retifの都市探検日記(高層ビル編)

東京の街並みなどを報告します

山手線田町駅(三田ベルジュビル工事現場)

2011-01-31 06:11:53 | Weblog
高田馬場駅から山手線。
田町駅で下車。
田町駅は、ひさしぶり。
駅の南側、北側では、あちこちで、高層ビルが、建っていたので、かつては、よく、来たものだ。
ようやく、最近になって、落着いたみたい。
というよりも、世界同時不況に、見舞われ、それどころでは、なくなっただけなんだろうけど。
今回は、北側へ。
駅の表示によると、三田口。ちなみに、南側は、芝浦口。
江戸時代は、駅南側は、海だったので、その点で、駅を挟んで、雰囲気が、大きく、変わる。
すなわち、北側は、江戸時代以前の歴史が、あるので、それが、感じられるのだ。
しかも、高台なので、山の手。
対照的に、南側は、少なくとも、明治時代以降の、埋立地。新しい土地だ。
工場や、倉庫が広がっていて、下町の雰囲気がする。
もっとも、バブル期以後、特に、バブルが崩壊してからは、そのような、駅南側、芝浦には、高層住宅が、建ち始め、下町という、雰囲気は、一掃されてしまったが。
北側の、山の手が、進出してきて、人工の山の手になった、というところかも。
駅北側から、第一京浜に出て、南西方向へと、歩いていく。
しばらくすると、通りの南側に、三田ベルジュビルの工事現場。
世界同時不況とはいえ、田町には、やはり、高層ビルが、建っていくものらしい。
まだ、落着いたわけではないようだ。
(2010年5月記)

山手線新宿駅(明治通り地下化工事現場)

2011-01-30 07:19:32 | Weblog
だからといって、代々木会館ビルを、撤去すれば、豊かな安定期が、戻ってくるわけではない。
ただ、残すとしても、「傷だらけの天使」テーマパーク、ということで、残すのが、本当だと思う。
それに、そもそも、「傷だらけの天使」の世界観を、残そう、ということで、残っているわけではないはず。
「傷だらけの天使」については、ここらへんで。
代々木会館ビルを、たまたま、撮ったまでのことなので、また、今度、来ることにしよう。
本当は、代々木駅の、東側に向かうのが、今回の、目的だったのだ。
代々木駅の南側へ。踏切で、JRの線路を、越える。
この部分、山手線や中央線は、高架になっているので、埼京線だけの踏切なのだろう。
代々木駅の、東側に出て、さらに、東へと、歩いていく。
途中、南北に伸びる、明治通り。
明治通りを渡って、東側、その先には、広大な、新宿御苑。
以前、渋谷川を辿って、新宿御苑の玉藻池を訪れたわけだが、実は、その手前に、渋谷川の支流が、あったらしいのだ。
新宿御苑の南側を、東西に、池が並んでいるが、それが、渋谷川の支流の跡らしい。
それで、その支流が、谷地を、形成していて、その谷地が、千駄ヶ谷、というわけ。
そこまでは、わかったのだが、その先、おそらく、北側にある、天龍寺の境内から、水流が、湧き出していたらしいのだが、はっきりしない。
今回の道行きの目的は、それを確かめよう、ということだったのだ。
ただ、結局、流路跡も見つからなかったし、例えば、泉には、弁財天が、祀ってあったりするのだが、そういうのも、なかったし。
収穫は、ゼロ。
代わりに、明治通り地下化の工事現場を、見つけてしまった。
たしか、バブルの頃、天龍寺東側の、新宿高校あたりから、明治通りの、バイパスが、地下を通り、新宿御苑の東側に出る、という計画が、あったな。
その計画、立ち消えになっていないどころか、こうして、いつの間にか、着工されていたのか。
豊かだった頃の、昔を、思い出して、嬉しい気持ちと、何を今さら、もう、それどころじゃないよ、という、気持ち。
複雑な、感じがするなあ。
(2010年4月記)

山手線代々木駅(傷だらけの天使 エンジェルビル)

