retifの都市探検日記(高層ビル編)

東京の街並みなどを報告します

田園都市線三軒茶屋駅(三軒茶屋一丁目 蛇崩川緑道 三軒茶屋近く)

2013-09-30 05:12:52 | Weblog
住宅地だと思っていたら、いつの間にか、繁華街になってきた。
もう、三軒茶屋の街中なのだろう。
世田谷では、もっとも、賑やかな街なのかもしれない。
渋谷に、すぐ、出られるので、これほど、賑やかでなくとも、いいのだろうけど。
ちなみに、世田谷の中心であろう、世田谷区役所は、もっと、西側、ボロ市通りのあたり。そちらの方が、いかにも、世田谷、という、落ち着いた街並みではある。
だけど、自分にとっては、賑やかな、三軒茶屋の方が、居心地は、いいな。
まるで、世田谷ではないみたい。
新宿の西側、あるいは、総武線沿いの下町。
そんな感じがする。
蛇崩川緑道、さらに、西へと、歩く。
(2012年9月記)

田園都市線三軒茶屋駅(三軒茶屋一丁目 蛇崩川緑道)

2013-09-29 04:53:00 | Weblog
駒繁神社は、崖上にあり、その崖下、北側を、蛇崩川は、流れていたことになる。
江戸名所図会を見ると、江戸時代も、同じだったようだ。
ただ、当時は、さらに、その北側にも、河川が、描かれており、ひょっとしたら、低湿地帯だったのかもしれない。
江戸名所図会によると、駒繁神社の北側、崖下は、馬牽沢という、地名。
かつて、馬の放牧地だった頃、馬が、湿地帯に、はまったり、したのだろうか。
そのようなことが、少なからず、あったので、後世、いろいろな、故事に、変遷しつつ、残った、大昔の痕跡、なのだろうか。
今となっては、わからないのだが、駒繁神社の北側、急峻な崖と、そのすぐ下に、流れていたであろう、蛇崩川、さらに、川の北側に、広がっていたであろう、湿地帯を、考えると、あり得たのでは、と思ってしまう。
そんなことを、考えながら、歩いているうちに、蛇崩川緑道は、三軒茶屋に、差し掛かる。
(2012年9月記)

田園都市線三軒茶屋駅(下馬五丁目 駒繁神社)

2013-09-28 08:01:42 | Weblog
駒繁公園の西側には、駒繁神社がある。
創建は、意外と、古い。
平安時代の、終わり頃、あるいは、鎌倉時代に入ってからだろうか。
江戸名所図会では、子の明神社、という名前で、紹介されている。
一帯は、開拓されたわけだが、田園地帯になったわけではなさそうだ。
ただ、実は、それ以前から、祭祀の場では、あったらしい。
馬の放牧は、その頃だろう。
もっとも、もはや、昔過ぎて、歴史の彼方。わずかな痕跡が、残るだけ。
今の、渋谷の、南西側、広い地域と思われるが、まったく、わからない。
それはそうとして、今日は、駒繁神社、祭りのようだ。
太古の昔から、変わらないのかな。
賑やかな、駒繁神社を後にして、さらに、西へと、向かう。
(2012年9月記)

田園都市線三軒茶屋駅(下馬五丁目 駒繁公園)

2013-09-27 06:09:20 | Weblog
西へ西へと、歩いていくと、やがて、一叢の、木立。
駒繁公園の、木々だ。
そういえば、駒繁、駒、というと、馬だが、ここらへんの、町名は、下馬。
なにか、馬と、関係がある場所なのだろうか。
西側には、上馬。さらに、南側には、駒沢。
地名を、見る限り、やはり、馬と、関係がありそうに思える。
一帯が、開拓されたのは、江戸時代の初め頃。
ただ、ひょっとすると、それ以前、ずっと、昔、暮らしは、あったのかもしれない。
平安時代だろうか、あるいは、もっと前からだろうか。
馬の放牧場が、あったように思える。
そのような暮らしは、歴史の中に、埋もれてしまったのだろうけど、わずかな、痕跡だけ、今に、残っているのだ。
再び、蛇崩川緑道、西へ、歩く。
(2012年9月記)

東急東横線中目黒駅(上目黒五丁目 蛇崩川緑道 蛇崩下橋跡)

2013-09-26 05:35:50 | Weblog
蛇崩川緑道を、歩いていく。
ところで、蛇崩川、の名前についてだが。
この間、訪れた、大井町、立会川が、かつて、流れていたのだが、その昔、流域を、蛇窪、と呼んでいたらしい。
なんとなく、似ているような気がする。
くねくねと、蛇行して、流れる様が、蛇を、連想させるのだろうか。
それもあるのかもしれない。
ただ、それ以外にも、砂崩れ、「さくずれ」、から、「じゃくずれ」、蛇崩、となったようにも思える。
そういえば、南側、崖が、迫るような感じ。
崖の斜面、砂ではないけど、砂のように、脆いのかな。
今は、そのようなことは、ないのだろうけど。
さらに、西へと、進む。
(2012年9月記)

