retifの都市探検日記(高層ビル編)

東京の街並みなどを報告します

南北線溜池山王駅(衆議院赤坂議員宿舎)

2008-01-31 06:24:13 | Weblog
さきほどのアークヒルズに向かって伸びる細い道に戻り、再び、南へ歩く。
少し歩くと、道路の東側に巨大な高層住宅の工事現場。そして、そのさらに東側に衆議院赤坂議員宿舎がある(工事中はこちら)。
北側には、赤坂溜池タワーもあり、一帯のビル群を形成しているのだろう。
工事現場のフェンスに沿って東側に歩いて行くと、日が暮れかかった、薄闇の果てに、眼前にぼうーっと衆議院赤坂議員宿舎のビルが浮かび上がってくる。
まったく、妙に奥まった場所にあるものだ。
こういう建物の性質上、おそらく、東側の外堀通り、南側の六本木通りなどの大通りからは、近付けないようになっているのだろう。
さらに、西側には、近接して巨大な高層住宅が建つだろうし、北側には、すでに赤坂溜池タワーも建っている。
大きな建物群に囲われたような感じだ。
眼下には、国会議事堂に霞ヶ関の官庁街。そして、皇居。
遠くには庶民の暮らし、それらを見下ろせる場所に建っている。
山の手一等地の高層マンション。
それが、衆議院赤坂議員宿舎、というわけか。
政治家というのも、ときに社会的な強者と相対しなければならない。そこで、同じ生活様式に慣れていなければならない、ということで、こういう暮らし方も必要なのかもしれない。
しかし、なんだか、その社会的な強者の仲間にでもなって、一緒になって、下界を見下ろしているような気もするけど。
同じ丘陵地から勝海舟は江戸の街を見て、その街が戦火に滅ぶのを防ぐために、西郷隆盛と会談する。
このような山の手一等地の高層マンションに暮らしている住人が、そんなことを間違っても、やってくれそうにないだろうな。
格差社会での負け組にならなくてよかったと思うぐらいだろうか。
(2007年8月記)

千代田線赤坂駅(新別館ビル)

2008-01-30 06:23:14 | Weblog
実は、永田町二丁目計画というのは、溜池山王駅の近くであった。
一つ先の永田町駅まで行ってしまったということだ。
永田町界隈を散策した、ということにしておこう。
西側の南北に伸びる大通り、外堀通りに出る。
この界隈は、昔、大いに賑わったのかもしれないが、今は、正月、山王日枝神社の初詣の時ぐらいだろうか。
西へ伸びるやや細い道に入る。赤坂通りである。
この赤坂通りから北側、青山通りまでは飲食店が並ぶ。
こちらも賑やかさよりも、おしゃれな感じの店が多いかな。
それはいいんだけど、木の丸太を街路樹のようにして道の両脇に並べるのは無粋だ。本当の街路樹にした方がきれいなのに。(一ツ木通りのことだが)
赤坂通りを進んでいくと、北側にTBSの敷地。大規模な再開発の工事中。完成は近い。
南側には、国際新赤坂ビルの西館、東館が並ぶ。
そのツインビルの間を南へ伸びる小道へ。
都心とは思えないような、のどかな住宅地、という感じがする。
少し歩くと西側に氷川公園がある。その公園の西側に新別館ビル(工事中はこちら)。
新しくできた高層ビルだ。
氷川公園、とあるように、すぐ南側には、氷川神社がある。
相当に昔からある古社である。
北側のTBSのある赤坂通り、南側のアークヒルズがある六本木通りは谷地になっており、東側も溜池がある。
小高い丘陵地だったわけで、そのような場所には、古来より、生活の歴史があったものと思われる。神社も必然的にできるわけだ。
この氷川神社のすぐそばには、幕末に活躍した勝海舟の住んでいた家があったらしい。
西郷隆盛と会談をして、江戸城無血開城を導き、江戸の街を戦火から救ったことは、有名な史実だ。
なるほど、こののどかな丘陵地から江戸の街を見渡していれば、江戸の街を救おうと、強く感じても不思議ではないだろう。
(2007年8月記)

