retifの都市探検日記(高層ビル編)

東京の街並みなどを報告します

常磐線金町駅(金町駅南口駅前広場)

2009-11-30 07:01:41 | Weblog
高田馬場駅から東西線。大手町駅で千代田線に乗り換える。
千代田線は、そのまま、乗っていれば、車両はそのままで、常磐緩行線になっていく。
北千住駅を過ぎ、地上に出て、荒川を鉄橋で越えると、総武線沿線や、京浜東北線沿線などとは、ちょっと、違った、ローカルな雰囲気の街並みが窓外に広がる。
どう違うかというと、ちょっと、説明が難しいが。
敢えて言えば、新興の下町、ということかな。
千葉県方面や、埼玉県方面と違って、伝統や歴史の重さがないからだろうか、敷居の低さ、親しみやすさが、感じられるのだ。
列車は、綾瀬、亀有を過ぎ、中川を渡って、金町駅へ滑り込む。
金町駅で降り、改札を出て、南口へ。
常磐線沿線の中では、かつては、大きくて、賑やかな街だったらしい。自分も、以前、何度か、降り立ったことがある。
もっとも、自分が、初めて、来た頃には、もはや、寂れた街だったけど。
それでも、とにかく、南口、一帯に広がる、商店街の賑わい振りは、圧巻だったな。
この賑わい、地域の、交通の要衝だからだろう。
金町駅からは、京成金町線が伸びているが、沿線には、柴又帝釈天があるぐらいで、あまり、交通の便には、寄与しているとも思えないが。
たぶん、南側に、都心と茨城方面を結ぶ幹線、水戸街道が、通っていることが、大きいかもしれない。バスによる交通網が発達していた記憶があるのだ。
水元公園に行ったとき、金町駅で、バスに乗ったのだが、本数も多く、便利だな、と感じたものだな。
ただ、常磐線、というと、その沿線の郊外は、どうしても、松戸より先、柏、我孫子、取手、ということになる。
だから、郊外化が、進めば進むほど、金町駅周辺は、取り残され、忘れ去られた、街になっていくのだ。
そういう、寂れた街には、再開発の波が、押し寄せてくることになる。
そして、それを見るために、何年振りかで、この駅に、降り立つわけだ。
(2009年6月記)

日比谷線神谷町駅(虎ノ門五丁目六本木一丁目再開発予定地)

2009-11-29 07:28:43 | Weblog
桜田通りに戻り、再び、北へと歩いていく。
古川あたりから、ずっと、上り坂。
しばらくすると、交差点がある。どうやら、ここらへんが、尾根になっているみたい。
交差点を過ぎると、ちょっと、下り坂になるからだ。
それに、尾根を越えた、ということで、なんとなく、風景も変わる。
いままでは、川沿いの低地だったが、尾根を越えると、大袈裟だが、内陸の奥地、という感じ。
木々の緑も、気のせいか、深くなっている。
さらに、北へと進み、途中で、西へ。細い道に入る。
道は、俄かに、急な、上り坂。山間に分け入る雰囲気だ。
都心とは、思えない野趣な光景。
我善坊谷、というのかな。あるいは、仙石山、かもしれない。
前もって、調べてこなかったので、ちょっとわからないが。
とにかく、上へ上へと、登っていく。
仙石山、という、小さな石碑があるあたり、突然、視界が、開けてきた。
野原に出てきたわけでもなく、展望台に出てきたわけでもない。
家々がなくなった後の、更地が広がっているのだ。
新たな再開発が、始まろうとしているらしい。
かなり前から、風聞のあった、我善坊谷の再開発であろうか。
もっと、桜田通りの近くかと思っていたが。
目の前に広がる、更地を見ると、ほとんど、岡の頂上付近になる。
ひょっとすると、上のほうから、順次、再開発をしていき、最終的には、桜田通りまで、達するのかな。
つまり、谷地の方は、下町になっているので、再開発しやすいから、敢えて、上の方から、再開発を開始したのかもしれない。
今のところ、全体像は、よくわからないが。
更地を囲っている、柵に沿って、さらに、上へ登る。岡の尾根道に辿り着く。
尾根道を北へ歩けば、すぐに、南北線六本木一丁目駅の入口があるわけだ。
なるほど、交通至便、なのだな。
あとで、この再開発については、調べておこう。
もっとも、調べているうちに、工事は、始まってしまうのだろうな。
そして、かつての風景は、一変してしまう。すべては、思い出の中へ。
こうして、自分のまわりは、どんどん、思い出になっていく。
仕方のないことだな。
六本木一丁目駅から、南北線で帰ろう。
次、来たときには、思い出になっている場所を、後にして。
(2009年6月記)

