retifの都市探検日記(高層ビル編)

東京の街並みなどを報告します

東西線門前仲町駅(冬木 仙台堀川と平久川)

2013-12-31 07:20:40 | Weblog
亀久橋が架かったのは、おそらく、江戸時代の頃。
江戸の街としては、最果て、辺境の地、だったのでしょう。
いちおう、橋だけは、架かった、といったところですか。
その後は、なくなってしまったのかもしれないが、昭和の初め頃に、改めて、亀久橋が、架けられている。
そして、今、架かっているのは、バブル期直前頃の、橋だ。
デザインに、惹かれるのは、そのためかな。
ところで、仙台堀川、その先、すぐに、南へ流れる、平久川が、分岐している。
本当に、水運の街、という感じだ。
(2012年10月記)

東西線門前仲町駅(冬木 亀久橋)

2013-12-30 07:50:38 | Weblog
江戸時代の地図を見ると、さっき、訪れた、寺町が、江戸の街の、東辺だったようだ。
そして、その東側、つまり、外側に、冬木町が、広がっている。
冬木町は、材木商、冬木屋から、とられた町名なのだが、とすると、冬木屋が移転、といっても、町が拡大して、店舗の移転、という感じではなかったのだろう。
実際は、貯木場を、整備するために、一帯の、土地を、冬木屋が、買い取った、ということらしい。
今風にいえば、再開発の、民間活力の導入、というところか。
幕府としては、貯木場の整備を、資金をかけずに、遂行できるし、材木商として、何がしかの、利益を、見込めたのだろう。
ただ、結局、貯木場整備は、できなかったようだ。
葛西橋通り、途中、北へと、曲がり、そのまま、北へ。
すぐに、仙台堀川に架かる、亀久橋がある。
(2012年10月記)

東西線門前仲町駅(冬木 冬木弁天堂神社)

2013-12-29 07:14:58 | Weblog
葛西橋通りを、東へ東へと、歩いていく。
しばらくすると、通りの、北側には、冬木弁天堂神社。
創建は、江戸時代になって、しばらくしてから。
創建の地は、今の、茅場町あたり。
冬木屋、という材木商の邸内。
江戸の街が、拡大するに伴い、冬木屋は、この地に、移転。
冬木弁天堂神社も、一緒に、移転したようだ。
ただ、一般に、公開されたのは、明治時代になってから。
葛西橋通りを、再び、東へと、歩いていく。
(2012年10月記)

東西線門前仲町駅(深川二丁目 玄信寺)

2013-12-28 07:14:32 | Weblog
交差点に戻り、葛西橋通りを東へ。
すぐに、通りの北側には、玄信寺。
創建は、江戸時代の初め頃。
創建の地は、隅田川の東岸。今の、墨田川大橋の袂あたりか。
しばらくして、この地に、移転してきている。
さっき、訪れた、法乗院と、同じような感じだ。
おそらく、隅田川の、東岸が、最初に、再開発され、軌道に乗った時点で、さらに、東側に、寺院が、移転、ということか。
江戸の街の、東側への、拡大の様子が、伺われる。
葛西橋通りを、さらに、東へ。
(2012年10月記)

東西線門前仲町駅(深川二丁目 法乗院)

2013-12-27 06:11:15 | Weblog
陽岳寺の、北側には、法乗院。
創建は、江戸時代の、初め頃。
創建の地は、ここより、東、隅田川沿い、永代橋の、袂あたりか。
しばらくして、この地に、移ってきている。
別名、深川閻魔堂。江戸時代、けっこう、賑わったそうだ。
ところで、南側、今は、首都高深川線の高架が、東西に伸びているが、昔は、油堀、という、運河があったようだ。
そして、その、油堀に架かる橋を、閻魔堂橋。
橋の名前になるほどに、法乗院、深川閻魔堂は、知られていた、ということだろう。
再び、南へと、歩く。
(2012年10月記)

東西線門前仲町駅(深川二丁目 陽岳寺)