南北線溜池山王駅(永田町二丁目計画)

2008-01-29 06:21:44 | Weblog
麻布十番駅に戻り、今度は、南北線に乗る。
永田町駅で下車。
麻布十番は、地下鉄が開通して本当に便利な場所になったものだ。
永田町は、赤坂見附のある高台となっている。
そこから、南へ歩く。
溜池に向かって下り坂になっている。
東側は、国会議事堂などがあり、日本の政治の中心となっている。
だらだらと坂を下っていくのだが、まわりはどこも工事中だ。
都心集積化のさいたるものかもしれない。
総理大臣官邸近くまで下っていく。
そういえば、総理大臣官邸もちょっと前に新設されたんだっけ。
山王日枝神社の東側に永田町二丁目計画の工事現場がある。
以前は、キャピトル東急ホテルがあった。といっても、工事が完成したあかつきには、高層ビルになったキャピトル東急ホテルが現れるだけなんだけど。
高度成長期に東急がヒルトンホテルを招いて、日本で初の外資系の高級ホテルを開業させる。それが、キャピトル東急ホテル(当時は、東京ヒルトンホテル)、ということだ。
ビートルズなんかも来日したときには泊まったらしい。
そういえば、赤坂から山王日枝神社の後ろにそんな建物が見えていたような気もするが。興味もないし行ったこともないので、さっぱりわからないけど。
こうして、すっかり解体され、更地になったころに、初めて訪れる、というのも妙なことだ。
そういえば、キャピトル東急ホテルができる前は、有名な料亭「星岡茶寮」があったらしい。
美味しんぼに登場する海原雄山のモデル、北大路魯山人のお店だ。
東側には国会議事堂。南側には、総理大臣官邸。そして、赤坂からは、小高い丘の上にある山王日枝神社の裏側になる。
日本の中心地の奥座敷、という感じだろうか。
日本の政治の場にも、ちょっとはしゃれた高級ホテルでもあった方がいいかな、ということで、建つのだろうな。
(2007年8月記)

都営大江戸線麻布十番駅(三田小山町地区再開発)

2008-01-28 06:26:27 | Weblog
大門駅に戻り、再び都営大江戸線に乗る。
麻布十番駅で降りる。
こうしてみると、大江戸線に乗っているだけで、すいぶんあちこち回れる。
便利になっものだ。
地上に出ると幅広の大通りが直交する交差点がある。
地下でも、都営大江戸線と南北線が交差している。
交通の要衝なのだが、地下鉄が開通したのは、つい最近のことだし、大通りもそれほど昔からあったわけではない。
昔からあったのは、古川の流れだろう。
古川(渋谷川)は、恵比寿方面から東へ流れてきて、白金で北へ直角に向きを変える。
そして、麻布十番で再び、東へ直角に向きを変えて、東京湾を目指す。
この古川の流域には、まわりには白金や麻布、といった山の手高級住宅があるわりには、不思議と下町のような場所が多い。
川沿いの土地は住むには環境が悪いので、たいてい下町になるのだろうか。
しかし、交通の便がよくなったりすると、そこへ高層ビルが建ったりする。
麻布十番の場合、東に伸びる環状3号線の南側に平行して古川が流れているのだが、その南側の通りが、昭和の時代に取り残されたような下町的な場所があった。
ところが、最近になって、東寄りの区画は、三田小山町第2地区再開発、としてビル工事が着工している。
残っているのは、交差点に近い西側の区域、つまり、三田小山町地区再開発、ということになる。
今回、訪れてみると、はたして、一帯はフェンスで囲われ、すでにビル工事が着工されていた。
もう、あの街並みはなくなっている。
カメラに撮っておくべきだったなあ、と一瞬、そう思った。
でも、もう存在しないものの画像は、記録でしかない。
この深い寂寥感を記憶にしっかり焼き付けるだけ。
自分にできるのは、それだけなのかな。
(2007年8月記)

