retifの都市探検日記(高層ビル編)

東京の街並みなどを報告します

山手線新大久保駅(百人町一丁目 南に伸びる道路予定地)

2014-12-31 07:57:30 | Weblog
新しい道路、大久保通りまで、完成しているのだが、さらに、南へと、伸びるようだ。
山手線沿いに、職安通りまで。
甲州街道から、職安通り、は、もうすでに、完成している。
ただ、職安通りは、山手線の、下を、潜るため、掘割になっている。
この部分は、どうなるのだろうか。
このままだと、甲州街道から、大久保街道まで、直通できないことになる。
もし、直通するとなれば、交差点を、設置するのだが、とすると、南北に伸びる、通りも、掘割に、する必要があり、工事が、大規模に、なってしまうだろう。
先のことなで、そんなことを、考えても、仕方ないことだが。
山手線を潜り、さらに、西へ向かう。
(2013年1月記)

山手線新大久保駅(百人町二丁目 南北に伸びる新しい道路)

2014-12-30 07:11:38 | Weblog
北へ向かうと、東西に伸びる、大久保通り。
大久保通りを、西へ向かう。
この、大久保通りも、おそらく、江戸時代から、ある道路。
明治時代初めの地図を見ると、すでに、通りには、建屋が、並んでいる。
さっき、通った、職安通りも、同じだ。
とすると、江戸時代も、同じだったと、考えられる。
どうして、そのように、早くから、開けていたのだろうか。
おそらく、東西を結ぶ幹線、甲州街道の、存在がある。
甲州街道は、江戸時代の前、戦国時代、すでに、幹線道路だったので、そう考えれば、このあたり、開かれたのは、その頃と、思われる。
などと、考えながら歩いているうちに、新大久保駅近く。
新大久保駅の、東側には、開通したばかりの、新しい道路。
(2013年1月記)

西武新宿線西武新宿駅(大久保一丁目 全龍禅寺)

2014-12-29 08:03:14 | Weblog
宅地化されたのは、早かったのかも。
ただ、都心、郊外、という、枠組みが、形成されると、都心になる。
都心にあって、オフィスでもなければ、繁華街、商業地、でもない。
あるいは、麻布、のような、山手、でもない。
取り残された、住宅地。
取り残されているから、何も、変わらないのかな。
そんな、住宅地の中、西へと、歩いていく。
しばらくすると、全龍禅寺。
創建は、江戸時代の初め頃。
創建の地も、同じ。
このあたり、早くから、開けていたようだ。
(2013年1月記)

西武新宿線西武新宿駅(大久保一丁目 古い家屋)

2014-12-28 06:16:32 | Weblog
小泉八雲、というと、「怪談」。
今ある、妖怪話の、原初、なのかも。
当時は、明治時代の、終わり頃、住んでいるあたり、何も、なかっただろうな。
ただ、明治時代初めの、地図を、見ると、すでに、のち、職安通りとなる、道は、あり、さらに、北側の、大久保通りになる、道も、開通していた。
ということは、江戸時代から、すでに、道は、あったと、思われる。
実際、住宅地の道路も、短冊状に、なっていて、おそらく、江戸時代からある、畑の、畦道、と思われる。
とすると、小泉八雲が、住んでいたころ、すでに、「怪談」、の雰囲気が、あったのかもしれない。
その後は、宅地化され、都心の中の、住宅地。
今も、おそらく、高度成長期あたりの、民家が、残る。
(2013年1月記)

西武新宿線西武新宿駅(大久保一丁目 小泉八雲終焉の地)

2014-12-27 07:09:26 | Weblog
歌舞伎町自体も、ひょっとしたら、花園神社の、門前町、といえなくもない。
歌舞伎町は、歴史があるわけもないけど。
ただ、花園神社の北側、かつて、蟹川が、流れていて、どうも、その、源泉が、歌舞伎町あたりらしいのだ。
そこには、湿地帯、沼地が、広がっていたらしい。
とすると、花園神社、その沼地、そして、そこから、流れ出す、蟹川の、畔に、あったわけだ。
そんな、沼地の跡に、歌舞伎町があるとすると、その近くにあった、花園神社と、関わりがあると、考えた方が、自然な気がする。
などと、考えているうちに、東西に伸びる、職安通り。
職安通りを渡り、さらに、北へ。
住宅地となる。
住宅地の中には、小泉八雲終焉の地、という碑がある。
(2013年1月記)

