retifの都市探検日記(高層ビル編)

東京の街並みなどを報告します

東急大井町線等々力駅(等々力一丁目 等々力渓谷2号横穴古墳)

2013-05-31 06:08:02 | Weblog
まるで、どこかの山岳地帯のような、谷の底。
鬱蒼と木々が、生い茂り、木陰が、涼しげだ。
ふと、たとえ、谷沢川よりも、規模の、小さな、流れであっても、長い時間の間には、渓谷ではなく、幅広の、緩やかな、谷を、作るはずなのに、どうして、ここだけは、違うのだろうと、思ってしまう。
実は、思い当たる場所、あと、二つ、あるのだが。
御茶ノ水、神田川の、御茶ノ水渓谷。王子、石神井川の、音無渓谷。
御茶ノ水渓谷の場合は、江戸時代の初め、土木工事により、造成されたことは、判っている。
等々力渓谷の、場合は、どうなのだろうか。
たしかに、矢沢川が、東に流れ、呑川に、合流するよりも、そのまま、南に流れ、多摩川に、合流した方が、開拓という面では、かなり、便利だ。
などと、考えながら、歩いていると、渓谷の斜面に、等々力渓谷横穴古墳。
斜面、といえば、斜面だが、斜面ではない、といえば、斜面ではないような、微妙な、位置にある、横穴古墳だ。
ますます、謎は、深まっていく。
(2012年7月記)

東急大井町線等々力駅(等々力二丁目 等々力渓谷公園)

2013-05-30 06:14:54 | Weblog
等々力駅から、南へ。
途中、崖下に、下ってみる。
すると、そこには、鬱蒼とした、木々、まさに、深山幽谷。
前知識は、あったものの、実際、その場に、立ってみると、やはり、驚いてしまうな。
本当に、ここは、東京の、区内なのか、という驚き。
普通の、山の手住宅地なのに、忽然と、渓谷が、あるのだ。
まるで、どこか、山地に、紛れ込んだ感じ。
いったい、どうして、このような、景観、地形が、できあがったのだろうか。
等々力渓谷を、流れているのは、矢沢川なのだが、本来、南へ、向かっていた、川筋、等々力付近で、東へ、折れ曲がり、そのまま、東へ。
今の、九品仏川を、辿り、呑川に、合流していたらしい。
それが、いつしか、南流を、妨げていた、丘陵地を、突破して、渓谷を、穿ち、多摩川に、流れ込むようになったのだ。
自然の造形、というわけか。
等々力渓谷を、南へと、歩いてみる。
(2012年7月記)

東急大井町線等々力駅(等々力三丁目 等々力商店街)

2013-05-29 04:49:10 | Weblog
等々力駅を出ると、長閑な商店街。
等々力商店街が、伸びている。
それほど、賑やかでもないのに、それなりに、商店街として、成り立っているのは、その周囲が、閑静な、山の手住宅地だからかな。
近くに、有名な、等々力渓谷もあって、来訪者も、そこそこにはいるし。
ところで、等々力、という地名、かなり、珍しいように、思えるのだが、なにか、謂れはあるのだろうか。
実は、実際、急流の川縁など、水音が、響き渡るような、場所には、「とどろき」、という地名は、少なくはないようだ。
そう考えると、等々力、という地名、珍しいようだが、それほどではないらしい。
もっとも、そもそも、その、響き渡る、水音を、聴いている、住民が、付近に、住んでいなければ、地名にしようなぞと、思い至るはずもなく、そういった意味では、特別な、地域では、あるのだろう。
今回は、等々力渓谷に、行ってみる。
(2012年7月記)

東急大井町線等々力駅(東急大井町線等々力駅駅舎)

2013-05-28 04:42:02 | Weblog
二子玉川駅で、東急大井町線に、乗る。
緑の多い、住宅地を、通る、長閑な、路線。
長閑、といっても、田舎びた、という感じではない。
世田谷区、なので、やはり、閑静な、山の手住宅地、といってところか。
ただ、高度成長期の頃は、当時の、写真で見ると、本当に、田舎。
普通に、地方の、田舎、という感じ。
おそらく、高度成長を、達成した、安定期、その後の、バブル期に、閑静な、住宅地へと、変わっていったのだろう。
そういえば、田園都市も、同じ頃だ。
当時、地方、郊外が、野放図に、整備され、どんどん、きれいに、なっていったっけ。
田園都市が、新しい、雰囲気があるとすると、このあたり、東急の、沿線は、落ち着いた、ちょっと、古い、イメージ、という違いは、あるけど。
車窓の、風景を、眺めながら、そんなこと、考えているうち、等々力駅に、到着。
ホームに、降り立ち、改札へ。
(2012年7月記)

田園都市線二子玉川駅(二子玉川東第二地区開発計画工事現場)

2013-05-27 06:11:56 | Weblog
ペデストリアンデッキから、地上に降り立ち、東へ。
すぐに、二子玉川東第二地区開発計画の工事現場。
高層オフィスビルを、建設している。
巨大商業施設と、高層住宅の、真ん中あたり。
駅、商業施設、オフィスビル、高層住宅、このような、配置に、なんらかの、意味があるのか、どうか、わからないが。
とりあえず、二子玉川駅の、周辺に、すべて、揃う、ということになる。
ほんの、ちょっと、昔、ここらへんに、八百屋や、魚屋が、あったなんて、信じられないな。
そういえば、当時、二子玉川に、寄ったとき、小さな、古本屋で、時間潰しに、古い、漫画を、買ったかもしれない。
どこにいってしまったか、わからないが、部屋の中、探せば、あるかな。
あっても、どうということもないけど。
時代が、流れていく。
それだけだ。
二子玉川駅に戻る。
(2012年7月記)

