだが、過剰さも、バブルそのもの。
道路の直上に、さらに、輸送機関。
あれば、便利なんだけど、やはり、無駄なのかな。
ゆりかもめは、当初は、勝どきから、銀座あたりを通り、再び、新橋へ戻り、環状線になるらしかったのだ。
そして、その後は、さらに、網の目のように、張り巡らされたりしたのかもしれない。
そうなれば、地下には、地下鉄、地上には、クルマ、宙には、新都市交通。
でも、そんなことには、なりはしない。
結局、ゆりかもめ、臨海副都心の観光路線で、落ち着いたみたいだし。
(2011年1月記)

りんかい線国際展示場駅(有明二丁目の荒野)

2011-09-21 05:01:20 | Weblog
有明コロシアムの西側を、北へ。
北東に伸びる通りへ出る。
その通りを、今度は、北東へ。
しばらくすると、北西に伸びる、環状2号線との、交差点。
環状2号線が、開通したおかげで、有明に出るのは、ものすごく、楽になったな。
そういえば、この交差点の、南東側、広大な、荒野が、広がっているのだが、まさに、バブルの頃は、このような、荒野が、すべてだったのだ。
そのなかに、有明コロシアムが、あったわけか。
でも、今は、ただの荒野でしかない、この場所に、バブルの頃は、未来、という、夢が、広がっていた。
近未来の都市が、いまにも、出現する、そんな夢。
そして、空想としての、夢、だからこそ、そこに、誰でも、参加、できたのだ。
なにせ、空想し、思い描くだけなのだから。
思い描き、夢見るだけの、砂上の楼閣のような夢ならば、埋立地の荒野も、容易に、山の手になれる。
だが、そんな夢が、はじけた後には、冷ややかな、白々しい、現実が、横たわるのみ。
つまり、山の手は山の手だし、荒地は荒地。
今にして思えば、そういうわけか。
(2011年1月記)