都営大江戸線赤羽橋駅(南側から見上げる東京タワー)

2009-11-28 06:10:09 | Weblog
桜田通りを、再び北へ。
しばらく、歩き、東へ曲がる。
そのまま、東へ。坂を登っていく。
登りきったところに、遙かに高く、聳え立っている、東京タワー。
真下あたりまで行って、見上げてみる。
高さもさることながら、その燃えるような朱色には、目を奪われてしまうな。
まさに、エネルギッシュだった、高度成長期の日本を、今に伝えているようだ。
あの頃から、ずっと、東京の街に、立ち続けているわけか。
その後、東京タワーほどではないにしても、東京には、巨大な建造物は、どんどん、建っている。
それでも、東京タワーは、東京で、最も、有名な建造物に違いない。
そんな東京タワーなのだが、実は、登ったことはないのだ。
ひょっとしたら、子供の頃、連れられて、登ったことは、あるかもしれないが、よく、覚えていない。
バブルの頃に、一度か二度、近くまで来た折、登る寸前まで、いったけど。
でも、結局、いつでも来れる、ということで、東京タワーに、入ることはなかったな。
今も、こうして、見上げているわけだが、登ってみよう、なんて考えは、湧き上がってはこない。
たぶん、東京の景色の中に、完全に組み込まれてしまっているので、登るもの、という意識は、ないのかもしれない。
つまり、位置関係の基準、ランドマーク、というわけだ。
もし、東京タワーに登れば、そこからの景色の中に、もちろん、東京タワーは、ないわけで、そうなると、東京の景色としては、不完全、となってしまう。
そこまで、厳密に考えなくとも、ようするに、いつも、見えているので、敢えて、今、登ってみよう、という気が、起こらない、というだけなんだろうな。
ということで、今回もまた、東京タワーを見上げるだけで、引き上げることにする。
(2009年6月記)

大江戸線赤羽橋駅(パークハビオ麻布タワー)

2009-11-27 05:02:04 | Weblog
実は、何年か前に、一度、芝丸山古墳には、来ている。
当たり前なのだが、特に、変わったこともないし、感慨もない。
やはり、こういう場所は、前もって、知識がないと、楽しめないのかな。
今度、来るときは、もう少し、知識を持っていこう。
たしか、前方後円墳らしい、ということだけは、わかっている。
とすると、「丸山」が、後円、なのだろう。だが、前方、つまり、四角い部分は、どうなってしまったのだろう。
さっぱり、わからない。
とりあえずは、太古の昔、この一帯には、巨大古墳を、作ることのできた、集落があったことは、確かだな。
もう少し詳しく、見るのは、次の機会ということにして、先を急ぐことにする。
大通りに出て、西へ。
しばらくすると、桜田通りとの交差点。北へ曲がり、桜田通りへ。そのまま、北へと歩いていく。
しばらく、歩いていくと、桜田通りの西側に、パークハビオ麻布タワー。(工事中はこちら
最近、竣工している。
まわりを見渡すと、いちおう、住所は、麻布なのだが、さっきの、麻布十番や、その他、麻布が付くところの地域に比べれば、もっとも、庶民的な場所に見える。
古川の流域の谷筋だから、少しは、下町っぽいのだろうか。
地形的には、そう見えるが、なぜなのか、はっきりとは、わからない。
ただ、毎年、秋、かかし祭り、というお祭りで、大いに、賑わうときく。
そうだとすると、下町っぽいところは、あるに違いない。
そのような下町には、高層ビルが建つ、というわけか。
そして、何十年も経てば、この真新しい建物も、古墳と同じように、景色に溶け込んで、なんだか、わからないものになるんだろうな。
(2009年6月記)

