retifの都市探検日記(高層ビル編)

東京の街並みなどを報告します

千代田線代々木公園駅(オリンピック記念青少年総合センター)

2013-11-30 07:10:38 | Weblog
参宮橋門を出ると、代々木公園西側に沿う、南北に伸びる通り。
通りを、北へ北へと、歩いていく。
しばらくすると、東側には、オリンピック記念青少年総合センター。
東京オリンピックが開催された折、選手村があったのが、その名残り、といったところか。選手村自体の建物は、別の場所で、残されているようだが。
それ以前は、アメリカ軍住宅地、ワシントンハイツ。
ここからは、もう少し、南側。
さらに、それ以前は、代々木連兵場が、あったらしい。
明治時代の終わり頃に、整備。
ちなみに、その翌年、代々木連兵場で、初めて、飛行機が、飛んでいる。
とすると、当時、すくなくとも、飛行場などは、存在していなかったわけだ。
おそらく、広大な、草原だったのだろう。
また、さらに、連兵場になる前、それ以前も、草原だったのかな。
通りを、再び、北へ、向かう。
(2012年10月記)

千代田線代々木公園駅(代々木公園参宮橋門への坂道)

2013-11-29 06:09:28 | Weblog
草原やら、森やら、その間を抜けて、西へ西へと、歩いていく。
他に、いろいろと、見所は、あるらしいのだが、とりあえず、代々木公園を、出ることにする。
やがて、長い、下りの、階段。
やっと、代々木公園から、出られそうだ。
今度来たときは、もう少し、ゆっくり、見て回ろう。
ところで、井ノ頭通りから、坂を上り、代々木公園、そして、こうして、坂を下っている、ということは、代々木公園自体は、台地になっているらしい。
そういえば、代々木公園が、整備される前は、オリンピックの選手村、その前は、アメリカ軍用の住宅地、ワシントンハイツ、だった。
ひょっとすると、高度成長期、目指すべきものは、そこにあったのかもしれない。
オリンピックを経て、高度成長を達成し、それを、手に入れたわけだ。
そして、こうして、自分は、その、高見から、降りていく。
(2012年10月記)

千代田線代々木公園駅(代々木公園 中央広場の噴水池)

2013-11-28 05:25:33 | Weblog
公園内、北へ北へと、歩いていく。
しばらくすると、噴水を擁した、大きな、池。
噴水は、代々木公園が、完成した、高度成長期の頃、勢いのある、時代を、象徴しているような、感じがする。
代々木公園が、整備される前は、東京オリンピックの、選手村。
噴水ぐらい、設置したくなるような、時代だったのだろうな。
そういえば、また、東京で、オリンピックが、開催されるようだ。
勢いを、失い、下り坂の時代。
そんな時代でも、オリンピックは、開催されるものらしい。
オリンピックで始まり、オリンピックで、終わる。
そういうのも、いいだろう。
(2012年10月記)

千代田線代々木公園駅(代々木神園町 代々木公園)

2013-11-27 06:10:09 | Weblog
郊外の道のようだが、意外と、交通量が多い。
郊外と、都心を、一直線で、結んでいるからだろうか。
そういえば、ここから、西側、山手通りあたり、拡幅工事を、していたと思う。
それだけ、混雑していて、渋滞している、ということなのかも。
かくのごとく、便利な、通りなのだが、道路自体は、渋谷の街に、入って、消滅してしまう。渋谷から先、伸びているわけではない。
あるいは、もし、伸びていたとしたら、これ以上に、混雑している、と考えるべきか。
などと、考えながら、東へ東へと、歩いていくと、北側、広大な、代々木公園。
もっとも、道路の、両側は、木々が、生い茂り、公園のようなのだけど。
さっそく、入口から、入ってみる。
崖を上り、森の中、北へ。
森を、抜けると、広々とした、原っぱ。
都心に、こんな場所があるとは、信じられない。
(2012年10月記)

千代田線代々木公園駅(神南一丁目 井ノ頭通り)

2013-11-26 05:02:37 | Weblog
宇田川の流路跡、南へと、歩いていくと、東西に伸びる、幅広の、井ノ頭通り。
並木を配した、まっすぐな、道路。
郊外のメインストリートのようだが、もともとは、水道道路、だったようだ。
水道管が、埋設されているために、まっすぐになる。
ただ、井ノ頭通りの場合は、ここから、西側、離れているが、和田堀給水所までなので、直線的な、道路は、やはり、郊外的なのかもしれない。
井ノ頭通りを、東へ。
しばらくすると、両側には、広大な、緑地。
井ノ頭通り自体は、南へ、折れ、渋谷に、向かうのだが、幅広の、通りは、そのまま、直進する。
緑地の中、まっすぐ、伸びる、大通り。
ますます、郊外の、ストリートのようだ。
(2012年10月記)

