retifの都市探検日記(高層ビル編)

東京の街並みなどを報告します

千代田線大手町駅(パレスホテル東京)

2013-10-31 05:19:43 | Weblog
パレスビルの南側には、パレスホテル東京。
新しく完成した、高層ホテル棟。
もとは、高層ビルではない、パレスホテルが、あったわけだが。
ところで、パレスホテル東京は、高度成長期、開業。
昭和、日本を、代表する、ホテル、だったのだろう。
その、ホテル棟が、いまや、高層ビルへ。
一帯の、建物も、次々と、建て代わっている。
それはそれで、いいのだが。
なんとなく、一つの時代も、終わったような、気もする。
しかも、その、終わった時代、いい時代だったとしたら。
あるいは、日本の、坂の上だったとしら。
それは、仕方のないことだろうけど。
永代通りを、東へ向かう。
(2012年9月記)

千代田線大手町駅(パレスビル)

2013-10-30 06:10:30 | Weblog
高度成長期から、その後の、安定期にかけて、昭和の、オフィスビル群は、完成したわけだが。
大手町、丸の内。
やや高めの、オフィスビルが、並び建つ。
完成した、ビル群、という感じだったな。
バブルの頃も、ほとんど、変わらなかったし。
そんな大手町、丸の内なのだが。
バブルが崩壊した後の、失われた10年。その頃から、急速に、変わり始める。
そして、その変化は、今も、続いているようだ。
さらに、南へと、歩いていく。
東西に伸びる、永代通り。
その、南側には、パレスホテル、があったはずだが。
最近、完成した、パレスビルという、新しい高層ビルが、建っている。(工事中はこちら
パレスホテル自体が、なくなったわけではないけど。
(2012年9月記)

千代田線大手町駅(解体されるりそな・マルハビル)

2013-10-29 06:09:11 | Weblog
高田馬場駅から東西線。
竹橋駅で下車。
地上に出ると、内堀通り。
西側には、大手濠、東側には、大手町のオフィスビル群。
内堀通りを、南へと、歩いていく。
東側、通り沿い、気象庁があり、消防庁本部。
消防庁の、さらに、東側には、新しく、建てられた、高層ビル群がある。
だんだん、新しい、高層ビルが、進出してきているのだろうか。
再び、内堀通り、南へ。
今度は、大手濠に面して、高度成長期、あるいは、その後に、安定期に、建てられた、オフィスビル群。
と思ったら、解体作業中。
たしか、三菱東京UFJ銀行大手町ビル、および、りそな・マルハビルが、あるはずなのだが。
時代の流れ、なのかな。
(2012年9月記)

丸ノ内線四谷三丁目駅(四谷二丁目 新宿通り)

2013-10-28 06:10:39 | Weblog
再び、鮫川流路跡を、遡る。
坂を、上ると、また、尾根道、新宿通り。
結局、源泉は、見つからなかった。
ところで、そういえば、さっき、訪れた、法蔵寺、江戸時代初期の、火葬場に、建てられたそうだ。
とすると、火葬場は、その後、鮫川の、谷底へと、移っていったのだろうか。
また、寺町が、広がっていったのも、そのことと、関係があるのだろうか。
それとも、寺町の方が、先だったのかな。今となっては、わからない。
そして、その後、貧民窟に、なったわけだが、どのような、経緯なのだろう。
こちらも、今となっては、もう、わからないな。
それにしても、明治時代になるのだが、煌びやかな、宮殿、その、すぐ北側には、都下最大の、貧民窟があった、ということだが。
光と闇、なのだろうか。
さあ、もう、帰ろう。
新宿通りを、東へ。
四谷三丁目駅から、丸ノ内線に乗る。
(2012年9月記)

中央線四谷駅(若葉二丁目 愛染院)

2013-10-27 07:15:59 | Weblog
鮫川の源泉を探しているのだが、結局、見つからず。
新宿通りは、尾根道なので、あるとすれば、そこから、南側斜面。
さっき、訪れた、法蔵寺境内には、弁財天が、あったかもしれない。弁才天は、泉の、畔に、あったりするので、あるいは、法蔵寺境内なのかも。
もっとも、新宿通りの尾根道、南側斜面は、急なので、斜面、崖のあちこちから、湧水が、滲み出し、鮫川となって、流れ下っていたのかもしれない。
新宿通りから、南へ。
喧騒の大通りから、静かな、寺町になる。
すぐに、愛染院。
創建は、こちらも、江戸時代の、初め頃。
創建の地は、麹町、貝塚。今の、平河天神のあたりだ。
しばらくして、この地に、移っている。
そこから、坂を、下ると、再び、鮫川流路跡。
(2012年9月記)