都営大江戸線赤羽橋駅(芝公園芝丸山古墳)

2009-11-26 05:08:44 | Weblog
東へと歩き、麻布十番駅に戻る。
見慣れた、いつのも、駅前風景。ようやく、人心地がつく。
あれだけ垢抜けていれば、鄙びた温泉など、なくなるわけだな。
気を取り直して、さらに、東へと、歩いていく。
東へと流れる、古川の、北側を、平行している大通り。
上空には、首都高の高架が、沿うように、伸びている。
昔、歩いたときは、高架下に、工場や、飲食店があったように、記憶しているのだが、記憶違いなのかな。
今は、ほとんど、何もない。
でも、もし、さっき、見てきた、三田小山の路地のある街並みと、セットになっているとしたら、それは、あり得るようにも思うのだが。
今となっては、もう、わからない。
そんなことを考えながら、東へ東へと進む。
やがて、南北に伸びる、桜田通りとの交差点、古川に架かる橋、赤羽橋に辿り着く。
その先、大通りの北側一帯には、広大な、芝公園の敷地。
敷地内には、プリンスホテル、有名な増上寺などがある。
もっとも、明治時代より前は、この、芝公園全体が、増上寺だったわけで、芝公園の中に、増上寺がある、という言い方は、実は、変なのだが。
そこで、ちょっと、江戸時代まで、遡ってみてみる。
江戸時代の、増上寺の南側の西寄り、つまり、今の、プリンズホテルがあるあたりには、大きな、池があったようだ。
さらに、東寄りには、安国殿があったのだが、今は、芝東照宮になっている。
そして、大きな池と、安国殿の間には、円山、今で言うと、芝丸山古墳があるのだ。
そこだけは、変わっていないな。
プリンズホテルの東側あたりから、芝公園に入る。
公園といっても、雑木林が、広がっているばかり。おまけに、都心のそういう場所は、鴉がたくさんいるのだ。
雑木林の中、北へと入っていくと、ちょっとした、小山が聳えている。
頂上に登ってみたが、ここが、巨大な古墳だったなんて、まったく、思えない。
公園内のどこかに、ミニチュアの復元模型でも、展示してあれば、便利なのだが。
それにしても、遙かな、歴史の流れを、感じてしまうなあ。
(2009年6月記)

南北線麻布十番駅(取り壊し中の麻布十番温泉)

2009-11-25 06:11:05 | Weblog
それにしても、賑やかだな。
ただ、この、賑やかさは、どこかの、下町商店街の賑やかさとは、異質だ。
なんだか、日本橋と代官山を、足して、二で割ったみたい。
残念なことに、日本橋も代官山も、できれば、行きたくは、ない場所なんだけど。
ということで、足は早まり、どんどん、坂を登っていく。
登るにつれ、山の手住宅街の中へ。
ますます、困ってしまう。本当に、自分には、似合わない土地柄だなあ。
すぐに、踵を返して、もと来た道を引き返す。
そういえば、麻布十番温泉を見に来たのだった。
あまりに場違いな場所に来てしまったので、取り乱してしまったな。
少し、北側に向かうと、工事用の柵に、囲われた、一画があった。
間違いなく、麻布十番温泉の跡地だ。
最近、廃業したことは、知っていたけど、早くも、取り壊してしまったわけか。
まわりを見渡しても、温泉、という雰囲気は、微塵もないから、仕方がないのだろう。
スパ、とかの方が、お似合いかもしれないな。
もうなくなってしまったが、麻布十番温泉も見たことだし、早く、ここから、脱出しよう。
ところで、ここに来てみて、なるほどと、気付いたことが、一つだけある。
東京中を、こうして、巡って、あちこちの駅で、乗り降りしてきたわけだが、麻布十番駅は、とにかく、きれいな女性が多いのだ。目の保養になっていいのだけど。
はっきりとした、理由はわからないながらも、近くに、モデルさんの事務所みたいなものが、あるのかな、と素朴に思っていた。
麻布十番商店街に来て、ここが、その、きれいな女性の、発生源だとわかったのだ。
もちろん、商店街に、モデルさんの事務所があるわけではない。
ここから、坂を登った場所、麻布山の手住宅街から、来ているのだろう。
そうとわかると、やっぱり、という思いと、興醒めな思いが、ちょっと、湧き上がってくるな。
麻布十番商店街に来ることは、たぶん、もう、ないと思うので、どうでもいいことなんだけど。
(2009年6月記)