田園都市線二子玉川駅(二子玉川駅東口 東へと伸びるペデストリアンデッキ)

2013-05-26 07:11:07 | Weblog
巨大な、商業施設、二棟を、擁し、その中央には、広い、吹き抜け空間。
外から見ると、一体となった、さらに、巨大な、建築物に、見える。
品川駅東口にある、建物群に、似ているようだ。
そして、その、商業施設の、東側、さらに、ペデストリアンデッキが、伸びようとしている。
ずっと、先には、最近、完成した、高層住宅群。
最近、多い、駅前再開発を、拡大したような、感じになるのだろうか。
都心と、直結する、半蔵門線、田園都市線。
その駅、二子玉川駅。そして、駅と、直結する、広大な、住空間。
整備された、空間から、外に、出なくとも、用が、足りてしまうわけか。
ペデストリアンデッキが、伸びようとしている、その、先へ、行ってみる。
(2012年7月記)

田園都市線二子玉川駅(二子玉川ライズ タウンフロントとリバーフロントの間にあるガレリア)

2013-05-25 04:19:45 | Weblog
高田馬場駅から山手線。
渋谷駅で下車。
西口に出て、地下に降りていく。
地下街は、相変わらず、レトロな感じ。
いつまで、残るのか、わからないけど。
さらに、下ると、田園都市線の、改札口。
田園都市線に、乗る。
渋谷駅までは、地下鉄半蔵門線。
渋谷駅から先は、田園都市線だが、しばらくは、地下鉄のままだ。
地上の、首都高渋谷線の、高架と、セットで、作ったらしい。
地下にしか、建設する、余地は、なかっただろう。
もっとも、ひょっとすると、今、作るとしたら、高速道路のほうも、地下に、なったかもしれない。
などと、考えているうちに、地上へ。
地上に出ると、ほどなく、二子玉川駅。
駅西側へ出る。
かつては、古い、商店街などが、あったのだが。
今は、まったく、様変わり。
整備された、空間が、広がるのみ。
(2012年7月記)

東西線茅場町駅(日本橋茅場町一丁目 霊岸橋)

2013-05-24 04:45:40 | Weblog
新亀島橋、についてだが、江戸時代から、架かっている、亀島橋に、次いで、架けられたからだろう。
架けられたのは、明治時代の、初め頃。
明治時代になり、より、一層、都市化が、進んだからかな。
ちなみに、新亀島橋から、西に、伸びる通りは、東京駅まで、達している。
日本橋桜通り。ずっと、続く、並木道。
緑が、美しいのだが、都心の真ん中に、こんな、通りがあるというのは、不思議な感じがする。
さらに、北へと、歩いていくと、永代通り。
そして、亀島川には、霊岸橋。
架けられたのは、いつかは、わからないようだ。
江戸時代には、もう、あったらしい。
霊岸島自体が、江戸時代の、前半に、埋め立てられ、整備されていた土地なので、その頃から、すでに、架かっていたのだろう。
永代通りを、西へ。
すぐに、茅場町駅。
ちょうどいいので、茅場町駅、東西線で、帰るとする。
今度、来るときも、あまり、変わっていにだろうな、と思いつつ。
(2012年6月記)

東西線茅場町駅(日本橋茅場町二丁目 新亀島橋)

2013-05-23 04:59:44 | Weblog
日比谷神社、日比谷、というと、江戸時代前の、日比谷入江、のことだろう。
ここから、はるか、西側にある、日比谷公園も、日比谷入江から。
また、新橋の、南側にも、日比谷神社があるが、こちらも、同じ。
これらの地域、今となっては、あまり、関係ない、地域だが。
江戸時代以前、日比谷入江が、埋め立てられる前、それぞれ、日比谷入江の、西岸だったり、東岸だったり、したのだろう。
なんとなく、日比谷入江を、埋め立てたなら、その、真ん中が、日比谷になりそうだけど。
でも、実際は、その、周囲が、日比谷に、なるようだ。
ひょっとしたら、日比谷入江を、挟んで、行き来があったり、交流があったり、したのかもしれない。
船運があれば、それは、可能だし。
つまり、日比谷入江を、介して、繋がりがあった地域が、日比谷、という、名前を、残している、ということなのかもしれない。
などと、考えているうちに、亀島橋を、過ぎ、新亀島橋。
(2012年6月記)

日比谷線八丁堀駅(八丁堀二丁目 日比谷稲荷神社)

2013-05-22 03:57:29 | Weblog
北へ歩いていくと、再び、桜川公園。
八丁堀跡なのだが、北側へ、横切る部分、八丁堀が、あったころは、稲荷橋、だったようだ。
橋の名前、稲荷は、さっき、訪れた、鉄砲洲稲荷神社、のこと。
江戸時代、稲荷橋の、南側、袂に、鉄砲洲稲荷神社は、あったのだ。
八丁堀跡を、越えて、さらに、北へ。
しばらくすると、東側、亀島川に、架かる、高橋。
橋が、架けられたのは、江戸時代の、前半。
下を、潜る、船が、多かったので、橋桁を、高くしたらしい。
それで、橋の名前は、高橋。
さらに、北へ、歩いていく。
ほどなくして、東側、亀島川沿いには、日比谷稲荷神社。
小さな、祠が、ある。
(2012年6月記)