2011-01-29 04:40:39 | Weblog
さらに、代々木の街中を、南へと歩いていく。
ふと思い出したが、代々木、といえば、代々木ゼミナール、だな。
遠い記憶によると、一度、行ったことがあった、と思う。
予備校なので、たぶん、学生の頃に違いない。
資料か何かを、貰いに、行ったのだろう。
当時、学生のこととて、肩身の狭い身分。
そんな、自分にとって、雑然としていて、物価も安そうな、代々木の街、ずいぶん、ほっと、させられたものだ。
だからといって、予備校が、すべて、下町に、あるわけでもないんだろうけど。
学生時代の思い出に、浸っていると、もう、代々木駅の改札も近付いてきた。
と、そのとき、東側を、見ると、テレビドラマ、「傷だらけの天使」に出てきた、エンジェルビル。
本当の名前は、代々木会館ビルというのだが。
傷だらけの天使、といえば、高度成長が、達成されようとする、間際のテレビドラマ。
ただ、実際、見ていたのは、再放送。もはや、高度成長が、昔語りとなった、安定期の頃だ。
この、ドラマの結末、ずいぶんと、悲劇的なのに、何度も何度も、見ていたのは、たぶん、傷だらけの天使、の悲劇は、過去のもの、すでに、十分に、豊かになった、安定期の、現状を、かえって、再認識させてくれる、という、感覚が、あったのかもしれない。
ところで、ドラマの設定では、たしか、エンジェルビルは、再開発で、なくなっている、ということだったと思う。
でも、なくなったはずのエンジェルビル、痛々しいままの姿で、今でも、こうして、残っているのだ。
こうして見ると、豊かだった、安定期が、もはや、なくなってしまった現代、結局、「傷だらけの天使」の悲劇的な結末だけが、残った、ということを、感じてしまうな。
(2010年4月記)

山手線代々木駅(駅西口側 代々木駅への道)

2011-01-28 06:10:39 | Weblog
ペデストリアンデッキを降り、地上へ。
南へと、歩いていく。
小田急線の踏切を、渡ると、代々木の街。
いままでの、都会的な、風景から、一変して、なんとなく、下町っぽい感じがする。
かつて、東側には、渋谷川、西側には、代々木川の流れが、あって、全体に、低地、だからだろう。低地は、下町になりやすいのだ。
一方、北側の新宿は、高台、あるいは、尾根筋になるので、対照的だな。
地名も、本来は、たとえば、明治時代の地図を見ると、千駄ヶ谷村、となっているので、千駄ヶ谷、という方が、谷地には、合っているように思える。
そもそも、代々木、というのは、はるか、南西側の、代々木八幡駅あたりの地名。
なんで、駅名が、代々木になったのか、よくわからない。
さらに言えば、代々木川、というのも、かつては、渋谷川との合流地点、原宿に因んで、原宿川、といった、名前だったんじゃないかな。
もっとも、そういった、曖昧なところが、下町たる、所以なのかもしれないけど。
それに、その、曖昧さを、許容してしまうところ、なんとも、緩くて、居心地が、良さそうだ。
こういうところに、澱んでいたいなと、思ってしまう。
だが、現代は、そんな場所の、存在は、許されていない。
いずれ、こういう緩い場所は、追い立てられるのかも。
(2010年4月記)

山手線新宿駅(JR南新宿ビル工事現場)

2011-01-27 05:04:43 | Weblog
南北に伸びる通りの、西側には、高層オフィスビル、新宿マインズタワー
その、南側には、JR南新宿ビルの工事現場。
新宿の、高層ビル群、まだまだ、拡大しているようだ。
ところで、新宿マインズタワーなのだが、サザンテラスから、陸橋が、伸びていて、直接、行けるようになっている。
事実上、ペデストリアンデッキが、伸びているようなものだ。
さらに、新宿マインズタワーから、今、工事中の、高層ビルにも、陸橋が、伸びるに違いない。
何か、ペデストリアンデッキ自体、増殖しているような、感じがする。
ついでに、南側の病院を越え、小田急線の南側まで、伸びれば、開かずの踏切を、渡らなくて、便利だろう。
すでに、そのような、通路は、できているが、もう一つ、あってもいいかな。
あるいは、西側に、伸びれば、代々木ゼミナールがある。
そちらにも、ダイレクトに、足を運べるわけだ。
もっとも、無限に、拡大する、ということはないんだろうけど。
ただ、これだけ、ペデストリアンデッキを伝って、どこまでも、行けるなら、結局、駅を、出て、地上に、降りないで、用が、足りてしまうに違いない。
それが、究極の、駅前再開発、なのかも。
(2010年4月記)

