retifの都市探検日記(高層ビル編)

東京の街並みなどを報告します

銀座線上野駅(上野桜木一丁目 国立博物館北側の通り)

2015-04-30 03:45:33 | Weblog
国立博物館北側の、通り。
道路の北側は、墓地になっている。
江戸時代の、地図を見ると、寛永寺は、今の、国立博物館に、本堂が、あったようだ。
その、北側も、寛永寺の、寺領だったのかどうか、わからない。
さらに、北側は、崖下に、なるので、寛永寺の、領域だったのかも。
ただ、江戸時代、寛永寺の、中心は、上野公園に、なっていたのだが、現在は、北側に、移ったようだ。
さらに、北西へと、向かう。
(2013年3月記)

銀座線上野駅(上野公園 寒松院)

2015-04-29 06:34:48 | Weblog
北へ、歩くと、通りの、東側、寒松院の山門。
こちらも、江戸時代、創建。
寛永寺の子院。
山門は、二つしかないのだが、寺院は、たくさん、あって、密集している。
ただ、初めから、密集していたわけでもない。
例えば、寒松院、最初は、今の、上野動物園、入口あたりに、あったようだ。
他にも、今の、上野動物園に、いくつかの、寺院が、ある。
さらに、今の、上野駅、寺院が、南北に並んでいる。
寛永寺そのものが、広大なので、子院も、それなりの、規模だったようだ。
突き当りを、北西へ、曲がり、そのまま、北西へ、歩いていく。
(2013年3月記)

銀座線上野駅(上野公園 国立博物館東側の通り)

2015-04-27 04:37:01 | Weblog
こちらの方、来たことないなあ、たぶん。
都心にも、訪れていない場所が、あったわけかな。
華やかな、上野駅界隈、上野公園、そして、静かな、博物館。
さらに、その奥。
おそらく、江戸時代、寛永寺が、広大な、寺域を、保っていた頃、そのまま、なのかもしれない。
博物館は、博物館だから、静かなのだが、ここらへんは、さらに、それ以上に、静か。
誰も、歩いていないし。
北へ、歩いていく。
(2013年3月記)

銀座線上野駅(上野公園 寛永寺)

2015-04-26 07:06:25 | Weblog
通りを挟んで、北側には、寛永寺。
といっても、もともと、寛永寺の、寺領は、上野公園全体だったので、今、あるのは、寛永寺の、一部分、ということになる。
寛永寺、創建は、江戸時代の、初め頃。
江戸の町の、鎮護のために、建てられた、ということだ。
実際、寺社の、境内は、陣地に、なりえたので、そのような役割も、考慮されたのだろう。
江戸幕府が、なくなり、明治時代、寺域は、大幅に、縮小。
大半は、上野公園となる。
江戸時代、寺勢盛んだったことへの、反動、なのかな。
国立博物館の、東側を、北へと、歩く。
(2013年3月記)

銀座線上野駅(上野公園 国立科学博物館)

2015-04-25 05:56:04 | Weblog
南側には、国立科学博物館、がある。
こちらも、明治時代の初め頃、上野公園に、移っている。
ただ、しばらくして、湯島聖堂へ、なぜか、戻り、昭和の初め頃、ようやく、現在地。
そういえば、上野の博物館、小学生のとき、来たことある。
館内については、ほとんど、覚えていないけど。
それよりも、博物館に行く、という、そういうことが、とても、嬉しくて、そのことだけは、よく、覚えている。
時代は、高度成長期から、安定期へ。
世の中に、余裕が、でてきた頃。
その、余裕の象徴が、博物館、なのだ。
今は、余裕なぞ、まったくないので、博物館どころではない。
懐かしいだけ。
(2013年3月記)

銀座線上野駅(上野公園 国立博物館)

2015-04-24 04:52:05 | Weblog
東西に伸びる道路。
その北側には、国立博物館がある。
創設は、明治時代の初め。場所は、湯島聖堂。
ウィーン万国博覧会への、出展準備、ということだったらしい。
すぐに、今の、新橋駅近く、内幸町に、移転。
場所が、手狭だったので、また、すぐに、この地、寛永寺の、境内跡地に、移転している。
広い敷地、ということもあるが、台地、山手、という環境には、博物館、適している、とも思える。
国立博物館を後にして、東へ。
(2013年3月記)

銀座線上野駅(上野公園 噴水池)

2015-04-23 05:03:07 | Weblog
噴水広場なので、噴水があるわけだが。
おそらく、噴水が、できたのは、高度成長期あたりだろうか。
水の、噴き上がる様、世の中の、隆盛を、そのままに、表していたことだろう。
今は、工事中なのか、噴水は、止まっている。
これでは、平板な、池だ。
こちらの方が、落ち着いていて、いいけど。
さらに、北へと、歩いていく。
(2013年3月記)

銀座線上野駅(上野公園 噴水広場)

2015-04-22 05:02:44 | Weblog
ちょっと前まで、上野、というと、都心からは、独立した、感じはしたのだが。
独特な、街並み。
それが、徐々に、消えていきつつあるのだろうか。
そんなことを考えながら、階段の上ると、上野公園。
東側、低地、下町と、西側、台地、山手との、境界。
下町、山手、といった、社会の、枠組みから、ひととき、自由でいられる、解放区。
そのはずなのだが、下町が、消えつつある、現在、どうなのかな。
テーマパークとして、存在は、するのだろうけど。
園内、北へ向かうと、大きな広場、噴水広場に、辿り着く。
(2013年3月記)

銀座線上野駅(上野公園 清水観音堂近くの歩道)

2015-04-21 05:03:54 | Weblog
そういえば、このような、きれいな建物だったろうか。
たしか、つい最近まで、西郷会館、だったのだ。
昭和の時代の、建物。
のれん街、レストラン聚楽台。
西郷会館が、建てられたのは、戦後、しばらくしてから。
レストラン聚楽台は、高度成長期の頃、オープン。
いつの間に、なくなったのだろう。
都心部の再開発に、飲み込まれたのかな。
階段を、上り、上野公園へ。
園内歩道を、北へ北へと、歩いていく。
(2013年3月記)