中央線四谷駅(若葉一丁目 法蔵寺)

2013-10-26 07:02:26 | Weblog
鮫川流路跡、くねくねと、曲がり始め、上り坂は、徐々に、急になってくる。
そして、ぐっと、北に、向きを、変更。
その先には、新宿通り。
鮫川の、源泉に、かなり、近いと思う。
そんな、鮫川流路跡なのだが、東側には、法蔵寺。
創建は、江戸時代直前。
もとは、徳川の本拠、三河に、あったようだ。
徳川が、江戸に、本拠を、移すにあたって、ついてきたのだろう。
近く、北側、東西に伸びる、新宿通りが、当時の、街道なので、むしろ、街道筋、ということで、この地に、創建されたのかもしれない。
北へ。新宿通りに出て、東へ、歩く。
(2012年9月記)

中央線四谷駅(若葉二丁目 真英寺)

2013-10-25 06:08:12 | Weblog
鮫川流路跡は、だんだん、上り坂になり、ぐっと、カーブを、描くようにも、なってくる。
水源地に、近い、ということか。
北側の、斜面を、上っていくと、真英寺。
創建は、やはり、江戸時代の初め頃。
創建の地は、麹町、貝塚。
今の、平河天神あたりかな。
その後、しばらくして、この地、ではなくて、いったん、ここから、ちょっと、離れて、北側、今の、靖国通り、南側に、移転したらしい。
さらに、数度の、変遷を経て、ようやく、この地に、落ち着いている。
江戸の町が、拡大していく、様子が、間接的に、想起されて、興味深い。
斜面を、下って、再び、鮫川流路跡へ。
まら、流路跡を、辿っていく。
(2012年9月記)

中央線四谷駅(須賀町 須賀神社)

2013-10-24 06:08:37 | Weblog
坂を上がっていくと、開けた場所。
台地の上には、須賀神社。
須賀神社も、もとは、麹町、清水谷に、あったそうだ。
江戸時代になって、しばらくして、この地に、移ってきている。
ちなみに、江戸名所図会では、四谷牛頭天王社、という名前。
挿絵には、石段下、妙行寺も、描かれていて、今の通り。
現在は、静かな、社だが、江戸時代、盛んだったのかもしれない。
そういえば、麹町、清水谷にあった頃、そもそも、彼の地には、いつから、あったのだろう。
室町時代だったかもしれず、鎌倉時代だったかもしれず、また、あるいは、平安時代だったかもしれない。
もはや、歴史の中に、埋もれてしまった。
石段を下り、再び、鮫川流路跡へ。
(2012年9月記)

中央線四谷駅(若葉二丁目 妙行寺)

2013-10-23 06:09:28 | Weblog
鮫川流路跡から南西側へ。
またしても、上り斜面。
斜面を、上っていくと、妙行寺。
創建は、こちらも、江戸時代直前。
創建の地は、麹町、清水谷。今の、ホテルニューオータニの東側、清水谷公園だろうか。
しばらくして、この地に、移ってきている。
このあたり、寺町になっているらしい。
崖地の上、高台。
そして、崖下は、いつしか、貧民窟に、なっていったのだろうか。
さらに、崖を、上っていく。
(2012年9月記)

中央線四谷駅(若葉二丁目 蓮乗院)

2013-10-22 06:08:00 | Weblog
かつて、都内最大の、貧民窟があったなんて、想像も出来ない。
とはいえ、鮫河橋坂を、下りきった場所は、なんか、今でも、本当に、谷底、という感じではあったな。
鮫川流路跡、辿りながら、北へ歩き、しばらくして、北東へ。
急な、上り坂を、上っていく。
崖の斜面だったのだろう。
すぐに、道路の、東側には、蓮乗院。
創建は、江戸時代の直前。
ただ、創建の地は、ここではなく、麹町だったようだ。
江戸時代の初め頃、この地に、移ってきている。
江戸時代へと、歴史の流れが、大きく、変わった、ということの、表れかな。
坂を、下り、再び、鮫川流路跡を、北へ、向かう。
(2012年9月記)