東急東横線中目黒駅(上目黒五丁目 蛇崩川緑道 川端橋跡)

2013-09-25 06:11:55 | Weblog
谷筋の道、西へと、歩いていく。
いちおう、山の手住宅地なのだが、さすがに、谷筋は、山の手という感じではない。
なんとなく、じめじめした雰囲気。
かといって、下町に、なりようもないだろうけど。
それなりに、家々が、建ち並ぶ中、さらに、歩いていく。
道を、横切るたびに、まだ、欄干が、残っていて、かつては、橋が、架かっていたことが、わかる。
当時は、どうだったのかな。
まだ、家屋も、まばらで、田園が、広がっていたのだろう。
宅地化されたのは、高度成長期、かな。
丘陵地の方は、もっと、古く、昭和の初め頃かもしれない。
蛇崩川緑道、西へと、歩き続ける。
(2012年9月記)

東急東横線中目黒駅(上目黒三丁目 蛇崩川緑道)

2013-09-24 05:05:07 | Weblog
住宅地の中、西へ西へと、歩いていく。
北側は、緩やかな、丘陵地。
目黒の、山の手住宅地が、広がる。
明治時代初め頃の地図を見ると、流域は、田園地帯だったようだ。
開拓されたのは、おそらく、江戸時代の初め頃。
南側は、北側に比べ、もう少し、急峻な、感じがする。
訪れていないので、今度、機会が、あれば、行ってみようかな。
近くに、目黒銀座、蛇崩伊勢脇通り、と商店街も、伸びているらしいし。
蛇崩川緑道、さらに、西へと、進む。
(2012年9月記)

東急東横線中目黒駅(上目黒三丁目 東急東横線近くの蛇崩川流路跡)

2013-09-23 06:20:17 | Weblog
山手通り東側、駅の南側は、再開発され、きれいな街並みになっている。
ちょうど、蛇崩川の流路跡。
いかにも、こうした、川辺が、再開発されやすい、ということかな。
流路跡を辿り、山手通りの、西側へ。
こちらも、ちょっと前に、大規模に、再開発されたのだ。
地階、店舗の間を抜けて、さらに、西へ、歩いていく。
昔、この場所に、川が、流れていたなんて、誰も、思わないだろうな。
やっと、公園。流路跡らしくなる。
南側は、建物が、迫っていて、狭い、流路跡。
ひょっとしたら、南側は、崖上になっていのかな。
さらに、歩いていくと、北側からも、東急東横線高架。
東急東横線高架の下を、潜って、北側に出る。
住宅地の中、西へ伸びる、蛇崩川緑道。
(2012年9月記)

東急東横線中目黒駅(上目黒一丁目 蛇崩川跡)

2013-09-22 07:09:20 | Weblog
山の手には、用もないので、ここで、引き返す。
今度は、道玄坂を、ゆるゆると、下っていく。
喧騒は、次第に、高まり、賑やかな、街中へ。
こういうのも、いいものだな。
まるで、渋谷の街、山の手の、御用達、というところ。
渋谷の街に、限らず、どこの街も、たいてい、そうなんだが。
山の手と、繁華な街は、セットなのかもしれない。
山の手から、こうして、歩いて来ると、そんな風に、実感してしまう。
渋谷駅に着き、東急東横線に、乗り込む。
中目黒駅で、下車。
山手通りを、渡り、東へ。
目黒川が流れている。
さらに、蛇崩川の、合流地点もある。
今回は、この合流地点から、蛇崩川を、遡ることとする。
(2012年9月記)

山手線渋谷駅(住友不動産渋谷ガーデンタワー)

2013-09-21 07:14:58 | Weblog
道玄坂を、上っていく。
上るたびに、喧騒の、渋谷の街から、離れていくような感じ。
そして、後ろを振り返ると、渋谷の街を、見晴るかす、というところか。今は、建物が、多いので、そういうわけには、いかないのだろうけど。
上りきると、246号に出る。
ここからは、山の手。246号は、尾根道かな。
246号を、西へ。
しばらくすると、南北に伸びる、旧山手通り。
交差点の、南東側には、住友不動産渋谷ガーデンタワー。
最近、完成した、高層オフィスビルだ。(工事中はこちら
山の手の、防壁のような、感じだな。
徐々に、渋谷の街も、変わっていく。
(2012年9月記)