retifの都市探検日記(高層ビル編)

東京の街並みなどを報告します

りんかい線国際展示場駅(有明南プロジェクト)

2009-06-30 04:40:03 | Weblog
ビッグサイトに別れを告げ、北へ。
ペデストリアンデッキで、通りを越え、階段を降りて、再び、シンボルプロムナード公園に降り立つ。
シンボルプロムナード公園の東側、ビッグサイトの、通りとゆりかもめの高架を挟んで、北側に、有明南プロジェクトの工事現場がある。
この不景気に、よく、着工したものだ、と思ったけど。そういえば、同じような、工事現場が、横浜の、みなとみらいにもあったな。
たぶん、計画段階では、まさか、こんな、どん底景気になるとは、思わなかったし、工事を中断しようにも、できないところまで来ていたので、着工したまでのことだろう。
つまり、着工したのは、ちょっと前の、実感はないけど、だらだら長かった、好景気の影響かな。
たしか、さらに、ここ以外にも、再開発の動きが、始まっていた、と思うのだが。
バブルの崩壊以来、荒涼とした更地が広がったままだったのだが、高層ビルが、続々と、建って、久々に、活気が出てくるはずだったのに。どん底不況がやってくるとは、うまくいかないものだな。
ちなみに、その他の、再開発地、というのは、フジテレビの南側、そして、そのさらに、南側。もう一つは、その東側の、パレットタウンだ。
もっとも、まだ、着工予定は、先のことなので、横浜のみなとみらいのように、中断しているわけではないが。
ただ、もし、着工時期が、今頃だったら、間違いなく、工事は、延期だったろうけど。
ということで、臨海副都心は、まだまだ、荒野の状態が、当分、続きそうだな。
残念ではあるが、一方では、ほっとした気持ちも、少しある。
こんな風に更地が広がる、臨海副都心は、たしかに、失敗であり、無駄、なのかもしれない。
それでも、目の前に、ちゃんと、存在し続けているのだ。
そのような姿を見ることによって、ひょっとしたら、成功と失敗の狭間で、神経を擦り切らせた向きには、この広々とした、荒野、気が休まるのかも。
そんな気がするからだ。
(2009年3月記)

りんかい線国際展示場駅(ビッグサイト)

2009-06-29 04:00:30 | Weblog
シンボルプロムナード公園を今度は、南へ南へと進む。
階段を登り、ペデストリアンデッキに出ると、その先には、ビッグサイト、東京国際展示場がある。
りんかい線の駅名になっているが、最寄駅にしては、ちょっと離れているかも。
むしろ、最寄駅として、便利なのは、ゆりかもめの国際展示場正門駅だろうな。
ところで、ビッグサイトは、バブルの熱狂の中オープンした、幕張メッセ、パシフィコ横浜に続き、満を持して、登場したのだが。
しかし、すでに、その頃には、残念ながら、バブルは、崩壊。
ビッグサイトのオープンは、無駄な「ハコモノ」の登場、ということで、逆風、吹きまくりだったな。
たしか、臨海副都心の宣伝のために予定されていた、都市博覧会の中止論議が、大いに、盛り上がっていたのも、同じ時期だ。
結局、都市博覧会は、中止になったが。
ただ、このような、都市博覧会の中止、無駄な「ハコモノ」論が、盛り上がりすぎて、実際に、都市博覧会を開催した場合よりも、宣伝になったような気もするけど。
ということで、ビッグサイトは、苦難のオープンをするのだが、頻繁に訪れることはないものの、意外と、コンスタントには、来ているな。
もっとも、最初の頃は、たしかに、近未来的な、空間に、目を奪われたものだが。
でも、今は、そもそも、ビッグサイト自体が辺鄙なところにあるし、展示場内は、動く歩道はあるけど、やたら広くて、歩き回っていると、とても疲れる。(ひょっとして、地面を歩くよりも、建物の床上を歩く方が、疲れるのかな)
なんか、地方の赤字ローカル飛行場(行ったことはないけど)みたいだ。
でも、今となっては、むしろ、それが、いいのかもしれない、と思っている。
ぐったりした体を休めるために、閑散とした、レストランに入ったり、あるいは、外に出て、荒涼とした更地を、ぼーっと、眺めたりしていると、今の世の中から、逸脱したように思えてしまうからだ。
期せずして、旅行気分、ということかな。
そのような気分、バブルの残した、ささやかな、遺産、の一つなのかもしれない。
(2009年3月記)

りんかい線国際展示場駅(ホテルサンルート有明)

