retifの都市探検日記(高層ビル編)

東京の街並みなどを報告します

京浜東北線大宮駅(東町一丁目 氷川神社の参道)

2012-04-30 03:16:55 | Weblog
東へ進んで行くと、南北に伸びる、氷川神社の参道。
この、参道、とにかく、距離が、長い。
さいたま新都心駅あたりから、延々と、北側に、伸びているのだ。
ひょっとしたら、他にも、同じくらいの、参道は、他に、あったかもしれない。
ただ、時代を経るにしたがい、たいていは、いつしか、消えてしまうものだ。
実際、氷川神社の場合も、江戸時代に入って、中山道が、開通するとき、中山道に、組み込まれたらしい。
だが、しばらくして、すぐに、地元の要望で、西側に、中山道は、移されている。
それが、今の、旧中山道なのだが。
その後、明治時代、昭和の時代になってからも、消えてしまう可能性は、あったはず。
でも、なぜか、残った。
せっかく、残ったのなら、これからも、ずっと、あり続けてほしい気もする。
いつか、氷川神社にも、行ってみよう。
今回は、時間がないので、もう、帰るけど。
(2011年9月記)

京浜東北線大宮駅(グランドミッドタワーズ大宮)

2012-04-29 07:34:42 | Weblog
しばらくすると、南北に伸びる、カモメ通り。
カモメ通りに入り、今度は、南へ。
ほどなくして、東側に、グランドミッドタワーズ大宮。
スカイタワー、フォレストタワーの、2棟からなる、高層住宅。
最近、完成している。(工事中はこちら
ちょっと前、景気がよかったとき、その勢いで、できてしまったのかな。
ちなみに、昔の地図を、見ると、このあたりには、遊戯施設、娯楽施設、があったようだ。
開業は、高度成長期後半。
高度成長の達成、によるものだろう。
そういった、娯楽施設、バブルが崩壊すると、寂れはて、その跡地に、高層住宅。
レトロにすら、ならなかったわけか。
駅から、離れているし、仕方がなかったのかな。
グランドミッドタワーズ大宮の北側へ。
さらに、東へと、歩いていく。
(2011年9月記)

京浜東北線大宮駅(仲町二丁目 繁華街)

2012-04-28 04:54:01 | Weblog
しばらく、南へ、歩き、途中、東へ。
街中に入っていく。
旧中山道から、東側は、歓楽街、らしいのだが。
休日の、昼間だからだろうけど、それにしても、閑散としている。
おそらく、昔、郊外ではなくて、まだ、地方都市だった頃は、いちおう、それなりに、賑やかだったのだろう。
バブルの頃に、整備された、郊外に、なって、こうした、取り残された、一帯も、再開発される、かと思われたのだが。
結局、賑やかさは、なくなりはしても、その後、整備されることは、なかったらしい。
バブルが崩壊して以降は、都心回帰。
再開発は、都心、あるいは、都心と直結する、駅周辺に、限られるようになった。
それ以外は、寂れる一方。
もっとも、それは、どこも、同じことだけど。
さらに、静かな街中を、東へと、進んでいく。
(2011年9月記)

京浜東北線大宮駅(仲町一丁目 旧中山道)

2012-04-27 04:35:06 | Weblog
メインストリートを、東へと、歩いていく。
駅東口は、旧市街。レトロな街並み。
そういえば、最初に、大宮に来たとき、まさに、地方都市だったな。
このような、レトロな街並みが、大宮の街だった。
それが、バブル期あたりから、急速に、都心の郊外に、取り込まれていく。
地方都市ではなくなり、なにか、渋谷のような、垢抜けた、感じになっていったのだ。
バブルの頃までは、それでも、昔の、地方都市、残っていたのだが、バブル崩壊後、そのような街並みは、なくなっていった。
もっとも、それは、大宮、だけではなく、日本全国、どこでも、同じ。
しばらくすると、南北に伸びる、旧中山道との、交差点。
旧中山道に、入り、南へ、歩いていく。
旧中山道は、江戸時代の頃の街道、幹線道路だ。
とすると、江戸時代まで、こちらの方が、中心だったのだろう。
その後、西側に、鉄道が、開業したり、新しい、中山道が、開通したりして、中心は、西へ、移っていく。
そして、残された、旧市街は、ときに、歓楽街になったり、するのだ。
(2011年9月記)

京浜東北線大宮駅(大宮駅東口 メインストリート)

2012-04-26 06:09:47 | Weblog
高田馬場駅から、山手線。池袋駅で、埼京線に乗り換える。
赤羽を過ぎ、荒川を、越えれば、埼玉県。
さらに、北へ。
埼玉県は、久しぶりだ。
高層ビルが、建たないので、来る機会もないからだけど。
ちょっと前までは、あれほど、高層ビルが、建っていたのに。
当時は、バブルによる、地方の開発と、バブル崩壊後の、駅前再開発が、バブルが、遅れたことによって、重なったのかもしれない。
電車の車窓からは、いくつもの、並び立つ、タワークレーンが、見れたものだ。
列車は、しばらくして、大宮駅へと、到着。
エスカレーターを乗り継ぎ、上階へ。
エキナカで、賑わっているはず、なのだが。
あまり、そんな感じは、しない。
以前は、都心の商業施設かと、見紛うほどだったな。
気を取り直して、改札を、抜け、駅東口へ、向かう。
駅前広場に、降り立つと、目の前には、東へと伸びる、メインストリート。
(2011年9月記)

東急田園都市線あざみ野駅(あざみ野一丁目 早渕川)