山手線新宿駅(サザンテラスから新宿駅西側へ降りる階段)

2011-01-26 05:06:34 | Weblog
タイムズスクエアの西側、回廊を、南へ南へと、歩いていく。
そういえば、この、巨大商業施設、タイムズスクエア、バブルが崩壊した頃、完成したのだったな。
まさに、どん底、なんだけど、まだ、バブルの余韻は、残っていたと記憶している。
次に、景気がよくなれば、また、元通り。楽観的だったのだ。
楽観が、失望に、変わったのは、世の中の、景気が、曲がりなりにも、よくなった時期。たしかに、よくはなったのに、生活は、どん底のまま。
結局、景気のよさは、見掛け上なだけ。
代わりに、格差社会になってしまった。
そんな、どん底に、今回の不景気が、さらに、追い討ち。
高度成長やら、安定期やら、バブルやら、過ぎ去った、よき時代は、もはや、夢幻。
本当に、夢幻だったんだなあ。
新宿駅ホーム上に架かる、橋梁で、駅西側へ。
渡りきったところも、同じような、ペデストリアンデッキ。
こちらは、サザンテラス、という名前。ひょっとしたら、全体が、サザンテラスなのかもしれないけど。
さらに、西へと、進む。
すると、下りの階段とエスカレーター。
階段を降りると、南北に伸びる通りに出る。
南側には、すぐに、小田急線の踏切。開かずの踏み切りだ。
ただ、さらに、その南側に、もう一つ、サザンテラスへの階段、エスカレーターがあったりする。
つまり、遠回りだけど、小田急線踏切の、エスカレーター付きの、陸橋みたい。
ペデストリアンデッキといい、エスカレーターといい、まったく、至れり尽くせりの、新宿駅南口、というところか。
(2010年4月記)

山手線新宿駅(新宿駅新南口から高島屋方面への回廊)

2011-01-25 05:05:59 | Weblog
高田馬場駅で、山手線。新宿駅で下車。
橋上駅舎へ。
新宿駅は、地下と、橋上、二つの駅舎がある。さすがに、巨大ステーション。
北へ向かうと、改札があり、その先は、すぐ、東西に、伸びる、甲州街道だ。
改札の脇を見ると、立食スペース。昔は、よく、利用していたな。
チープなところが、なかなか、よかったけど。
まるで、具の入っていない、カレーが、あって、これがまた、安っぽくて、妙に、美味しかった。今でも、そのカレー、あるのかな。
などと、昔を、懐かしみつつ、改札を抜ける。
甲州街道を渡って、南側へ。新宿駅新南口。
バブルが崩壊して以降、こちらにも、新宿駅が、拡大してきた。
その頃、南側に、高島屋、紀伊國屋書店、などを中心とした商業地、タイムズスクエアが、出現したのだが、そのためなのだろう。
新宿駅新南口から、タイムズスクエアへ、ペデストリアンデッキが伸びている。
まるで、昨今の、駅前再開発みたい。
ただ、かなり、巨大だ。
昔、よく、タイムズスクエア南端の、紀伊國屋書店へ、行ったのだが、ここからペデストリアンデッキを通って行くと、とにかく、遠い。
結局、代々木駅からの方が、近いのだけど。
今回は、そんな、新宿駅の南側を、巡ってみる。
(2010年4月記)

京浜東北線川口駅(川口駅東口のこげ茶色の塔)

