retifの都市探検日記(高層ビル編)

東京の街並みなどを報告します

丸ノ内線西新宿駅(西新宿六丁目 北に伸びる地下通路)

2014-02-28 06:11:12 | Weblog
西武新宿線、中井駅で、都営大江戸線に乗り換える。
前回も、同じだったな。
都心を、訪れるには、便利な、路線、ということだろう。
都庁前駅で下車。
たまに、降りると、地下の、立体迷路、まるで、わからず、うろたえてしまう。
そういえば、思い出した、こちらの、入口だな、などと、自身を、安心させるために、そんな、思い込みをして、でたらめに、進んで行くと、ますます、わからない。
改札まで、戻って、慎重に、辿っていく。
やっと、北へ伸びる、長い長い、地下通路。
(2012年11月記)

総武線両国駅(両国駅駅舎)

2014-02-27 05:15:19 | Weblog
南へ南へと、歩いていくと、しばらくして、東側には、国技館。
いつ来ても、華やかな感じ。
そういえば、国技館は、以前、蔵前にあったな。
そちらの方が、懐かしいような気もするが、もう、今は、跡形もない。
今の、国技館、完成したのは、高度成長を達成した後の、安定期
むしろ、バブル期の、直前、だったかな。だから、華やかな雰囲気なのかもしれない。
その、東側には、江戸東京博物館。
こちらは、バブル期、完成したが、結局、一度も、行っていない。
さらに、南へ、向かうと、両国駅。
たしか、バブルの頃、高層駅ビルを、建設する、計画があったように、記憶している。
今となっては、もう、どこかに、消えてしまったようだ。
そんな両国駅に、晩秋の雨、降りしきる。
駅改札を抜け、ホームへ。
おそらく、この先も、ずっと、変わらぬ、両国駅を、後にし、帰路につく。
(2012年11月記)

総武線両国駅(横網一丁目 両国公会堂)

2014-02-26 06:10:06 | Weblog
旧安田庭園。緑深く、大きな池もある。また、起伏に富んだ地形。
こうして、雨が降り続いても、その趣が、損なわれることはない。
むしろ、雨天さえも、庭園の、景観に、取り入れてしまうよう感じだ。
といっても、来訪者は、あまり、いないけど。
池の、北側には、レトロな、両国公会堂。
完成したのは、昭和の初め頃。
江戸時代には、大名屋敷に、日本庭園が、整備され、昭和の時代には、両国公会堂が、建てられた、というわけか。
そして、高度成長を達成した後の、安定期には、再整備されている。
雨が降り続く中、旧安田庭園を、後にして、さらに、南へと、向かう。
(2012年11月記)

総武線両国駅(横網一丁目 旧安田庭園)

2014-02-25 06:08:11 | Weblog
南へ、しばらく、歩いていくと、通りの東側に、旧安田庭園。
日本庭園になっている、公園だ。
もともとは、江戸時代、笠間藩の、下屋敷。
屋敷内に、庭園を、設えたのだろう。
さらに言えば、江戸時代、隅田川東岸の、再開発の、一環だったのかもしれない。
明治時代になり、いくつかの変遷を経て、安田財閥の、庭園になる。
その後、しばらくして、自治体に、寄贈されたらしい。
ただ、いつしか、放置され、かつての、景観は、失われていたようだ。
今のような、日本庭園になったのは、高度成長を達成した、安定期の頃。
こちらも、ウォーターフロント、と言えるかも。
旧安田庭園に、入ってみる。
(2012年11月記)

都営大江戸線蔵前駅(首都高向島線高架下)

2014-02-24 04:20:57 | Weblog
隅田川を渡りきり、東岸。
台東区から、墨田区、となる。
あまり、変わらないのだが。
江戸時代、武蔵国に、変わり、江戸の町に、なったわけだが、それ以来、街並みは、同じになったのかな。
南北に伸びる、国技館通りを、南へ。
上空には、首都高向島線の高架。
完成したのは、高度成長を達成した後の、安定期の頃。
高度成長を達成すれば、工場は、いらなくなるので、その跡地の、再開発が、ウォーターフロント、だったはず。
とすると、首都高向島線も、ウォーターフロント、なのかもしれない。
さらに、南へと、歩いていく。
(2012年11月記)