2009-06-28 07:14:20 | Weblog
高田馬場駅から山手線へ。
と、思ったら、山手線は、全面的にストップしていた。
仕方ないので、とりあえず、西武新宿線で、新宿駅まで行ってみる。
新宿駅に着いたところで、気付いたが、これなら、高田馬場駅で、いったん、JRの切符を買っておき、振替輸送の切符を貰って、西武新宿線に乗るべきだったな。
JR新宿駅に入るが、いまだに、山手線は、止まったまま。
そこで、前回の湘南新宿ラインのことを、思い出し、そちらのホームに行ってみる。
果たして、ホームには、車両が停まっているではないか。急いで、乗り込むが、いっかな、動く気配がない。
山手線が、止まると、平行している、JRの路線も、止まってしまうのだ。
まんじりともせず、車内で待っていたが、ようやく、動き出す。
もっとも、その頃には、山手線は、すでに、動き出していたようだが。
やっと、大崎駅に辿り着き、りんかい線へ。臨海副都心に行くのは、久しぶりだな。
国際展示場駅で下車。
今日の天気は、花曇り、といったところか。
桜は、咲いたのに、あまり、ぱっとしない感じ。ちょっと、寒いし。たぶん、この間まで、あまりに、暖か過ぎたので、その反動が、今、来ているのかも。
駅南側の広場に出て、南へと歩く。
シンボルプロムナード公園に入って、西へ。
ちょっと、歩くと、公園の北側に、ホテルサンルート有明がある。(工事中はこちら
ここに、こうして立つのは、一年振りかな。
その時の光景が、今も、記憶に残っているので、完成したばかりの、ホテルサンルート有明を見ると、突然、ぽこっと、高層ビルが、現れたように思える。
それに、あの頃は、あと、数ヶ月経てば、どん底の不景気が、到来するとは、夢にも、思っていなかったしな。
隔世の感あり、とは、まさに、このことなのかな。
(2009年3月記)

京浜東北線桜木町駅(横浜三井ビルディング再開発)

2009-06-27 07:08:58 | Weblog
幅広のいちょう通りを、西に歩く。
途中、南北に伸びる、みなとみらい大通りとの交差点。
みなとみらい大通りに入り、北へ進む。
好景気が、続いていれば、今頃、みなとみらいのあちこちで、建設用のクレーンが、何本も立ち上がっていたろうにな。
こうして、歩きつつ、まわりを、見渡してみると、それどころではないような感じだ。
さっき、訪れた、みなとみらい21中央地区42街区が、事実上、最後の着工みたい。
この着工、運良く、というよりも、運悪く、ということだろうか。本当は、着工を、見合わせたかったかもしれないからだ。
さらに、北へと歩いていく。
みなとみらい大橋の手前、東西に伸びる、幅広のとちのき通りとの交差点がある。
交差点の北西側には、日産の高層ビルが建設中。もう、かなり、できあがっているようだが。
このビルを建てる時、まさか、数年後に、こんな、どん底景気になっている、なんて、思わなかっただろうな。
まさに、天国から地獄へ、というところ。
このような、激しい浮き沈みを、見ると、ちょっと前に、見た、ランドマークタワーとクィーンズタワーの間にある、宙をうねっている銀色のオブジェ、「モクモク ワクワク ヨコハマ ヨーヨー」、を思い出す。
再開発地、みなとみらい、の歴史を振り返って、今さら、「ワクワク」することは、まず、ないんだろうけど。
「ワクワク」ではなく、むしろ、「きりきり舞い」、だろう。
とちのき通りを、西へ西へと歩く。
工事中の日産ビルの西側には、横浜三井ビルディング再開発予定地がある。
さすがに、まだ、着工はしていないようだ。
もし、完成すれば、帷子川を挟んで、すぐ北側には、横浜そごうと橋梁で直結することだろう。横浜そごうは横浜駅と結ばれているので、みなとみらいが、いよいよ、横浜駅と直結するのだ。
でも、今は、残念ながら、それどころではない。
南北に伸びる、幅広で、交通量の多い、第一京浜に出て、北へ。横浜駅へ向かう。
夕方近くになって、初夏の陽気が、だいぶ、治まり、むしろ、だんだん、寒くなってきた。
上着を持ってきていて、よかったな。
(2009年3月記)

京浜東北線桜木町駅(みなとみらい21中央地区42街区)