2013-12-26 05:15:22 | Weblog
賑やかといっても、一頃よりも、ずっと、落ち着いたようだ。
でも、門前町は、年中、祭りのようで、楽しい。
このまま、行けば、富岡八幡宮。
でも、今回は、他に行くので、途中、引き返す。
この、祭りの中、ずっと、浸っていると、時を、忘れそうだ。
再び、南北に伸びる、清澄通り。
北へと、歩いていく。
首都高深川線の高架を、潜って、さらに、北へ。
一帯は、深川。
しばらくすると、交差点があり、交差点の、北東側には、陽岳寺。
江戸時代の初め頃の創建。
他にも、寺院、多く、寺町になっている。
(2012年10月記)

東西線門前仲町駅(門前仲町二丁目 門前仲町の路地)

2013-12-25 06:24:52 | Weblog
そういえば、東西に伸びる、永代通りと、南北に伸びる、清澄通りの、交差点、北西側に、立ち食いの、そば屋が、あったように思う。
いつの間に、なくなったのかな。
門前仲町駅に、降りるたびに、入ろうかと、思っていたけど。
入らないうちに、ついに、なくなってしまった。
もっとも、入ったからといって、特別な、蕎麦が、出てくるとは、思えないけど。
ただ、いつも、当たり前のように、そこにあって、すっかり、根付いているはずのもの、実は、とても、儚いのだ、と気付かされてしまう。
街の中に、動かしようもないほど、確固としていたのに。消えるときは、すぐに、消えてしまうのだ。
どうしようもなく、儚く、脆い。
なにか、いたたまれなくなって、東側、路地に、入ってみる。
相変わらず、賑やかな、路地。
門前仲町の、路地裏。
(2012年10月記)

東西線門前仲町駅(門前仲町一丁目 清澄通り)

2013-12-24 05:07:47 | Weblog
月島の、もんじゃストリートは、どうなってしまうのだろうか。
テーマパークとして、残っていくのだろうけど。
でも、それだけだと、生活感が、ないように、思うのだが。
時代の流れなので、仕方がない。
月島駅に戻り、今度は、都営大江戸線に、乗り込む。
門前仲町駅で、下車。
月島もそうだが門前仲町も、テーマパーク。
さしずめ、富岡八幡宮テーマパーク、といったところか。
清澄通りを、北へと、歩いていく。
(2012年10月記)

有楽町線月島駅(キャピタルゲートプレイス工事現場)

2013-12-23 07:48:01 | Weblog
高田馬場駅から東西線。
飯田橋駅で有楽町線に乗り換える。
都心部を越え、東へ。月島駅で下車。
地上に出ると、南西に伸びる、晴海通り、南東に伸びる大通りとの、交差点。
立体交差になっている。
東京の西側から、来ると、やはり、異界だな。
海も、近いし。
晴海通りを、南西へ。
すぐに、通りの、北側、キャピタルゲートプレイスの工事現場。
このあたりでは、かなり、大規模な、高層住宅になる。
月島も、変わっていくようだ。
(2012年10月記)

南北線白金台駅(白金台三丁目 目黒通り)

2013-12-22 07:44:03 | Weblog
坂を、下りきると、東西に伸びる、道路。
東へと進む。
しばらくすると、再び、玉名川流路跡。
もう一度、玉名川跡を、遡って、南へ。
実は、下調べを、していなかったので、まだ、玉名川の、源泉に、辿り着けると、思っていたのだ。
再度、桜田通りから、西へ伸びる、目黒通り。
目黒通りを、西へ、歩いていくと、上り坂、日吉坂。
日吉坂を、上っていき、途中、南へ曲がり、住宅地に入っていけば、なんとか、源泉に、行けるかも、と考えつつ、歩いていく。
実際、南側には、八芳園の、敷地が、広がっているわけで、そのように、入り込める、路地など、あろうはずはない。
そのまま、日吉坂を、どんどん、上る。
結局、辿り着けないと、わかるのだが。
仕方がない、ちょうど、あった、白金台駅で、帰ることにする。
それにしても、まわりは、再び、山の手住宅地。
まったく、縁がないな。
早く、帰ろう。白金台駅改札へ、向かう。
(2012年10月記)