retifの都市探検日記(高層ビル編)

東京の街並みなどを報告します

桜木町駅東口みなとみらい(横浜銀行本店)

2007-08-31 07:33:05 | Weblog
ランドマークタワーの大通りを挟んで南西側に横浜銀行本店がある。
この高層ビルもバブルの終わり頃の竣工だ。
そして、みなとみらいの初期の高層ビルである。
ビルのデザインがとても凝っていて、まさにバブルの頃の勢いを示している。
高度成長期以降の横浜の地盤沈下の鬱憤を晴らすかのようだ。
この時期、桜木町駅の東側にはぼこぼこと高層ビルが建つ。
建ったと思ったらバブル崩壊である。こんなはずではなかった、というところか。
だが、横浜市自体が着実に拡大しているので、結局は無駄にはならなかったのかな。
みなとみいらいの西側には、JR根岸線(京浜東北線)の高架と高速道路が南北に伸びていている。
そして、その向こう側は市街地となる。まるで人工的な再開発地と昔ながらの街並みとの境界線のようだ。
ちょっと前までは、その鉄道の高架を東急東横線も通っていたのだが、みなとみらい線に乗り入れてしまったので今は廃墟になっている。
廃墟になる前からだったと思うが、この高架、橋脚ではなく延々と伸びるコンクリートの壁になっているのだ。
その延々と細長いコンクリートの壁にはずらりと絵が描いてある。
一枚一枚立ち止まって見る、というほどではないんだろうけど。
それよりも壁が延々と続いていて、反対側には行けなくて困るのだが。
それはそれとして、この1キロメートルはあろうかという絵巻物みたいな細長い絵。
朽ち果てた廃墟のようなコンクリートの穂長い壁に描かれていること自体がすでにアートのようだ。
さらに、その背景となっているのが、人工的で未来的なみなとみらいの再開発地、というのは本当に不思議な光景だ。
(2007年3月記)

桜木町駅東口みなとみらい(三菱重工横浜ビル)

2007-08-30 06:20:02 | Weblog
高田馬場から山手線。渋谷駅で東急東横線へ。
そのまま乗っていればみなとみらい線に乗り入れる。
みなとみらい駅で下車。
地上に出ると、まさにそこは再開発地、人工の空間が広がる。
大通りを南西へ。ランドマークタワーの北側に三菱重工横浜ビルがある。
バブルの終わり頃に竣工している。
みなとみらいの初期の高層ビルである。
みなとみらいは、バブルの頃、東京湾を埋め尽くすような勢いで始まったウォーターフロンの一つだ。他には東京の臨海副都心と千葉の幕張がある。
高度成長期の終わりで存在感がなくなった横浜の起死回生の再開発であったのだが、結局、成功したのか失敗したのかわからない。
実際、横浜は、その後も、そして現在も成長を続けている、日本では稀有の街なので成功したともいえる。
しかし、それは東京都心がまがりなりにも近くにあったからである。
そして、都心回帰、集積化という波にうまく乗ってきたにすぎない。
ある意味、リゾート地でもあるし、手軽な観光地でもある。
オフィスビルも少なからず存在するのだが、でも、横浜になくてもいいような気もしてくる。
つまり、ひょっとしたら、横浜は都心に対する副都心なのではないだろうか。
副都心というと新宿などだが、新宿はもはや都心の一部だし。もし副都心という言葉に相応しいとすると、それは横浜ではないだろうか。
さらに、そういうことを支えているのは、交通の便のよさだ。
たとえば、JR横浜駅の改札に入ると、すぐ出発時刻を知らせる掲示板を見る。
すると、湘南新宿ライン、横須賀線、東海道線のうち、一番早いどれかに乗ればいいのだ。
どういうわけか、ここにきて、また高層ビルが建ちはじめている。
都心回帰、都心集積に呼応しているのだろうか。
(2007年3月記)

京王線聖蹟桜ヶ丘駅南口(聖蹟桜ヶ丘ビュータワー)