山手線浜松町駅西口(クレストプライムタワー芝)

2008-01-27 04:46:49 | Weblog
勝どき駅に戻り、再び都営大江戸線に乗る。
大門駅で降りる。
山手線で言えば、浜松町駅である。
浜松町駅の西側を南へと歩く。
首都高都心環状線の高架が東西に伸びているが、その下には古川が流れている。
古川を渡り、東へ。
山手線の近くにクレストプライムタワー芝がある(工事中はこちら)。
最近、竣工している。
クレストプライムタワー芝あたりから東側、古川の河口は、屋形船だろうか、船だまりになっている。
川辺や河口というのは、なぜか、住むには環境が悪いためか、下町になる。
この浜松町界隈も例外ではないのだろう。
世界貿易センタービルや東京モノレールが妙にレトロなのも、そのためかも。あんまり関係ないかもしれないけど。
ただ、古川河口の船だまりを見ていると、本当に都心の真ん中になんでこんな場所があるのだろうと、不思議に思ってしまう。
この一区画だけが、江戸時代から時間が止まってしまっているようだ。
かなり前だっただろうか。山手線の沿線の写真とともに山手線を紹介するポスターがあったと思う。細かいことはすっかり忘れてしまったけど。
たしかそのようなポスターの中に一枚、こんなのがあった。
地方のうらぶれた漁港のような場所があり、その手前を山手線の電車が横切っているのだ。
合成写真じゃないとすれば、これはいったい、どこなんだろう。一瞬、はっとさせられる、という趣向のポスターだ。
その地方のうらぶれた漁港のような場所こそが、この古川の河口、屋形船の船だまり、だったのだ。
もっとも、今、そのポスターを作るとすると、後ろに巨大な高層住宅、クレストプライムタワー芝が写りこむんだろうなあ。
時代は、容赦なく、流れていく。
(2007年8月記)

都営大江戸線勝どき駅(THE TOKYO TOWERS)

2008-01-26 03:53:33 | Weblog
清澄通りを南西に歩いて行くと、運河を渡ったところ、清澄通りの南側にTHE TOKYO TOWERSがある。
MID TOWER、SEA TOWERの2棟からなる、ツインのとてつもなく巨大な高層住宅だ。
実はまだ完成していない。あまりにでかすぎて、建物が完成しても内装などに時間がかかるのかもしれない。
完成するのは、来年(2008年)の初めだろうか。
これだけ、大きいと高層ビル、というだけではなく、もはや一つの街、と考えた方がいいかもしれない。
まだ完成していないので、どうなるかわからないが。
ただ、北東側に、臨海副都心の有明から汐留に伸びる環状2号線が開通する予定、ということは確かだ。
今のところは、新しくできる豊州市場あたりまでは、環状2号線が伸びてきている。
来年(2008年)には、環状2号線となる、晴海と豊州を結ぶ豊洲大橋が開通するらしい。
だんだんと、環状2号線が、THE TOKYO TOWERSに近付いているような感じだが。
さらに、豊州に市場が移転するとこの環状2号線は早朝から交通量が多くなるのだろうか。
何年も先のことなので、今から心配してもしょうがないけど。
もっとも、隅田川に橋が架かれば、その先に汐留や有楽町、銀座がある、ということはすごいことなのだろうなあ。
何十年もすれば、環状2号線に沿った、新しい都市の軸ができているのかもしれない。
都市化された近未来を思い描くのもいいけど。
そうではなくて、例えば、暇なときは、有楽町あたりから、隅田川を渡ってぶらぶらと歩いてきたりして。
なんか、江戸時代に戻ったようだ。
未来がそんなのんびりした時代になればいいのだが。
たぶん、そんなことはないかな。
(2007年8月記)

都営大江戸線勝どき駅(勝どき駅前再開発)

