retifの都市探検日記(高層ビル編)

東京の街並みなどを報告します

半蔵門線半蔵門駅(紀尾井町 清水谷公園の池)

2011-12-31 07:31:53 | Weblog
紀尾井町通り、南へ、歩いていくと、すぐに、東側に、清水谷公園。
本降りの雨なので、さすがに、誰もいない。
公園に入ると、大きな池がある。
一帯は、江戸時代、紀州藩徳川家上屋敷の敷地。
ひょっとしたら、屋敷内の庭園だったのかな。わからないが。
それと、もう一つ。
この場所は、明治維新の大立者、大久保利通が、紀尾井坂の変、で倒れた場所。
ところで、紀尾井坂は、さっき、通ってきた、清水谷坂の、さらに、西側で、この場所ではなく、では、なんで、紀尾井坂の変、と呼ばれるのか、わからない。
もっと、わからないのは、大久保利通は、自宅の、霞ヶ関から、現在、迎賓館のある、赤坂御用地、当時の、赤坂仮皇居へ、向かう途中、変に遭ったのだが、赤坂見附あたりで、西へ、曲がるのが、道順としては、普通なのに、なんで、このような、遠回りを、したのだろうか、ということ。
常に、この場所を、迂回していたのか、または、何らかの、事前情報が、あって、その日だけ、迂回して、変に遭ったのか。
調べれば、わかるだろうけど。また、今度にしよう。
雨が、ますます、激しくなってきた。
もう、帰ろう。
季節は、春から、夏へ。
北側、麹町駅へ向かう。
(2011年4月記)

半蔵門線半蔵門駅(紀尾井町 紀尾井町通り)

2011-12-30 07:36:52 | Weblog
諏訪坂を、北へ北へと、歩いていく。
しばらくすると、新宿通りの手前に、東西に伸びる道路。
その道路に入り、今度は、西へ。
またしても、上り坂。清水谷坂だ。
それほど、急坂ではないけど、坂が多い。都心部は、存外に、地形が、起伏に富んでいる、ということか。
坂の途中、南へ曲がる。
そして、今度は、溜池、谷地に向かう、下り坂。
東側に、プリンスホテル、西側に、ホテルニューオオタニ、の敷地が広がっている。
だからだろうか、とても、華やかな感じ。
実際、高級ブランドの店舗も多いようだ。
そんなふうになったのは、いつからだろう。
たしか、バブルの頃かな。
でも、今日は、ざーざー降りの雨のためか、それとも、もはや、そのような、景気のいい時代ではないためか、あまり、ぱっとしない雰囲気。
特に、用もないので、どうでもいいけど。
(2011年4月記)

半蔵門線半蔵門駅(平河町の手付かずの森 参議院新清水谷議員宿舎計画地)

2011-12-29 07:35:32 | Weblog
西へと歩いていくと、南北に伸びる、諏訪坂のある、通り。
プリンス通り、とも呼ばれているらしい。
プリンスホテルに面しているからだろう。
まわりは、落ち着いていて、閑静な雰囲気だ。
そんな通りを、北へと、歩いていく。
しばらくると、プリンスホテルの北側あたり、ある道路が、西へ。
不思議な感じがするので、ちょっと、その道に、入ってみる。
ちゃんとした道なのに、まわりは、手付かずの、原生林。
鬱蒼とした、森林地帯。
都心の真ん中に、なぜ、このような場所があるのだろうか。
某施設の予定地だったのだが、計画は、頓挫、そのまま、捨て地になっている、ということらしい。
こうした、閑静な場所にも、不可思議な場所が、あるわけか。
緑があることは、いいんだけど、公園、あるいは、庭園、でもないからなあ、どうなんだろう。
もうこれ以上、進めないので、引き返す。
再び、閑静な、プリンス通りへ。
(2011年4月記)

半蔵門線半蔵門駅(JA共済ビル)