2007-08-29 06:23:29 | Weblog
また多摩都市モノレールへ乗り、高幡不動駅で京王線に乗り換える。
高幡不動駅も多摩都市モノレールの乗換駅として整備されつつある。
門前町ならぬ門前駅として風情があったのだが。いつの間にかこぎれいなお店が軒を連ねるようになった。
多摩丘陵の麓を東京方面へ。多摩川の手前、聖蹟桜ヶ丘駅で下車する。
駅周辺はデパート、バスターミナルがあり、さらに南側に幅広の川崎街道が東西に通っている。川崎街道の南側には聖蹟桜ヶ丘ビュータワーがある。
その南側には小川が流れ、そしてさらに南側は丘陵地、丘の上となっている。
丘の上の田園都市、というわけかな。
本当は関戸、という地名なのだが(今でも町名で関戸は残っている)、いつしか桜ヶ丘になったのは、やはり、この丘の上の田園都市の影響からだろう。
そして、明治天皇の御狩場が近くにあったので聖蹟の名が付いている。
御狩場がどこにあったのかわからないが、昔、「狸ビール」という誰も知らない小説だかエッセイがあったのを思い出す。
さる高名な小説家の子息(名前、まったく忘れた)の作品なのだが、多摩丘陵で金持ちの暇人たちがハンティングをする、という内容だ。ハンティングの標的は、大抵、タヌキで、獲った後は、狸汁にして食っていた、ということだ。
聖蹟とされる御狩場があった、とすると、後から振り返ると、結構、意味のある話だったのかもしれない。
もしも、高度成長、そしてその結果としての総中流化なんてなかったら、たぶん、多摩丘陵は富裕層のリゾート地になっていただろう。
どっちがよかったのかわからない。
だが、自分にとっては、少なくとも、子供の頃、多摩動物園に行ったことはかけがえのない、いい思い出だったことは確かだ。
(2007年3月記)

日野市八王子市多摩モノレール中央大学明星大学駅北口(明星大学27号館、29号館)

2007-08-28 06:23:51 | Weblog
多摩都市モノレールにひさしぶりに乗る。意外とそこそこに混んでいる。
立川を過ぎ、多摩川を渡り、中央自動車道を越える。
高幡不動の南側は多摩丘陵となる。
丘陵地帯を登り、トンネルを抜けると中央大学明星大学駅に着く。
南口は中央大学で北口一帯は明星大学となっている。
明星大学の日野キャンパス内には高層ビルの校舎、27号館と29号館が新しく竣工している。
この地に設立したのは高度成長期の初めごろらしい。
高度成長期の終わり頃から多摩ニュータウンが完成していくので、それよりも以前、ということになる。
少し前に多摩動物公園もできているし、京王動物園線も開通しているので、多摩ニュータウンとは関係ない、ともいえるのだが。
多摩ニュータウンは、明星大学のある尾根筋のさらに南側である。
おそらく明星大学のあるあたりは、京王線沿線の住宅街、それも山の手田園都市、ということなのだろうか。
明星大学までいってしまうと、山の中すぎるけれど。
その明星大学の近くにある多摩動物園へ、子供の頃はよく行ったものだ。
動物園に行くとすると、上野動物園でなく多摩動物園なのだ。
上野動物園というと、神経質にうろうろしている珍しい動物を長蛇の列で見る、という感じだが、多摩動物園は、動物園というより広大な森林公園になっている。
高度成長期を経て安定期へ辿り着いた世の中にはうってつけだったのかもしれない。
そいて、バブルを経て、近くにはモノレールが通り、さらに、明星大学には高層ビルが建つ。
子供の頃を回想するからそう思うのだろうか。
動物園が楽しみだ、というところで世の中の進み方が留まっていたら、もっと幸せだったような気もする。
(2007年3月記)

横浜駅東口(スカイビル)

2007-08-27 06:19:29 | Weblog
横浜駅西口駅前に戻り、地下街を通って、横浜駅東口へ。
頭上に高層道路の高架が走る大通り、第一京浜の東側、そして横浜そごうの南側にスカイビルがある。
この第一京浜の東側は、南北から流れてくる川が合流する地点になっており、河口に突き出た岬のようになっている。
その突き出た岬部分に横浜そごうとスカイビルがある、ということだ。
合流地点の東側に南北に伸びるみなとみらい大橋が架かっているので、その橋から横浜そごうとスカイビルのパノラマが楽しめる。そして、夕暮れ時は、建物に照明が灯るので、本当に美しい光景が展開される。
横浜駅の西口は、発展のしようがないので、その分、東側に駅が拡大したようだ。
横浜駅から地下街を東に進むと横浜そごうとスカイビルまでも行けてしまうので横浜駅の拡大ととらえていいだろう。
その拡大の仕方は、みなとみらいと同じなのかもしれない。つまりウォーターフロントの再開発ということだ。
たしか、横浜そごうは、バブルの初期、日本最大級のデパートとして華々しく開店している。バブルの歴史における最初の重要なページとなるのかな。
さらに、バブルが崩壊した頃、横浜そごうの南側にスカイビルが竣工している。
そして、結局、バブルが崩壊した後の失われた10年。そごうは、倒産してしまった。
倒産したからといっても店がなくなるわけでもないので、まだ横浜そごうは存続している。(実際に消滅してしまったそごうの店舗も多くあるのだが)
この水辺に浮かぶように見える巨大な建築群もバブルの遺産なわけだけど、夕暮れ時を彩るこの美しい景色は、今も残っている。
残っているどころか、再び、このウォーターフロントは、拡大を始めている。
(2007年3月記)

