retifの都市探検日記(高層ビル編)

東京の街並みなどを報告します

千代田線霞ケ関駅(内幸門前交差点)

2012-09-30 07:12:43 | Weblog
北へ歩いていくと、すぐに、南北に伸びる、祝田通りと、東西に伸びる、国会通りとの、内幸門前交差点。
本当に、静かだな。クルマが、一台も通らないし、誰もいない。
今日は、一年のうちで、もっとも、静かなのかも。
祝田通りの、西側は、官庁街。
北東側は、日比谷公園、南東側は、内幸町のオフィス街。
大手町、丸の内、有楽町と、オフィス街が、連なり、内幸町で、官庁街と、結ばれているような感じ。
その、回廊に、飯野ビルディングが、新しく、加わったわけか。
まさに、都心中心部に、集中している、ということ。
そういうわけで、平日は、賑やかであっても、こんな日は、静かなわけなのかな。
そろそろ、帰ることにする。
地下鉄の駅、入口へ。
(2011年12月記)

千代田線霞ケ関駅(飯野ビルディング)

2012-09-29 07:06:18 | Weblog
高田馬場駅で、東西線。
大手町駅で、千代田線に乗り換える。
霞ケ関駅で下車。
地上に出ると、さすがに、年末、ということで、誰もいない。
南北に伸びる、祝田通りを、南へ。
すぐに、通りの、東側には、飯野ビルディング。
最近、完成した、高層オフィスビルだ。(工事中はこちら
バブルが崩壊して以降、地方は、衰退していくのに、こうして、都心部は、発展していく。
いや、むしろ、地方が衰退していくに従い、都心部が、集中的に、発展する、といことかも。
どちらか、わからないけど、確かなのは、都心部にいると、まだまだ、発展は、続いていると、錯覚してしまうことだ。
都心から、地元に帰ると、商店街は、シャッター通り。安売りの、スーパーしかない。
だからといって、都心部の発展が、なくなれば、商店街の、シャッター通りは、なくなるのかといえば、そんなことはないけど。
北へ。霞ケ関駅へ、戻る。
今回は、あまり、時間がないのだ。
(2011年12月記)

山手線浜松町駅(浜離宮インターシティ)

2012-09-28 06:18:57 | Weblog
西に歩いていくと、すぐに、通りの南側、浜離宮インターシティ。
最近、完成した、高層オフィスビルだ。(工事中はこちら
バブルの頃は、辺鄙な、港湾地帯だったのに、変貌、著しい。
当時、そんな、辺鄙な、港湾地帯を、抜けていくと、海べり、場違いな、ニューピア竹芝が、あったものだが。
バブルが崩壊して、再開発が、都心に、集中するようになり、一帯には、汐留シオサイトが、出現。
さらに、汐留シオサイトが、南側、浜松町駅まで拡大し、またさらに、現在は、ここまで、きたわけか。
もうすぐ、ニューピア竹芝も、吸収されそうな、勢いだ。
ゆりかもめが、汐留シオサイトと、ニューピア竹芝を、結んでいるので、あり得るかもしれない。
さあ、そろそろ、帰ろうかな。
今年も、もう、すぐ、終わる。
といっても、それほど、感慨はないけど。
来年は、どうなるだろう。
とりあえずは、都心の、集中的な、再開発は、続くのだろうな。
西へ向かい、浜松町駅ヘ。
(2011年12月記)

山手線浜松町駅(湾岸一丁目 四季劇場)

2012-09-27 04:29:37 | Weblog
ゆりかもめの高架下を、北へ。
高架は、徐々に、西へと、曲がっていく。高架下の、道路も、同じように、曲がっていく。
西へと、向きが変わって、しばらく、歩いていくと、道路の、北側に、四季劇場。
演劇に興味はないし、行ったこともないが。
完成したのは、汐留シオサイトより、ちょっと、早く、ゆりかもめ開通より後。
汐留シオサイトの先駆け、バブルの余韻、といったところか。
そういえば、劇団四季の「キャッツ」というのは、バブルの頃、だったかな。
いや、もう少し、早く、安定期の頃だったかもしれない。
高度成長を達成し、いらなくなった、工場の敷地を、流用するところは、バブルっぽいけど。
そのうち、いつしか、汐留シオサイトの、南端部分に、組み込まれたのかもしれない。
だとすると、その、さらに、南東側にある、ニューピア竹芝も、汐留シオサイトに、含まれるのだろうか。
そういうことかもしれない。
さらに、西へと、歩いていく。
(2011年12月記)

山手線浜松町駅(ニューピア竹芝ノースタワー)

2012-09-26 04:45:52 | Weblog
ペデストリアンデッキを北へ。
ニューピア竹芝の北端には、ノースタワー。
他にも、南から、ホテルインターコンチネンタル東京ベイ、サウスタワー、アジュール竹芝、がある。
これら、4棟の高層ビルからなる、ニューピア竹芝。
完成したのは、バブルの頃。
ウォーターフロントの再開発。海べり、川べりの、不用になった、施設を、再利用、ということだったかな。
だから、けして、中心部の再開発、ではない。
当時は、浜松町でも、ちょっと、外れ、という感じだった。
新橋あたりまでが辺縁。
竹芝は、そういった場所からでさえ、離れている。
そんな、辺鄙な場所の、再開発。
だが、バブル期においては、時代の流れ。
むしろ、それらしかったけど。
今は、時代遅れの、レトロな一帯。
そんな、懐かしい気持ち、いっぱいになりながら、ペデストリアンデッキを、下りる。
(2011年12月記)