2011-12-28 04:55:40 | Weblog
平河町レジデンスの、すぐ、南側には、JA共済ビル。
ともに、最近、竣工している。(工事中はこちら
他にも、周囲には、いくつかの、高層ビル。
いつの間にか、ビル群の様相を呈している。
南側の、永田町あたりから、高層ビルが、建ち始めたのだろう。
そういえば、バブルの終わり頃、ここらへんに、始めてきたのだが、西側の、紀尾井町、北側の、麹町、番町、それらの山の手に、比べ、普通の街並み、という感じがしたな。
桜田門あたりにかけて、谷地に、なっているからだろうか。
谷地は、住環境が、よくないので、山の手には、ならないのだ。
そして、そのような、谷地や低地には、高層ビルが、建っていく。
そんな、平河町界隈、歩いていると、ますます、雨が、激しくなってきた。
今日は、朝から、雨。
春のような、しとしと降る雨ではなく、ざっと降る、スコールのような、初夏の雨だ。
もう、そんな季節になっていたのか。
西側、紀尾井町の方へ、歩いていく。
(2011年4月記)

半蔵門線半蔵門駅(平河町レジデンス)

2011-12-27 04:56:21 | Weblog
高田馬場駅で、東西線。九段下駅で、半蔵門線に乗り換える。
半蔵門駅で下車。
地上に出ると、東西に伸びる、幅広の、新宿通り。
一帯は、麹町、番町の台地。
山の手、といったところだが、新宿通り沿いにだけは、高層ビルが、建つ。
新宿からの影響が、新宿通りを、伝わってくるのだろうか。
そんな、新宿通りを、さっそく、歩いてみる。
昨今も、二棟、高層ビルの、工事中なのだ。
その工事も、とっくに、終わっているはず。
だが、終わっているはずの工事現場に、行ってみると、二箇所とも、まだ、完成しては、いなかった。
すっかり、あてが、外れてしまったな。どうしよう。
雨が、ザーザー降りだし。
ここから、南側、平河町で、高層ビルの、工事やっていたな。
ひょっとしたら、と、思い立って、とにかく、行ってみることにする。
南へと伸びる、道、緩やかな、下り坂。
その道を、南へ南へと、しばらく、歩く。
すると、はたして、高層ビルは、完成していた。
平河町レジデンスだ。(工事中はこちら
(2011年4月記)

東急池上線戸越銀座駅(戸越銀座駅ホーム)

2011-12-26 03:30:48 | Weblog
第二京浜の先にも、まだ、戸越銀座商店街が、続いている。
いったい、どこまで、続いているんだろうか。
おそらく、その先にある、中原街道まで、かもしれない。
そこまでいっている時間はないので、途中まで。
東急池上線戸越銀座駅、そこから、帰ろうと、思う。
ところで、駅名、戸越銀座駅、なのだが、最初は、平塚駅、の予定だったらしい。
東海道線に平塚駅が、すでにあり、本当にそうなるなら、東急平塚駅、という感じかもしれないけど。
町名が、平塚、なので、平塚駅。
さらに言うと、平塚、という町名は、平塚なる、塚から。
その塚は、中原街道の、西側、にあるそうだ。
中原街道自体、江戸時代より、前からある、相当に、古い道。
そうした、古い道の際にある塚も、やはり、相当、古いに違いない。
ご多分に漏れず、そのような塚には、いろいろな、伝説が、纏わり付く。
おそらく、古い塚なら、太古の古墳だったのでは、と思うのだが、わからない。
今度、来るとしたら、そういうところも、見てみようかな。
そろそろ、帰ることにする。
戸越銀座駅で、東急池上線、五反田経由。
(2011年4月記)

東急池上線戸越銀座駅(戸越一丁目 第二京浜)

2011-12-25 07:25:39 | Weblog
なぜ、このような住宅地に、さりげなく、日本庭園みたいな、場所が、あるのだろうと、思ってしまう。
ただ、さらに、南側一帯には、小中高校の敷地や、戸越公園。
こうした、施設が、集中するところ、かつて、大名屋敷が、あったのかもしれない。
実際、江戸時代、このあたりには、熊本藩細川家下屋敷があったのだ。
戸越公園内にも、池があるらしく、ひょっとしたら、池は、大名屋敷だった頃の、庭園の名残りだったのかも。
今度、戸越公園に、行くことになったら、もう少し、調べてみよう。
ということで、住宅地を、北へ、向かい、再び、戸越銀座商店街。
再び、西へと、歩いていく。
しばらく、進んでいくと、南北に伸びる、幅広の、第二京浜。
昭和の初めに、着工している、比較的、新しい、道路だ。
東側の東海道、及び、西側の中原街道の、バイパス、なのだろう。
新しい道路、だからかどうか、わからないが、開通当初から、電線、電話線は、埋設されていたらしい。
どうりで、景観が、すっきりしているはずだ。
第二京浜を渡り、さらに、西へ。
(2011年4月記)