都営大江戸線蔵前駅(蔵前二丁目 隅田川の流れ)

2014-02-23 07:16:00 | Weblog
蔵前橋から、隅田川を見る。
晩秋の大雨で、川面は、ぐっと、膨らんだようだ。
茶色く、濁った、水が、押し寄せるように、流れていく。
といっても、洪水になるような、ことはないだろうけど。
そういえば、江戸時代以前は、利根川が、流れ込んでいたのだ。
川の流れも、もっと、広大だったかもしれない。
武蔵国と、下総国の、境だったのも、そのためだろう。
江戸時代になり、利根川は、東側に、流れを、移すのだが、大正時代、今度は、荒川が、分離する。
ということで、隅田川の、東岸は、さらに、都心と、関わりが、強くなり、こうして、蔵前橋も、架かったわけかな。
などと、考えているうちに、蔵前橋を、渡りきり、隅田川東岸へ。
(2012年11月記)

都営大江戸線蔵前駅(蔵前二丁目 蔵前橋)

2014-02-22 07:12:34 | Weblog
蔵前橋は、大正時代に、完成している。
都心に対して、郊外が、誕生し始めた頃。
都心の、西側は、郊外住宅地になったのだが、東側は、下町、工場地帯に、なったようだ。
江戸時代は、むしろ、東側、隅田川の、東岸が、郊外住宅地に、なったらしい。
もともと、隅田川の、東側は、下総国だったのだが、江戸時代に、武蔵国に、なっている。
江戸の町が、隅田川の、東側まで、拡大したことによるのだろう。
そして、今、下町は、賑わいを失い、工場は、なくなってしまった。
郊外は、どこも、同じだけど。
あとは、歴史的な、テーマパークぐらいだろうか。
蔵前橋を、渡る。
(2012年11月記)

都営大江戸線蔵前駅(蔵前二丁目 浅草御蔵跡)

2014-02-21 06:10:39 | Weblog
蔵前橋の、手前、通りの、北側には、浅草御蔵跡の碑がある。
江戸時代、幕府の、年貢米などを、揚陸し、保管した、蔵が、並んでいたようだ。
完成したのは、江戸時代の、初め頃。
いちおう、江戸の町造り、手始めに、米の、搬入先を、整備した、ということか。
西側の、鳥越神社にあった、丘を、突き崩して、その土砂で、川辺を、埋め立てたらしい。
それはそれとして、江戸城近くではなく、浅草近いのは、当時、浅草の方が、もともと、開けていたからかな。
東へ進み、蔵前橋へ、向かう。
(2012年11月記)

都営大江戸線蔵前駅(蔵前二丁目 揖取稲荷神社)

2014-02-20 06:11:45 | Weblog
朝から、ずっと雨。昼でも、夕暮れのよう。
だんだん、寒くなってきた。
そんな中、南へ南へと、歩いていく。
しばらくすると、細い通りの、西側には、揖取稲荷神社。
創建は、江戸時代の初め頃。
蔵を、整備するために、神社を、設置したらしい。
地域の神社は、蔵前神社で、こちらは、蔵造営工事のための、神社、なのかな。
役割分担が、あるのかどうか、よくわからないけど。
さらに、南へ、向かうと、東西に伸びる、蔵前橋通り。
(2012年11月記)

都営大江戸線蔵前駅(蔵前二丁目 大江戸タワーレジデンス)

2014-02-19 06:09:03 | Weblog
またしても、蔵前橋の袂。
ちょっと、レトロな感じの街並み。
どう見ても、高層ビルが、建つようには、思えないな。
これは、間違えたかもしれない。
ざーざー降りの、雨の中、ちょっと、途方に暮れてしまった。
また、北へ。再び、蔵前駅入口。
ひょっとして、と思い、今度は、江戸通りの、東側、隅田川沿いへ。
はたして、大江戸タワーレジデンスの、工事現場があった。
川沿い、あるいは、大通り沿い、ということで、高層ビルが、建つのかな。
たしかに、隅田川から、離れると、レトロな街並みだし、寺院も、多く、高層ビルが、建つような、感じではない。
やっと、見つかった、高層住宅の工事現場を、後にして、雨の中、南へ、向かう。
(2012年11月記)