2008-01-25 06:25:02 | Weblog
西武新宿線中井駅で都営大江戸線に乗り換える。
そのまま乗っていれば、勝どきへ着く。
変に便利になったものだ。
高田馬場あたりから勝どきに用事なんて思い浮かばないんだけど。
以前だったら、有楽町線の月島駅からもんじゃストリートをぶらぶらと南へ歩いていくとか、あるいは、日比谷線で築地駅で降りて、勝どき橋を渡るとか。
いずれにしても、おおげさな言い方だが、ちょっとした旅行気分だったっけ。
今では、地下鉄に乗っていれば着いてしまうのだ。
地上に出ると晴海通りと清澄通りとの交差点となる。
交差点の北西側には、昭和の時代から取り残されたような、飲食店などのお店が軒を連ねている(2008年1月現在、工事は始まっていて、これらのお店などは、すでに跡形もなくなっている)。そこが勝どき駅前再開発の予定地となっている。
陸の孤島であるさらに以前は、銀座、築地、そして、勝どき橋を渡った先に勝どき、という感じでそれなりに賑やかだったらしい。
その当時の盛んな様子がわずかに残っていて、なんとなくほっとするのだが。
しかし、この一帯は、再開発され、巨大な高層住宅が建つことが決まっている。
勝どきは、月島のように、もんじゃテーマパークとして生き残ることはできなかったようだ。
もともと倉庫の方が多かったから仕方ないかな。
すでに、北側にはプラザタワー勝どきがあり、南西側には、セルリアンホームズ勝どき、フォアフロントタワー、通りを挟んで北東側には、都営勝どき一丁目アパートと、高層ビルが建ち並んでいるし。
すぐそばに、都営地下鉄の駅まである。
再開発されない方がおかしいのだ。
それはわかっているけど、なんだか寂しいような気もする。
たぶん、一帯が街として完成し、成熟し、それなりに古びて、歴史を刻んでいく、その先を見ることはもうできないからだろう。
(2007年8月記)

みなとみらい線みなとみらい駅(横浜メディアタワー)

2008-01-24 06:24:30 | Weblog
M.M.TOWERS FORESISの通りを挟んで南西側、みなとみらいミッドスクエア ザ・タワーレジデンスの北西側には、横浜メディアタワーがある。
バブルが崩壊した後の失われた10年の中で竣工している。
景気が悪い頃は、こういう公共性の高い建物が建つものなのだろうか。
横浜メディアタワーは、NTTの建物なのだが、屋上に異様なほど巨大な電波通信塔が聳え立っていて、よく目立つ。
主に携帯電話の通信に使われているらしいが、なんでみなとみらいにあるのかわからない。
みなとみらいの夜景を彩るイルミネーションには一役かっているようなのだが。
よく団地には、たいてい給水塔というものがあって、その団地のシンボル、とまではいかないが、団地には給水塔、という組み合わせは、ごくあたりまえの風景になっていると思う。
そして、日々、その団地の各家庭に水を供給しているのだ。
みなとみらいの横浜メディアタワーを見ていると、この団地の給水塔を思い浮かべてしまった。
みなとみらいのオフィスビル群や新しくできている高層住宅群にだけ、電波を供給しているわけではないんだろうけど。
ただ、昔のSFの世界なら、なんとなく、みなとみらい一帯に電波を放射して情報を供給しているように見えてしまう。
そして、横浜メディアタワーのまわりからは、通信の要として、見上げられたりする。
現実的にそんなことはないのだろう。
ひょっとしたら、行き当たりばったりで、更地を埋めるように、どんどん、高層ビルを建てていったら、巨大な電波通信塔を持つ高層ビルと高層住宅棟が隣り合わせになってしまった、なんてことはないのだろうなあ。
夜景を美しく彩る、とても大きなイルミネーションがある、と思えばいいのかな。
(2007年8月記)

みなとみらい線みなとみらい駅(M.M.TOWERS FORESIS)