横浜駅西口(天理ビル)

2007-08-26 13:00:42 | Weblog
横浜ベイシェルトンホテルの北西側には天理ビルがある。
高度成長期の終わり頃に竣工している。横浜ではもっとも古い高層ビルであるらしい。
自分は、川崎市の学校に通学していたことがある。
川崎は、横浜と近いので、課外授業で横浜に行ったり、また、横浜から通ってくる学生も少なからずいた。
だから、横浜は、とても感慨深いものがある。
当時、バブル期前の横浜というと、まず記憶に残っているのは異国情緒、というところだろうか。
横浜港が、近代日本では最初の国際港である、ということで、外国を感じさせてくれる感じがしたということもある。
しかし、それよりも、強く感じたのは、東京から見て、異国だった、ということだ。
港がこんなに身近、ということも異質だし、横浜中華街や外国人墓地など、外国の文化が存在感を持っていることも異質だった。
その異質さを維持させていたのが、歴史遺産や観光資源ではなく、横浜港の力なのだろう。
ただ、それも高度成長期まで、ということになる。
開港した頃のように、生糸を輸出したり、工業立国の頃のように、京浜工業地帯の輸出入の窓口になったり、ということがなくなるからだ。
この天理ビルは、横浜がその地位を保っていた頃の最後の産物なのかもしれない。
これ以降、20年間は、横浜には高層ビルが建っていない。しかも、次に高層ビルが建ったのは、みなとみらいである。
異国情緒溢れる、訪れてみたい街、横浜。
そのような雰囲気は、この空白の20年間に培われたのかもしれない。
成熟し、黄昏れていく街。そのような街に人々は惹かれ、訪れるものなのだろうか。
(2007年3月記)

横浜駅西口(横浜ベイシェルトンホテル)

2007-08-25 09:34:25 | Weblog
高速道路の高架が上を通る川を渡り南へ歩く。
繁華な横浜駅西口に出る。
東口とは雰囲気が対照的だ。
ただ、地方の郊外都市と規模はあまりかわらない。
もっとも、南側のみなとみらいや桜木町、関内、石川町まで含めるとすると、やはり大きな街なんだろうけど。
横浜駅西口駅前広場の北西側に横浜ベイシェルトンホテルがある。
バブルが崩壊した後に竣工しているが、横浜西口にあっては、唯一、再開発らしい建物のような気がする。
横浜駅に西口に立つと、左手に老舗デパート(高島屋だが)、その北側に横浜ベイシェルトンホテルがある。そして、通りを挟んでさらに北側にヨドバシカメラ。
横浜ベイシェルトンホテル以外は、やはり、地方都市、という配置なのだろうか。
本当は、横浜駅西口すぐ近くに高層棟の高級ホテルはあった方がよかったのかもしれない。そして、その隣に老舗デパートがあり、その奥にヨドバシカメラがあるといいような感じだ。
横浜駅西口の範囲についてだが、横浜ベイシェルトンホテルの西側は、もう繁華街ではなくなってしまう。
ヨドバシカメラの北側も川(高速道路の高架が上を通っている)が東西に伸びており、その先で横浜駅西口の繁華街は終わってしまう。
他にも南西側に街は広がっている。行ったことはないけど、こちらの方が昔ながらの地方的な繁華街なのだろうか。
これだけを見ると、規模的には、東京の町田と変わらないぐらいの大きさかもしれないなあ。
ただ、町田にはこのような高層棟の高級ホテルはないので、やはり、横浜ベイシェルトンホテルの存在は、横浜の街としての規模の大きさを示しているのだろう。
やはり、みなとみらいや桜木町、関内を含めた街の北端部分が横浜駅の繁華街、と考えた方がよさそうだ。
(2007年3月記)

横浜駅西口鶴屋町(TSプラザビルディング)