東急池上線戸越銀座駅(豊町一丁目 国文学研究資料館の池)

2011-12-24 07:30:33 | Weblog
喧騒の中、静かな森、八幡神社の境内。
と、言いたいところだが、戸越銀座商店街が、そんなに、賑やかではなかったので、あまり、対照的な、静けさ、とも思えない。
そういえば、かなり昔、バブルが崩壊した頃だろうか、この場所に、来ているのだ。
季節は、夏だったかな。
とにかく、薮蚊がたくさんいて、たいへんだった。それだけ、記憶に残っている。
そのとき、もちろん、戸越銀座商店街も、通っているのだか、今よりも、ずっと、賑やかだったな。
時代の流れを、感じる。
八幡神社から、さらに、住宅地の中、南へ。
しばらくすると、国文学研究資料館。
特に、この施設に、興味があるわけでもない。
ただ、南側に、大きな、池があるのだ。
行ってみると、はたして、建物の南辺、すぐのところに、池。
樹木も、多く、幽玄な、景観だ。
(2011年4月記)

東急池上線戸越銀座駅(戸越二丁目 八幡神社)

2011-12-23 07:11:26 | Weblog
戸越銀座商店街を、西へと、歩いていく。
どこも、そうなのだが、あまり、賑やかとは、いえない。
シャッター街にならないだけ、ましな方かな。
そういえば、戸越銀座商店街、日本初の、銀座の文字を冠した、商店街らしい。
もっとも、山の手住宅街が、至近に存在するので、下町にあるような、庶民の、商店街とは、ちょっと、違うのかもしれないけど。
だから、銀座から、貰い受けた、煉瓦を、道に、敷いたから、というだけではなく、もともとは、そういう雰囲気が、あったんじゃないかな。
それはそれとして、もう一つ、戸越銀座商店街、というと、都心では、代表的な、商店街でも、あるらしい。
もし、三大商店街を、選ぶとすれば、確実に入るぐらい。
では、あとの、二つは、何だろう。
すぐに、思い浮かぶのが、江東区にある、砂町銀座商店街。
こちらは、純然とした、庶民の、商店街だ。
さて、あと一つを、選ぶとしたら、何かな。
思い付かない。
巣鴨の地蔵通り商店街。商店街、というより、観光地化されているから、入るかわからないな。
そんなことを考えているうち、戸越銀座商店街の半ば。
途中、南に曲がり、そのまま、南へ進む。
すぐに、八幡神社がある。
(2011年4月記)

東急池上線戸越銀座駅(戸越一丁目 戸越銀座商店街)

2011-12-22 06:09:14 | Weblog
再開発地の南側を、東西に伸びる、百反通りを、西へ。
上り坂になっている。
さすがに、この、百反通りから、南へは、再開発、拡大しないようだ。
上り坂、ということは、台地、山の手。
山の手住宅街では、再開発は、施行されないし、高層ビルも、建たない。
結局、都心部に、再開発が、集中する、といっても、山の手以外に、場所は、限られているのだろう。
などと考えながら、百反坂を、上りきり、途中、南へ。
住宅地の狭い通りに、入っていく。
こんなところに住んでいたら、世の中の見方、考え方が、変わってしまうだろうなあ。
想像も出来ない。
くねくねと、迷路のような、細い道を、歩いていく。
概して、山の手住宅地、こうした、迷路のような道路が、多い。
おそらく、外部から、隔絶している地域、だからだろう。
つまり、こうして、入ってくると、方向を、見失うのだ。
現に、どっちがどうだか、もう、わからない。
だが、方向は、わからなくても、高低差は、わかる。
ということで、坂を、下っていくと、東西に伸びる、戸越銀座商店街。
山の手から、脱した、気分だ。
(2011年4月記)