西武新宿線西武新宿駅(歌舞伎町一丁目 ゴールデン街)

2014-12-26 05:41:14 | Weblog
四季の道遊歩道の、東側、花園神社との間には、ゴールデン街。
飲み屋が、並んでいる、一帯。
戦後の闇市が、移転してきたらしいのだが、その後、高度成長期、飲み屋が、集まる、飲食店街になり、そのまま、残ったようだ。
昭和のレトロな、街並み。
レトロテーマパーク、なのだろう。
だけど、実際は、花園神社の、門前街、のような気もするけど。
ゴールデン街を後にして、西へ。
区役所通りを、北へ向かう。
(2013年1月記)

西武新宿線西武新宿駅(歌舞伎町一丁目 四季の道遊歩道)

2014-12-25 05:45:51 | Weblog
歌舞伎町を抜けて、さらに、東へ。
たしか、歌舞伎町が、今のような、繁華街、というより、歓楽街、になったのは、バブルの頃、だろうか。
繁華街だけだったら、いいのだけど。
そんな、歌舞伎町の、真ん中、楔を、打ち込むように、巨大な、高層ビルが、建とうとしている。
この先、どうなるのか、わからない。
歌舞伎町の、東端に、達すると、南北に、四季の道遊歩道。
かつての、都電の敷地。
四季の道遊歩道を、南へ、歩いてみる。
(2013年1月記)

西武新宿線西武新宿駅(新宿東宝ビル工事現場)

2014-12-24 04:36:18 | Weblog
西武新宿線で、終点、西武新宿駅へ。
終点、といっても、西武新宿線の場合、事実上の、終点は、東西線と、乗り換えられる、高田馬場駅、だろうけど。
西武新宿駅は、どこの路線とも、連絡していない、おまけのような、駅だ。
一番、近いとすれば、都営大江戸線新宿西口駅だろうか。
次は、丸ノ内線新宿駅、かな。
ただ、偶然、場所が、近いだけで、乗り換えるのに、便利、というわけでもない。
あえて、便利、というと、歌舞伎町が、もっとも、便利だ。
ということで、今回は、歌舞伎町へ。
繁華街、東へと、進んでいく。
しばらくすると、新宿東宝ビルの工事現場。
(2013年1月記)

都営三田線白山駅(本駒込三丁目 本郷通り)

2014-12-23 08:09:35 | Weblog
吉祥寺をあとにし、本郷通りに出て、北へ。
このまま、歩いていけば、山手線駒込駅。
駒込駅から、山手線で、帰ることにする。
そういえば、八百屋お七と、松尾芭蕉、意外なところで、結び付いていたようだ。
八百屋お七は、大火災の先に、何を、見たのだろうか。
安住の地が、燃え尽きた、松尾芭蕉は、その先に、何を、見たのだろうか。
などと、考えているうちに、山手線駒込駅に着く。
もう帰るとしよう。
(2013年1月記)

都営三田線白山駅(本駒込三丁目 吉祥寺本堂)

2014-12-22 05:10:08 | Weblog
参道を、東へと、歩いていくと、本堂。
立派な寺院だ。
創建は、戦国時代の前、室町時代。
創建の地は、今の、江戸城、和田倉門あたり。今の、東京駅西口。
江戸時代になり、江戸城拡張のため、今の、水道橋あたりに、移転。
当時、水道橋は、吉祥寺橋、といわれていたそうだ。
さらに、しばらくして、江戸の町、拡大に伴い、今の地に、移転してきている。
ちなみに、江戸の町、拡大、というのは、直接には、明暦の大火後の、復興事業、ということだ。
そして、また、しばらくすると、八百屋お七に出てくる、天和の大火が起こる。
このとき、吉祥寺は、とくに、延焼したりは、しなかったのだが。
(2013年1月記)