山手線浜松町駅(竹芝埠頭から臨む東京湾)

2012-09-25 05:04:41 | Weblog
ニューピア竹芝の、ペデストリアンデッキに上る。
東側には、東京湾が、広がり、海べりには、竹芝埠頭。
ここから、船が、出航していくのだ。
船に乗ったことは、ほとんどないので、旅情に、駆られる、ということはないけど。
南側には、日の出埠頭、というのもある。
実際、船が、接岸するのは、こちらかもしれない。
そういえば、たしか、日の出埠頭、ニューピア竹芝の再開発が、始まった頃、そちらにも、再開発の計画が、あったような気がする。
バブルが、崩壊していなければ、おそらく、日の出埠頭にも、高層ビルが、建ち並んでいたのだろう。
もっとも、今となっては、もう、昔語りでしかないけど。
そういう時代が、あったというわけだ。
もう少し、ニューピア竹芝、歩いてみる。
(2011年12月記)

山手線浜松町駅(竹芝埠頭公園)

2012-09-24 04:47:02 | Weblog
高架になっている、ゆりかもめ竹芝駅の下を潜り、東側へ。
東側、海までは、再開発地、ニューピア竹芝、になっている。
バブルの頃、完成した、ウォーターフロント再開発。
再開発、といっても、もう、かなり、時間が経っているので、新しさは、ないけど。
むしろ、レトロな感じだろうか。
そういえば、ニューピア竹芝が完成して、しばらくして、ここを、訪れたっけ。
もう、夜中になっていた。
当時は、汐留シオサイトも、完成していず、それほど、賑やかではなかったな。
静かな、夜だったと思う。
それでも、なにか、明るい未来に、満ち溢れていた。
あるいは、安定した、何も心配のいらない、将来。
これから、本当に、どんな未来が訪れるのだろう、と期待に、胸、膨らませていた。
結局、どうなりもせず、その、明るい未来は、消え去ってしまったけど。
今は、こうして、レトロな、建物だけが、残っているわけかな。
(2011年12月記)

山手線浜松町駅(ゆりかもめ竹芝駅駅舎)

2012-09-23 07:08:28 | Weblog
さらに、もう一つ。
高度成長を達成した後の、安定期に建てられた、これらの、施設群。
近い将来、再開発される、可能性が、あるのだ。
本当に、実現するのか、わからないが。
もし、そうなれば、やはり、汐留シオサイトが、南側に、拡大した、ということかな。
なにか、また一つ、古き良き時代の痕跡が、消えてしまうようにも、思えるけど。
再び、東へ、歩いていく。
すぐに、ゆりかもめの竹芝駅。
バブルが崩壊した頃に、開業している。
ただ、バブルの頃に、工事が、始まっているので、バブルの、産物と、いえるかも。
それに、道路上に、さらに、もう一つ、別の、交通機関、というのも、贅沢で、バブルっぽい。
バブルが、消え失せた、今となっては、臨海副都心が、近場リゾートに、ならなければ、無用の長物、だっただろう。
そう考えると、こうして、見ているだけで、なにか、昔のことを思い出して、胸が、いっぱいになるな。
(2011年12月記)

山手線浜松町駅(東京産業貿易センター)

2012-09-22 07:12:00 | Weblog
旧芝離宮恩賜庭園の東側には、南北に伸びる、交通量の多い、幅広の、海岸通り。
上空には、首都高都心環状線の高架。
海岸通りを渡ると、通りの南側には、施設が、建ち並んでいる。
いったい、いつ頃から、建っているのだろうか。
その中、一際、目立つのが、東京産業貿易センター。
完成したのは、高度成長期が終わった後の、安定期。
もうすぐ、バブルが始まろうとしている頃だ。
おそらく、他の、建物も、同じ時期に、建ったと思う。
実は、バブルの頃、西隣の、東京都計量検定所、というところに、行ったことがある。
あるいは、東京産業貿易センターだったかもしれないけど。
今でいう、google mapみたいなのを、見学したのだ。
あまりに、先駆的だったのか、それほどではなくとも、そのような技術の、価値を、理解したのが、唯一、googleだけだったのか、わからないけど。
結局、google mapみたいなのは、埋もれてしまったみたい。
思い出にしか、ならなかったようだ。
(2011年12月記)

山手線浜松町駅(旧芝離宮恩賜庭園児童公園)

2012-09-21 07:03:06 | Weblog
西武新宿線中井駅で、都営大江戸線に、乗り換える。
しばらくして、大門駅。大門駅で下車。
地下道を、東に歩くと、すぐに、浜松町駅。
事実上、都営大江戸線の大門駅と、JRの浜松町駅は、連絡駅になっている。
地上に出て、さらに、東へ。
JRの高架を、潜る。
いつしか、高架の東側、建ち並ぶ、高層ビル。
北側の、汐留シオサイトの、南端、といったところか。
ただ、通りの、南側は、旧芝離宮恩賜庭園になっていて、もう、これ以上、高層ビルが、南に、建つことは、ないだろう。
ということで、今回は、旧芝離宮恩賜庭園を、訪れることにしたのだが。
入口に、近付くと、年末は閉園、という旨、記してある。
冬は、樹木も葉を落とし、緑、少ないので、一年の、準備期間、なのかな。
旧芝離宮恩賜庭園は、またの機会に、するしかない。
北側、併設されている、旧芝離宮恩賜庭園児童公園の方は、普通の公園なので、閉園、ということは、ないようだ。
再び、東へと、進む。
(2011年12月記)