2008-01-23 06:22:34 | Weblog
武蔵小杉駅に戻り、再び、東急東横線に乗る。
横浜からはみなとみらい線になり、みなとみらい駅で降りる。
土地柄も違うし、風景も違うのだが、なんだか、武蔵小杉と同じだ。
こちらも、高層住宅が建ち並ぶ。そして、一帯で工事中である。
駅の北側には、幅広のいちょう通りが北東に伸び、さらにその北側に高層ビルが並ぶ。
駅を出るとちょうど交差点になっているのだが、その交差点の北西側には、みなとみらいミッドスクエア ザ・タワーレジデンスがあり、そして、北東側には、M.M.TOWERS FORESIS R棟、L棟(まだ工事中)がある。
2棟の楕円型の太い円柱のような建物が並んでいる。
みなとみらいミッドスクエア ザ・タワーレジデンスもそうなのだが、これらの高層ビルは、丸みがあるからなのか、なぜか巨大な重量感、あるいは存在感を受ける。
四角いと、逆にほっそりしているように見えるのだろうか。
とにかく、ものすごく巨木の丸太を思わせるのだ。
そして、この高層住宅の名前「M.M.TOWERS FORESIS」も「森林」という言葉からとられているらしい。
さらに、敷地には、樹木を多く植えるようだ。
何年かすれば、その樹木が生い茂り、素敵な森になることだろう。
その森の中に巨大な高層住宅があって、そこで暮らす、というわけか。
表現の仕方が違っているかもしれないけど、なんか、真冬の寒い時期に、室内の暖房を効かせまくった中で、冷たいアイスを楽しむような感じだろうか。
それはそれとして、埋立地が森になるというのは、いいことかもしれない。
同じバブルの湾岸再開発地、千葉の幕張も同じ道を歩んでいたっけ。
こうしてバブルの頃の未来の夢が、現実になってくると、結局は、落ち着くところに落ち着くのだろう。
未来の夢は夢でしかなかったというわけか。
森を作るために、わざわざ埋立地を作った、ということだ。
(2007年8月記)

東急東横線武蔵小杉駅東口(レジデンス・ザ・武蔵小杉)

2008-01-22 06:22:45 | Weblog
高田馬場で山手線に乗り、渋谷で下車。
東急東横線に乗る。
多摩川を越え、武蔵小杉駅へ。
まだ、完成してはいないが、東側は、すでに見上げるような巨大な高層住宅が並んでいる。
さっそく、改札口を出てみるのだが、いつも、どっちがどうだか、わからなくなる。
駅前広場らしきものがないからだろうけど。
それに比べると、南武線の武蔵小杉駅だとわかりやすい。北口に駅前広場があって、その広場から放射状に街並みが広がっている。
東急東横線の武蔵小杉駅は、そのような南武線の駅の南口に直交するように配置されている。まるで商店街の中に無理やりに作ったみたいだ。
東急東横線の高架に沿って南へ行くと、府中街道に出る。
この府中街道までの、武蔵小杉の南側は、下町っぽくて、いい感じなのだ。
さらに、府中街道にも、年季の入っていそうな飲食店が並んでいる。
そのような府中街道を南東へ歩いて行くと、またしても巨大な高層住宅が並んでいる。こちらも、まだ未完成なのだが。
綱島街道に入って北へ。
一帯は、まだ未完成なのだが、きれいに整備されて、もはや昔の面影はまったくない。
以前は、南側が下町で、北側が中心だったようだが、これらの高層住宅群が完成すると、武蔵小杉の街並みの様相は一変するかもしれない。
綱島街道をさらに歩いていくと、レジデンス・ザ・武蔵小杉がある。
サウスウィング棟、ウエストウィング棟からなるツインの高層住宅だ。
この間、訪れた曳舟の再開発の第一号がMARK-01なら、武蔵小杉の再開発の完成第一号は、レジデンス・ザ・武蔵小杉、ということだろう。
まわりは、まだ、土がむき出しだったり、工事中だったり、工場だったりする。
近くには横須賀線の高架がある。
でも、数年経てば、巨大な街が出現し、横須賀線にも駅ができる。
開拓者になった気分を味わえるに違いない。
(2007年8月記)