2011-01-24 04:57:09 | Weblog
しばらく、街中を、歩いてみると、今、まさに、旧家屋が解体されている現場に、遭遇したりして、やはり、時代の流れを、感じざるを得ない。
今に、始まったことではないので、特に、気にする必要は、ないのかな。
といいつつ、自分は、こうして、無残に、解体されていく側に、いるわけで、なんとも、身につまされるわけだが。
そんな、川口の街を、追われるようにして、駅前へ。もう、帰ることにする。
ふと、ペデストリアンデッキの下、こげ茶色の塔のような、物体が、目に入る。
前々から、気にはなっていたけど。
ということで、帰り際、ちょっと、近くまで、行ってみる。だけど、いったい、何なのだろう。
結局、わからないまま、川口の街を、後にして、帰途に着く。
わからないので、ここからは、想像。
川口駅東口には、高度成長期の後半、実は、地下街が、形成されたらしい。
「キューポラのある街」から、しばらくして、という時期。
高度成長が進展し、だんだん、世の中に、豊かさが、遍く、広がってきたのかな。
川口だけではなく、地方都市には、あちこち、地下街が、誕生している。
地下街は、天候に、左右されないし、便利だし、何よりも、豊かな感じだし。
しかも、誰でもが、その豊かさを、享受できるのだ。
でも、そんな、川口の地下街、バブルの終わり頃に、閉鎖されている。
かわりに、ペデストリアンデッキが、できたからだろうか。
理由は、わからないが、今から、思うと、本当に、川口のような、郊外都市に、地下街が、あった、というのは、驚きだ。
ところで、例の、こげ茶色の塔についてなのだが、この、地下街の、排気、ないし、通気のための施設、なのかもしれない。
だとすると、豊かな時代だった頃の、遺物、ということになる。
それが、今、ペデストリアンデッキの下、ひっそりと、佇んでいるわけか。
もっとも、本当に、そうかどうか、確証はできない。
今度、来たときは、是非、探ってみよう。
(2010年4月記)

京浜東北線川口駅(高層住宅前 拡幅中の道路)

2011-01-23 07:17:44 | Weblog
イーストゲートタワー川口の北側、東西に伸びる通り。
東側が、まだ、未完成となっている。
その、未完成の部分、道路に迫り出すように、古い店舗。
どう見ても、創業は、高度成長期の頃だな。
ひょっとしたら、川口が舞台となった、有名な映画「キューポラのある街」を、仔細に、見ていけば、この店、映っているかもしれない。
もっとも、街中、奥にあるので、映っていないとは、思うが、こんな感じの建物が、あっても、違和感は、ないはず。
そんな店も、道路が、完成すれば、消滅するわけか。
バブルの頃も、こんな風に、あちこちで、再開発が、行われ、街は、信じられないぐらいに、きれいになっていった。
自分の、住んでいる地域も、かなり、整備されていったけど。
でも、地方都市や昔が、消えたりは、しなった。
なにせ、外へ外へと、拡大していったので、そういう場所は、ほっておかれたのだ。
以前、川口を、訪れたときも、昔の店や建物が、かなり、残っていたのに。
今は、拡大ではなく、逆の、集積の時代。
外は、荒れ果て、内は、次々と、開発されていく。
バブルの頃は、ほっておかれた、昔のもの、整備されていないものは、その中で、消えていくしかないのだ。
それが、いいことなのか、どうか、わからないが。
(2010年4月記)

京浜東北線川口駅(イーストゲートタワー川口)

2011-01-22 07:25:09 | Weblog
街中を、歩いていると、ほどなくして、イーストゲートタワー川口。
新しい、高層住宅だ。(工事中はこちら
すでに、完成している高層住宅、リビオアクシスプレイスの東隣にある。
これで、いちおう、川口での、高層住宅の、建設は、いよいよ、一段落。
と思ったら、実は、まだ、計画は、あるらしい。
一つは、ここから、南側、荒川近く。
金山町あたりだ。
いつから、工事が、始まるのか、わからないが、可能性は、高いと思う。
もう、一つは、ここから、東側。川口駅というよりも、南北線川口元郷駅近く。
川口工業総合病院の建替えに、伴う、再開発。
こちらは、どうなるのか、わからない。
計画は、あるらしいのだが、どうなることやら。
ただ、南北線の駅に、比較的、近いので、その点では、可能性は、あるのかも。
もっとも、バブルの頃のように、際限もなく、拡大することはないはず。
どこかに、限界があるものだ。
やはり、金山町の再開発が最後かな。
あるいは、無理して、川口工業総合病院の建替え。
でも、そこまで、というところだろう。
どうなるかわからないけど、まだ、もう少し、川口の街には、足を、運ぶことには、なりそうだな。
(2010年4月記)