2007-08-24 06:20:06 | Weblog
ヨコハマポートサイドをようやく離れることにする。
北側の交通量の多い大通りを渡る。高速道路の高架をくぐるのことになるので昼でも薄暗い感じがする。
大通り、第一京浜を渡ってしまうと、そこは昔ながらのさびれた街並みが広がる。
特に鉄道の沿線は、いまだに京浜工業地帯の下町の風情だ。そのような、下町を駅で結んでいるのが京浜急行である。
そして、このような下町の風情も横浜のもう一つの側面だ。
駅近くまで行くと、なんだか高度成長期からありそうな古めかしい越線橋がある。そこを渡って、横浜駅西口へ出る。
さっきのヨコハマポートサイドとはまったく違う世界が目の前に広がる。
横浜駅の北東側は、時代に取り残されたような一帯だ。
このような地域が、これから再開発するのかどうか、わからない。
しかし、一方で新しい近代的な再開発地が次々と登場しているのに、他方で、まったく取り残された地域もある、というのが興味深い。
昭和の街並みや更地を通り抜け、西へ歩いて行くと、TSプラザビルディングがある。
高速道路の高架が上を通る川を渡ると、すぐに横浜駅西口に出るので、横浜駅前が拡大したような感じだ。
といっても、そのままどんどん拡大するような気配はない。しかも、このTSプラザビルディングは、バブルの終わりごろに竣工しているようだし。
結局、期せずして、そのようなまだら模様の多様な面が横浜の特徴になっているのだろうか。
横浜駅が東側、川を越えて、上り方向に拡大すれば、交通量の多い第一京浜をペデストリアンデッキで越えて、ヨコハマポートサイドと直結できるだろう。
でも、そんなことは実現しそうにない。そういうところが、そもそも横浜の特徴だからだろうか。
(2007年3月記)

横浜駅東口ポートサイド(ロア壱番館)

2007-08-23 06:18:28 | Weblog
ザ・ヨコハマタワーズの西側には、ロア壱番館がある。
この高層住宅の竣工はバブル崩壊ぐらいである。
だから、この高層住宅もバブル遺産、といっていいだろう。
バブルが崩壊して、失われた10年。
ヨコハマポートサイドもすっかりその熱気がなくなってしまったかのように見えたのだが。
自分もヨコハマポートサイドについては忘れてしまっていた。
しかし、何の気なしに見ていたニュースを見ていて、ひさしぶりにヨコハマポートサイドのことが目に入った。
ニュースといっても、最後の方でやる、地方版の方で、地域のトピック紹介のようなものだった。
季節はいつだか忘れたが、よく晴れた日和、大通りにも公園にも太陽の光が降り注ぐ。
大通りは歩行者天国になっているらしく、近くの住民や通りがかりの家族連れなどで賑わっている。
その大通りの路上では、大道芸が繰り広げられていたのだ。
お祭りのような陽気な音楽に観客の歓声。アクロバチックな演技の後には、ひときわ大きな歓声が響き渡る。
今から振り返ってみると、これは野毛大道芸なのだろうか。
詳しい記録が残っていないので、このときの大道芸がなんだったのかわからない。

バブルはお祭り騒ぎだったが、そのお祭りが終わってしまうと、今度は祭りを眺める番なのだろうか。
都市空間は、アミューズメント空間であり、テーマパーク空間になってしまったのかな。横浜の野毛大道芸というのは、バブルの頃に始まったらしいけど、むしろ、バブルが崩壊した後、失われた10年や現在の方が存在感があるように見える。
なぜなら、まわりにある新しくできた巨大なビルやなにかもが、映画やドラマのセットにしか見えないからだ。
(2007年3月記)

横浜駅東口ポートサイド(ザ・ヨコハマタワーズ)

2007-08-22 06:17:21 | Weblog
通りを挟んで、バブルの遺産だった三菱重工横浜ポートサイドビルとアルテ横浜の北側には、ツイン高層ビルのザ・ヨコハマタワーズがある。(イースト棟とウエスト棟の2棟で構成されている)
バブル崩壊後の失われた10年を経て建った高層ビルというのは、どうしてこうも皆、巨大なのだろう。
とくに高層住宅は、これまでとは比べ物にならないほどだ。
さらに、どこも同じように静かでがらんとしている。
これでは、品川あたりの高層住宅群と変わらない。せっかく横浜に来た、という感じがしないなあ。
横浜、というと東京から見て、一番近い他者、という気がする。
さいたま市や千葉市、あるいは川崎市では、東京の方がはるかに巨大なので、結局は東京の郊外でしかない。
だが、横浜は、ある程度、規模も大きいので、東京からは自立しているように見える。
だから、東京から30分ぐらいで横浜には着いてしまうのだが、横浜に行くと、旅行気分、観光気分を味わえるのではないだろうか。
自分は、学生の頃、一時期、川崎の学校に通っていたことがある。
その学校で、昼の弁当を忘れた学生がいて、どうしたかと思うと、来る途中に、崎陽軒のしゅうまい弁当を買ってきていた。
その学生は、横浜方面から通学していたのだが、なんだかおかしくて、今でも記憶に残っている。
しかし、今のように、高層住宅ばかりぼこぼこ建てていると、なんだか東京都心のベットタウンになっていくような気がする。
品川も横浜も変わらなくなってしまうのだ。
だから、せめてリゾート地ではあった方がいいのかな。そうなれば、高層住宅もリゾートマンション、ということにすればいいし。
(2007年3月記)