南北線麻布十番駅(麻布十番商店街南通り)

2009-11-24 04:18:25 | Weblog
橋を渡り、西に歩くと、すぐに、南北に伸びる、交通量の多い、幅広な、明治通り。
明治通りを、北へ。麻布十番駅あたりで、西へ曲がり、そのまま、街中を西へと進んでいく。
本当は、麻布商店街に行こうと、思っていたのだが、どうやら、その手前で曲がってしまったようだな。
もっとも、こちらも、商店街なので、どちらでも、いいんだけど。
西へと歩いていくと、道路の中央部にスペースがあって、そこだけ、川の中州のようになっている場所に出た。
以前、麻布十番駅ができる、ちょっと前のことだが、六本木ヒルズ工事現場周辺を、歩いていて、この場所まで、彷徨い込んだことがある。
商店街なんだけど、まるで、外国みたいだな、と、思ったものだ。
それに、えらく、閑散としていたなあ。
今のように、賑やかになるのは、近くに、南北線、大江戸線、と相次いで、開通したのが大きいだろう。
それ以前は、忘れ去られていたわけだが、山の手なので、寂れていたわけでもない。
ただ、山の手の商店街、というのも、あり得ないわけで、だから、外国のように、感じたのかもしれないな。
実際、客筋も、インターナショナルだったし。
山の手の住人は、基本的に、地下鉄ではなく、クルマを移動手段にしているのだろうから、そもそも、駅前商店街なんて、あまり、関係ないのだ。
六本木などもそうだが、地下鉄が、日比谷線しかないと、自分のような者にとっては、いかにも、陸の孤島に見えるものだが、クルマで移動していれば、孤島でもなんでもないだろう。
つまり、自分にとっては、ここらへんは、住む世界が違う、というわけだ。
商店街も、そういう、狭間で、なんとか、続いていたのかな。
(2009年6月記)

南北線麻布十番駅(一の橋二の橋の間の古川)

2009-11-23 06:29:13 | Weblog
古い街並みの道を、西へと進んでいくと、古川に辿り着く。
北側には、一の橋、南側には、二の橋。
その真ん中の橋で古川を越えていく。
一の橋と二の橋の真ん中なので、橋の名前がちょっと気になったが。
橋の上から、上流の方を眺める。
石垣を模したコンクリで固められた、垂直の護岸。その護岸に迫り出すように建っている家々。
高度成長期の古い写真を見ると、この光景は、驚くほど変わっていないな。
大きく変わったとすれば、首都高の高架があるかどうかぐらい。
将来的には、変わっていくかもしれないが。
この川が、今のような景観になったのは、たぶん、江戸時代かもしれない。
江戸時代に入り、今の、麻布十番、一の橋あたりから、海まで、改修工事を施し、流路を直線にしたのだ。
河川を運河に仕立てたらしい。海上からの物資を、船で直接、搬入できるようにしたのだろう。
さらに、その後、改修工事は、上流へと進み、最終的には、白金の方まで、水運が可能になった、ということだ。
ということは、江戸時代以降、古川は、川、というより、運河、といった方がいいのかもしれないな。
探せば、どこかに、江戸時代の遺構があるかもしれない。もっとも、そんな話は、聞いたことはないが。
ただ、ひょっとして、再開発が、古川の岸部まで、到達して、流域が、親水公園になったとすれば、江戸時代の光景を再現するような気もする。
そして、入り組んだ路地は、消えてしまうんだろうな。
この先、どうなるかわからないけど。
(2009年6月記)