2009-06-26 05:06:36 | Weblog
グランモール公園を、北へと歩いていく。
しばらく歩くと、東西に伸びる、幅広のいちょう通り。
その通りの北側には、みなとみらい21中央地区42街区の工事現場がある。
この不景気の最中、よく工事を始めたものだ、と感心してしまうが。
もっとも、計画は、景気がよかった頃にたてられたので、中断しようにも、それは、できなかったのだろう。
不景気だろうが、恐慌だろうが、工事に突入してしまったのかな。完成した頃には、景気が回復していることを、祈って。
そういえば、ちょっと前の、好景気、なに景気って言うんだっけ。
すごく長い、好景気だったらしいことは、覚えているのだが。
今となっては、もう、ぼんやりとしか、記憶にない。そうか、ぼんやり、で思い出したが、「かげろう景気」、と言うんだったな。まさかね。
たしか、バブル景気の頃だったか、もはや、景気循環は、コントロール可能で、未来永劫、不況は、やってこないだろう、などという、考えが、まことしやかに、語られたものだ。もちろん、信じてしまったけど。
あるいは、不景気も、ソフトランディング、軟着陸、なんて、言葉が使われていた。
今回の、崖を転げ落ちるような、不景気到来を、軟着陸、とは言わないだろうなあ。
いや、通常の不景気の真っ只中でも、軟着陸だ、なんて、あり得ない。
そんなことは、すべて、好景気の浮かれた頭で作り上げた、まぼろし、たわ言、あるいは、耳障りのよいペテン、なのだ。
だが、悪いことに、景気がいい時は、その、まぼろし、たわ言、を真に受けてしまうんだな。性懲りもなく。
そして、気付いてみたら、ぐずぐずと、坂道を、滑り落ち始め、さらに、もう、どうしようもなく、がらがらと、崖を、転がり落ちていく。
いつも、同じだ。
そんなことを続けていて、後に残るのは、ビルぐらいだな。
目の前の、工事中の高層ビルも、えらく景気の悪い時期に、めげずに、建てていた、という記憶が、少しは残るだろう。
ところで、今回の不況、なに不況、ていうんだろうか。まだ、名前は決まってないのかな。
(2009年3月記)

京浜東北線桜木町駅(みなとみらい横浜美術館前の噴水)

2009-06-25 04:19:16 | Weblog
ランドマークタワーとクィーンズタワーとの間の回廊を、北へと歩いていく。
東西に伸びる、幅広の、けやき通りを陸橋で越えると、グランモール公園に入る。
そういえば、今日は、桜もまだ咲かないのに、もう、初夏みたいな天気。春を、飛び越えてしまったのかな。
その影響からだろうか、公園を歩く、観光客の様子は、うきうきしたような、あるいは、はしゃいだような、そんな感じに見える。
公園内には、小川を模したような、人工のせせらぎがあり、この初夏の陽気の中、とても涼やかな雰囲気だ。
なぜか、人工の小川の先端には、体の大きな外国人が陣取り、水の流れを、じっと、ビデオカメラに収めている。
この季節外れの暑さの中、水の流れに、心奪われる、何かを感じたのだろうか。
もっとも、しゃがむような姿勢なので、背中をちょっと押せば、そのまま、小川に、頭から落ちそうでいて、面白い光景なのだが。
そういうことなら、ということで、自分も、真似して、噴水をカメラに撮ってみる。
その噴水のまわりでは、家族連れが、水と戯れていて、本当に、今は、春先なのか、と、戸惑ってしまった。
こんな風に、時ならぬ、初夏の陽気に、皆、浮かれているのかな。
噴水の向こうには、横浜美術館。
たしか、この美術館がオープンしたのは、バブル絶頂期、横浜博覧会の頃だ。
もっとも、横浜博覧会について、覚えているのは、毎日のように関東地方のニュースでやっていた、入場者数のカウントだけなんだけど。
そのカウントのことなのだが、最後の土壇場で、予定入場者数に達して、そのとき、本当に、これで、日本も安泰だ、という感じを、よく覚えている。
今から、振り返ってみると、入場者数なんて、どうでもいいことだ。やっぱり、バブルで、日本中が、浮かれていたのだろうか。
当時は、今日みたいな、時ならぬ、初夏の陽気のような状態、だったのかもしれない。
それにしても、今日は、暑い。まるで、春を、飛び越えてしまったみたいな天気。
桜も、まだ、咲かないのに。
(2009年3月記)

京浜東北線桜木町駅(クィーンズタワー前のオブジェ)