2012-04-25 06:06:55 | Weblog
通りは、下り坂。
下っていくと、東に向かって、流れる、早渕川。
このような、川沿い、谷地は、普通、下町なのだが、さすがに、郊外山の手、田園都市には、それはない。
一様に、山の手なのだ。
川は、庭園に流れる、せせらぎ、みたいなものかな。
そんな、田園都市、なのだが、高度成長の後半から、徐々に、開発が始まり、高度成長を、達成した、安定期、バブル期、一気に、完成している。
そうした、歴史を、見てみると、山の手、田園都市、まさに、高度成長の、到達点だったのかもしれない。
つまり、日本の、坂の上、だったのだ。
その後、バブルは崩壊。
それでも、バブルの崩壊は、一時的なもの、また、安穏な時代は、戻ってくると、信じていたっけ。
たしかに、景気は、上辺だけは、回復した。でも、生活は、下り坂のまま。
いったい、どうしたことだろうと、不思議に思っているうちに、世界同時不況。
そして、もはや、下る一方の、今がある。
目の前の、田園都市、もう、二度とは、戻れない、坂の上、なのだ。
ここに来たとしても、すべては、思い出の中。
もう、帰ろう。
田園都市線、あざみ野駅に、向かう。
(2011年8月記)

東急田園都市線あざみ野駅(あざみ野駅東口の通り)

2012-04-24 06:07:20 | Weblog
こどもの国、そういえば、幼い頃、行ったことがある。
幼過ぎて、まったく、覚えていないけど。
さらにもう一つ、学校が、田園都市線沿いだったな。
さすがに、こちらは、覚えている。
覚えているだけではない。とても、懐かしい思い出。
懐かしさに、絆されて、途中、あざみ野駅で、下車。
ただ、田園都市線沿線、といえば、新興の、郊外、山の手。
山の手には、まったく、自分としては、縁がない。
でも、バブル以前は、一億総中流、だったのだ。
だから、当時、山の手とか、下町とか、気にならなかったな。
そう考えると、ひょっとしたら、田園都市線沿線、ではなく、一億総中流だった頃が、懐かしいのかも。
改札を抜け、東口、よく整備された、構内を、出ると、南北に伸びる、通り。
試みに、北へ、歩いてみる。
道路の、両脇には、街路樹が、並び、本当に、美しい景観。
(2011年8月記)

東急田園都市線長津田駅(長津田駅東急こどもの国線ホーム)

2012-04-23 04:39:30 | Weblog
長津田駅、北側は、東急こどもの国線のホームになっている。
そういえば、たしか、こどもの国線、昔は、通勤路線では、なかったのだ。
つまり、通勤に使われるほどに、運行は、頻繁ではなく、いわば、観光路線。
それが、この間の、ちょっと、景気が、いいとき、バブル時代再来、という感じで、沿線の開発を、あてこみ、通勤路線に、改良している。
その、少し前ぐらいに、長津田に、初めて、来た。
ちょうど、駅構内に、店が、出来ていて、活気が、あったっけ。
いちおう、こどもの国線にも、乗ってみた。
終点、こどもの国駅で、降りて、そのあと、線路に、沿って、長津田まで、ぶらぶら、歩く。
まわりは、一面、長閑な景色。
結局、あれから、どうなったのだろう。
景気のよさは、世界同時不況で、雲散霧消してしまったけど。
駅北口の再開発は、その代わり、ということだろうか。
そんなことを考えながら、田園都市線ホームへ。
やってきた、車両に乗り込む。
(2011年8月記)

横浜線長津田駅(長津田五丁目 長津田駅南口の古い建物)

2012-04-22 07:23:43 | Weblog
しばらくして、途中、北へ。街中に入る。
さっきの通り、バブルの頃に、建ったと思しき、瀟洒な、マンションも、あったりして、レトロだったが。
バブルの夢の跡、かもしれない。
駅南口は、さらに、古い街並み。おそらく、高度成長期以前。
江戸時代の、宿場町は、ほとんど、残っていないだろうけど。
そういえば、江戸時代が終わり、明治時代になると、八王子から、横浜へ、絹の道、浜街道が、開通し、賑わったようだ。
養蚕業が、盛んになったのだろう。
浜街道自体は、長津田よりも、南側だったが、後に、横浜線も、開通する。
大山街道の次は、絹の道、ということかな。
もっとも、それも、昭和の初め頃まで。
その後、どうなったのだろう。
そんなことを、考えているうちに、長津田駅に着く。
北口の、高層住宅が、完成したとき、もう一度、来るので、その時、調べようかな。
改札を抜け、長津田駅ホームへ。
(2011年8月記)

横浜線長津田駅(長津田五丁目 旧大山街道)

2012-04-21 07:35:02 | Weblog
再び、東西に、伸びる道に出て、東へ。
長津田駅に、戻る。
今、歩いている、この通り、名前は、旧大山街道。
大山街道は、江戸時代、東海道の、バイパスとして、かなり、賑わったらしい。
当時、長津田にも、長津田宿、が設置されている。
大石神社のあるあたりから、東側、宿場町が、続いていた、ということだ。
駅南にある、大林寺、あたりが、長津田宿の、中心だったかもしれない。
今回は、行っていないけど、次、この地を、訪れたとき、大林寺、訪れてみよう。
江戸時代の、長津田宿のこと、少しは、わかるはず。
このように、今は、閑散とした、通り、かつては、宿場町だったとすると、長津田駅南口は、旧市街、だったのかもしれない。
そんなことを、思いつつ、東へと、歩いていく。
(2011年8月記)