南北線麻布十番駅(三田小山の古い路地)

2009-11-22 07:17:38 | Weblog
シティタワー麻布十番の南側を、西へ西へと、歩いていく。
まだ、一帯が、迷路のような、路地があった頃、この、細い道路までは、入り込めなかったな。
今、こうして、路地の奥にあった、道路を歩いているわけだが、でも、もう、路地そのものも、街並みも、すっかり、消えてしまったわけか。
消えてしまってから、歩いてみても、仕方ないんだけど。
シティタワー麻布十番を過ぎ、三田小山町地区再開発の工事現場を過ぎる。
すると、その先に、かつての、路地が、懐かしい街並みが、あるではないか。
まさに、こういう感じの街並みだったのだ。
よく残っているな。昭和の時代、そのままの風景。
と、思ったのだが、実は、こちらも、三田小山町C地区、という、再開発予定地らしい。
数年後には、消える運命なのだ。(今後の経済情勢によっては、わからないけど)
結局、古川に到るまで、再開発されることになる。
ちなみに、南側の、讃岐会館も、再開発されるようだ。
もっとも、こちらは、とくに、感慨はないが。
ただ、この讃岐会館の敷地内に、今、田町駅の近くにある、御田八幡神社の旧地があったらしい。
現在は、自由に訪れることは、たぶん、できないのだろうが、再開発されれば、見ることができるかも。
それとも、一緒に、消えてしまうのかな。
こうして、河川の流域の、取り残された一帯は、その姿を、変貌させていく。
そして、しばらく経って、訪れてみると、昔日の面影すら、なくなっている。
変わらないのは、古川の流れだけ。
儚いものだ。でも、儚いからこそ、そこに、様々な思いが、あるのかもしれない。
(2009年6月記)

南北線麻布十番駅(シティタワー麻布十番)

2009-11-21 06:57:27 | Weblog
一の橋を渡る。
越えた筈の古川は、その、すぐ先で、直角に、東側に曲がっている。だから、今度は、一の橋から、伸びている、道路の北側を、平行して流れる、ということになる。
その古川に沿うようにして、東へ。
古川の北側を、大通りが通っているためか、あるいは、川辺で、開かれた場所ではないためか、交通量も多くなく、まわりは、鄙びた感じだ。
都心とは、思えないほどに静か。歩くには、とてもいい。
そのまま、ずっと行くと、芝公園、赤羽橋に出る。
昔、逆方向、つまり、赤羽橋から、麻布十番へ、バスに乗ったことがあるな。
車窓から見る風景、一昔前に、タイムスリップしたみたいだった。
そんな通りを、しばらく、進んでいくと、道路の南側に、シティタワー麻布十番。(工事中はこちら
このような、忘れ去られた場所には、高層ビルが建つ、という、典型的な例だ。
さらに、西隣には、三田小山町地区再開発、というのも工事中。こちらも、じきに、完成するだろう。
これでは、もとは、どんな場所だったのか、もはや、さっぱり、わからないな。
シティタワー麻布十番の東側を南へと、歩いてみる。
この高層ビルの裏側、つまり、南側には、西へ伸びる細い道路。
なるほど、この細い道路と、古川までが、迷路のような路地のある、街並みだったわけか。
ふと、南側を見ると、コンクリでできた、神社。天祖神社だ。
この、妙に現代的なデザインの、コンクリ製の社殿、見覚えがある。
かつて、この場所に、来たことがあったのだ。
あの時、まさか、目の前に、こんな巨大な、高層住宅が建つ、なんて、予想もしなかった。
時代の流れを感じるなあ。
(2009年6月記)