2009-06-24 05:01:48 | Weblog
ランドマークプラザを出ると、クィーンズタワーの南側に出る。
いつものことだが、妙なオブジェに、惹きつけられるな。
銀色に輝くステンレスの管が、宙をうねっているのだ。
もっとも、どんな謂れのある作品なのかわからないが。
探せば、どこかに、タイトルでも、あるかもしれないけど、いつも、その妙なオブジェを見上げるばかりで、通り過ぎてしまう。(タイトル名は「モクモク ワクワク ヨコハマ ヨーヨー」という)
後で、調べてみると、「たなびく雲」をイメージしているらしい。
そう言われてみれば、なんとなく、マンガに出てくるような、雲の形に見えなくもないが。
ただ、このオブジェを見て、自分が、まず思い浮かべるのは、ジェットコースターだ。
あるいは、雲、だとしても、もくもくと盛り上がる、積乱雲だな。
いずれにしても、ジェットコースターや積乱雲、ということなら、上下左右への、めまぐるしい動き、刹那的な動き、を感じてしまう。
たなびく雲、といった、穏やかな感じはしない。
ところで、このオブジェが、登場したのは、ランドマークタワーや、ランドマークプラザができた頃だ。
その頃は、まだ、隣のクィーンズタワーは、できていなかったので、このオブジェ、ランドマークタワーを背景にして、ちょっと離れたところから見れたかもしれない。もしそうなら、ランドマークタワーを山に喩えれば、まさに、その麓に「たなびく雲」、だったろうな。
とすると、実は、この作品、こんな風に、間近に、下から、見上げたりすることを、想定していなかったのかも。それに、いつも見るときは、背景に、クィーンズタワーが、迫るようにして、建っているのだが、もともと、そのクィーンズタワーは、なかったわけだし。
ひょっとして、クィーンズタワーが建った時点で、この「たなびく雲」は、喩えれば、ビル風によって、乱気流に変貌してしまったのかな。そう考えると、わかりやすいかも。
そうか、「乱気流」なら、ぴったりだな。
そして、穏やかな「たなびく雲」が、「乱気流」になってしまった様子に、今の世の中に翻弄されている自分が、心奪われるのは、当然かもしれない。
(2009年3月記)

京浜東北線桜木町駅(ランドマークプラザ)

2009-06-23 05:09:17 | Weblog
動く歩道で、首都高横羽線、みなとみらい大通りを越えていく。
東側には、日本丸メモリアルパーク、そして、深く入り込んだ、海。
行楽地に来たんだな、と実感させられる光景だ。
通路を歩いていくと、そのまま、導かれるように、ランドマークタワーの低層フロアに、吸い込まれていく。
このように、桜木町駅で降りた、観光客は、皆、ランドマークタワーに、誘導されるのだろうな。
誘導された先には、ランドマークプラザ。
デパート、あるいは、ショッピングセンター、となっている。
ここを、通過すると、幾分か、財布が軽くなっている、という仕掛けなのかな。
もっとも、自分は、来るたびに、毎回、ここに、誘導されているのだが、残念ながら、いつも、通り過ぎるだけだ。
もっと、チープなものでも、並べてあれば、少しは、食指が動くんだけど。
と、言いつつ、実は、煌びやかな、吹き抜けの、建物内部に、気圧されて、足早に、通過しているばかり。
そんなランドマークプラザなのだが、ランドマークタワーとともに、完成したのは、バブルの終わり頃だったかな。
ここから、壮大な未来都市が、出来上がるはずだったのだけど。いまだに、更地が目立つのは、東京の臨海副都心、と同じだ。
さらに言えば、相変わらず観光地然としているのも、同じ。
ひょっとしたら、観光地然とした、この賑わい、未来都市幕開きの、前座的な、余興だったのかもしれない。
主役が登場しないので、延々と、今に到るまで、その余興が続いているのだ。
そして、いつしか、その余興の方が、主役になって、未来都市は、観光地になってしまった、ということかも。
それはいいのだが、この先も、何度か、ここに来ることになるだろうけど、やっぱり、足早に、通過するだけだろうな。
その先にあったはずの、未来都市が、いまだに、頭から離れないから。
ここを通り抜ければ、その先に、未来がある、なんてことは、もうないんだけど。
自然と、足が早くなってしまうのだ。
(2009年3月記)

京浜東北線桜木町駅(動く歩道から見た首都高横羽線)