千代田線代々木公園駅(富ケ谷一丁目 宇田川跡)

2013-11-25 05:07:54 | Weblog
南北に伸びる大通り、北へ北へと、歩いていく。
しばらくすると、東西に伸びる、靖国通り。
あたりは、有名な、古本屋街。
最近は、あまり、というか、ほとんど、足を、運んでいないな。
交差点を過ぎ、さらに、北へ。駿河台への、上り坂。
西側には、明治大学の、敷地が広がる。
坂を、上りきると、御茶ノ水駅。
こちらも、来ないまま、ずいぶんと、久しい。
御茶ノ水駅の、南側を、東へ。
程なくして、新御茶ノ水駅。地下に降りていくと、千代田線のホーム。
千代田線に乗り込み、代々木公園駅で下車。
地上へ。降りたことは、おそらく、一回しかないので、まったく、土地勘がない。
とりあえず、南へ、歩いてみる。
歩道のような、不思議な、道。
どうやら、昔の、宇田川の、流路跡らしい。
ちょっと、辿ってみる。
(2012年10月記)

東西線竹橋駅(錦町トラッドスクエア)

2013-11-24 08:30:47 | Weblog
高田馬場駅から東西線。
竹橋駅で下車。
地上に出ると、南北に伸びる、大通り。
休日のためか、閑散としている。
そんな大通りを、北へ。
すぐに、東へと流れる、日本橋川。上空には、首都高都心環状線の高架。
錦橋で、渡る。
日本橋川の、南側は、大手町、丸の内の、高層オフィスビル街だが、北側は、小さい、雑居ビルが、多い。
北へ北へと、歩いていく。
しばらくすると、東西に伸びる、大通りとの、交差点。
その、交差点の、北西側には、錦町トラッドスクエア。
最近、完成した、高層オフィスビル。(工事中はこちら
大手町の、高層オフィスビル街が、北側へと、拡大したのだろうか。
(2012年10月記)

山手線鶯谷駅(根岸一丁目 下三島神社)

2013-11-23 05:22:18 | Weblog
もう、鶯谷駅の、駅前繁華街。
繁華街を、抜けていくと、突然、神社が、現れる。
鶯谷駅ホームからも、見える、下三島神社。
創建は、意外と、古く、鎌倉時代。
ただ、創建の地は、上野。
上野の丘陵地だったら、あり得る。
その後、江戸時代になって、しばらくして、この地の近くに、移転。
しばらくして、再度、浅草に、南側に、移転している。移転先には、今も、元三島神社は、あるようだ。
では、今、目の前にある、元三島神社は、どういうことなのだろう。
実は、神社を、移されては、困る、という、地元の、要望により、この地の、熊野神社と、合祀し、残したのだそうだ。
そのような、複雑なことはせず、もとの、熊野神社を、鎮守にすれば、よさそうな気もするが、そういうわけには、いかないらしい。
では、その、もとの、熊野神社は、いつから、鎮座しているのだろう。
もう、すっかり、わからないな。
ということで、帰ることにする。
鶯谷駅の改札へ。
(2012年10月記)

山手線鶯谷駅(根岸三丁目 言問通り)

2013-11-22 04:43:48 | Weblog
言問通り、鶯谷駅東側では、幅広で、陸橋まで、備えているが、特に、交通量が、多いとも、思えない。
陸橋も、立体交差のため、というより、西側、崖上の、台地への上り坂、緩やかにするためとも、思える。
大通りが、通っているとは、思えない場所に、こうして、通っていると、どうも、道に、迷って、しまうようだ。
言問、という、通りの名前にしても、由緒が、ありそうだが、実際、そういうことは、はない。
明治時代初め、向島、言問団子から、きている。
なにか、取って付けたような、大通り。
そのためか、江戸時代からの、長閑さが、なくなってしまったような、気もする。
言問通りから、西へ。
街中に、入っていく。
(2012年10月記)

山手線鶯谷駅(根岸三丁目 要伝院)

2013-11-21 04:46:23 | Weblog
うぐいす通り、南へ南へと、歩いていくと、東西に伸びる、幅広の、言問通り、に出る。言問通りを、西へ。
しばらくすると、通りの、北側には、要伝院。
創建は、江戸時代の、前半。
東側に広がる、下谷、根岸の、寺町が、完成した頃、だろうか。
今もそうだが、当時は、さぞ、長閑な、場所だったのだろう。
もっとも、江戸名所図会には、載っていないようだが。
おそらく、西側、崖上の、日暮里あたりが、長閑な、景観の、起源なのかもしれない。
江戸時代、そのような、佇まいが、東側、崖下へと、広がっていったのかも。
言問通りを、北西へと、歩く。
(2012年10月記)