2009-06-22 04:30:13 | Weblog
辻堂駅へ。改札をくぐって、ホームへ立つ。まだ、ホーム、駅舎は、昔のひなびた感じだが。
たぶん、再開発が完成すれば、一新されることだろう。
湘南新宿ラインのおかげで、辻堂駅周辺も、都心の中に、組み込まれた、というわけだな。
賑やかになって、いいのかもしれないけど。
ほどなくして、東海道線の列車が来る。
再び、藤沢、大船、と過ぎていき、横浜駅へ。
桜木町駅へ行くつもりなのだが、本来は、大船駅で乗り換えるのだろうか。
なんとなく、いったん、急行で先の駅まで行き、各駅停車で、引き返してくるような、感じがして、ちょっと、後ろめたい気分だ。
ホームで待っていると、電車が遅れるとのアナウンス。一瞬、やはり、大船で乗り換えるべきだったか、と思ったけど、たしか、大船方面へは、京浜東北線と横浜線が、交互に乗り入れているので、どっちかは、来るはずだ、ということに気付く。
案の定、列車は、来たのだが、次のアナウンスによると、桜木町駅までしか、行かない、ということらしい。
自分は、もともと、桜木町駅が目的地なので、いいんだけど、ホームの乗客の多くから洩れた、落胆の溜息が、聞こえるようだった。
がらがらの車両に乗り、桜木町駅へ。
そういえば、この路線の隣には、かつて、東急東横線が、走っていたのだ。今でも、その高架は、廃墟になって、残っている。
結局、東急東横線は、みなとみらい線に乗り入れているけど、このがらがらの、桜木町駅止まりの車両を見ると、それは、正解だったかも、と思ってしまう。
でも、そうすると、この廃墟になった、高架は、どうするのだろう。いつかは、撤去、するんだろうけど。
まったく、思いつかないな。車道にするのもだうかと思うし、長大なペデストリアンデッキにするのもな、なんだし。
桜木町駅に着き、駅東側に出る。
いつものように、エスカレータに乗って、「動く歩道」へ。
細かいようだが、動く歩道、という名前の、ランドマークタワーへの、陸橋らしい。
もちろん、動く歩道、も付いている。
そんな動く歩道から、下を見下ろすと、掘割の底を、首都高横羽線が通っている。
初めて見たときから、不思議に思っているけど、なんで、掘割上部を、ネットのようなもので、覆っているのだろうか。
覆うぐらいだったら、蓋をして、上部は、広場へ、首都高は、トンネルにしてしまえば、いいような気もするけど。
ひょっとしたら、再開発による急激な変化で、そのようなことには、目が行かないのかも。(本当は、それなりの理由があるのかもしれないが)
目が行くのは、巨大なビルの、上ばかり。そして、再開発の行き先ばかりらしい。
賑わっていれば、それで、いいんだろうな。
(2009年3月記)

東海道線辻堂駅(辻堂駅北口の大規模な再開発)

2009-06-21 07:16:35 | Weblog
辻堂駅に戻るが、このひなびた地方駅のはずの、駅舎が工事中、となっている。
さらに、北口に行ってみると、見渡す限り、広い地域で、大規模に再開発中だ。実際、工事の結果、どんな建物が建つのか、わからないけど。
とにかく、新しい街を作っているらしい。
今までは、東側の、藤沢が、この地域の中では、中心的な大きな街だったのだろう。
藤沢駅には、南北に、小田急線が交差し、さらに、江ノ島電鉄が海岸へと伸びている。
このように、鉄道路線の結節点、なので、当然、地域の中心、となっているのだ。
ただ、はるか、大昔は、東海道と、北から伸びてくる、鎌倉道の結節点は、辻堂にあったらしい。
辻堂、という地名の「辻」は、この、東海道と鎌倉道の交差点、からきていたはずだ。辻堂の「堂」の方は、どこの、神社か寺社か、今となっては、不明だが。
その後、道路の要衝は、なくなり、さらに、隣の藤沢に、鉄道路線の要衝ができて、辻堂は、地方のひなびた、小さな街になったのだろう。
そして、ここにきて、大規模な街作りが始まっている、というわけだな。
将来は、どんな街になるんだろうか。
といっても、湘南という場所には、縁もゆかりも、興味も関心もないので、なんとも言いようがないけど。
たぶん、このような変化は、今日、乗ってきた、湘南新宿ライン、の影響が大きいように思える。
なにせ、新宿駅まで、1時間しか、かからないのだから。東京駅も同じぐらいかな。
リゾート地と郊外住宅地が、合体したようなものだ。そういう需要があるなら、このような、大規模な再開発、街作りも、行われるのだろう。
大昔は、道路の結節点が、重要だったし、ちょっと前までは、鉄道路線の結節点が、大きな街の、条件だったのだが。
今は、リゾート地、ということも、大切なことらしいな。
そんなことに思いを巡らせながら、ペデストリアンデッキから、北口の工事現場を眺めていたら、暑さでまいってしまった。
それにしても、暑い。暑い上に、用心のために、上着を持ってきてしまったので、荷物が、重たくて堪らないのだ。
早く、電車に乗ろう。
(2009年3月記)