retifの都市探検日記(高層ビル編)

東京の街並みなどを報告します

つくばエクスプレス線浅草駅(竜泉一丁目 西徳寺)

2014-01-31 06:08:52 | Weblog
もうすぐ、鷲神社では、酉の市、かなり、賑わうことだろう。
一度、そのとき、訪れてみたいものだ。
鷲神社を後にして、北へ、歩く。
しばらくして、通りの、西側には、西徳寺。
創建は、江戸時代初め頃。創建の地は、今の、本郷あたり。
ほどなくして、この地に、移ってきている。
江戸の町の、拡大とともに、寺町が、形成されたわけだが、西徳寺も、その一画を、担っていたわけかな。
再び、国際通り、北へと、向かう。
(2012年11月記)

つくばエクスプレス線浅草駅(千束三丁目 鷲神社)

2014-01-30 03:41:33 | Weblog
昔は、賑やかであっただろう、商店街を、北へ。
しばらくして、西へ曲がり、国際通りへ、戻る。
再び、北へ。しばらくすると、通りの東側、有名な、鷲神社。
創建は、わからないぐらい、古いらしい。
でも、そういえば、ここらへん、江戸時代より前は、千束池だったはず。
そう考えると、それほど、古くはないのかも。
起源は、どうやら、北側にある、長国寺境内の、鷲大明神だったらしい。
長国寺は、江戸時代の初め頃、浅草に、建てられ、しばらくして、この地に、移転してきている。
もし、古いとすると、もともと、浅草に、鷲大明神があって、それが、長国寺境内に、含まれるようになった、ということだろうか。
さらに、北へと、歩く。
(2012年11月記)

つくばエクスプレス線浅草駅(千束三丁目 千束せんわ通り)

2014-01-29 06:10:10 | Weblog
東西に伸びる、言問通りとの、交差点を越え、さらに、北へ。
町名は、千束、となる。
千束、といえば、千束池。
上野と、浅草寺の間に、広がっていたようだ。
他にも、池は、点在し、一帯は、広大な、湿地帯になっていたのだろう。
そのような、湿地帯は、おそらく、江戸時代に入って、埋め立てられ、ほぼ、なくなったのかな。
そして、新しく、できた土地に、寺町が、配置されたのかもしれない。
国際通りから、東へ、街中、千束せんわ通り。
東へと、歩いてみる。
(2012年11月記)

つくばエクスプレス線浅草駅(西浅草三丁目 寿仙院)

2014-01-28 06:09:20 | Weblog
北へ歩くと、すぐに、寿仙院。
創建は、江戸時代の初め頃。
創建の地は、今の、小伝馬町あたりらしい。
しばらくしてから、この地に、移ってきている。
まわりの、寺院も、たいてい、同じ頃だ。
江戸の町が、拡大し、それに応じて、その様相も、変わらざるを得なかったのかもしれない。
すなわち、上野から、浅草寺まで、寺町を、配する、ということだ。
帯のように、寺町を、築いて、どのような、効果があるのか、わからないけど。
ともかく、寿仙院、浅草寺の、すぐ西側、一画を、占めることになる。
そんな、寺町を、後にして、国際通り、さらに、北へと、歩いていく。
(2012年11月記)

つくばエクスプレス線浅草駅(西浅草三丁目 万隆寺)

2014-01-27 04:54:36 | Weblog
北へ、しばらく、歩いていくと、通りの、西側には、万隆寺。
創建は、わからないが、それなりに、古いらしい。
江戸の町に、移ってきたのは、おそらく、江戸時代になってから。
当初は、湯島に、あったそうだ。
ほどなくして、この地に、移転している。
当時、すでに、今の、国際通りは、あったようで、その通りを挟んで、東側は、浅草寺の、広大な敷地。
つまり、浅草寺、西側に、沿った道が、今の、国際通り、だったのだろう。
通りから、西側、上野までは、寺町が、広がっていたのかな。
再び、国際通りを、北へ、向かう。
(2012年11月記)

つくばエクスプレス線浅草駅(浅草二丁目 国際通り)

2014-01-26 06:58:29 | Weblog
感応稲荷神社。創建は、わからない。
江戸時代の前、だろうか。
あるいは、もっと、以前から、あるのかもしれない。
浅草そのものが、かなり、古くから、歴史があるので、ひょっとすると、感応稲荷神社も、それなりに、古い可能性があるのだ。
国際通りを、北へ、進む。
すぐに、浅草ビューホテル。この、浅草ビューホテルの建つ前に、浅草国際劇場があり、そこから、通りの名が、国際通り、となっているようだ。
浅草国際劇場は、昭和の初め頃に、開業し、高度尾成長を、達成した後の、安定期に、閉館になっている。
まさに、昭和という時代の、産物、なのかも。
国際通りを、さらに、北へと、歩いていく。
(2012年11月記)

つくばエクスプレス線浅草駅(西浅草三丁目 感応稲荷神社)

2014-01-25 09:28:47 | Weblog
変貌、著しい、東京駅周辺。
来るたびに、その、相貌を、変えていく、と言いたいところだが、つい、この前、来たばかりなので、それほどでもない。
もっとも、実際、変貌は、たしかに、著しいのだけど。
駅前広場から、東へ、東京駅。
京浜東北線の車両に、乗り込む。
すぐ近く、地下鉄、JRの路線を、利用できて、とても、便利だ。
だからこそ、再開発が、集中するのだけど。
秋葉原駅で下車。
こちらは、変貌は、一段落。
さて、つくばエクスプレスに乗り換えようかと思ったら、入口が、わからない。
何度か、乗り換えているのだけど、どうしても、昔の、秋葉原の記憶があるのだ。
ようやく、つくばエクスプレスの車両に、乗り込む。
浅草駅で、下車。地上に出ると、浅草の裏手の繁華街。
こちらの方が、よほど、浅草らしい。
通りの西側には、感応稲荷神社がある。
(2012年11月記)

東西線大手町駅(JPタワー)

2014-01-24 23:51:01 | Weblog
高田馬場駅から東西線。
大手町駅で下車。
地上に出ると、東西に伸びる、永代通りと、南北に伸びる、通りとの、交差点。
この間も、大手町、来たのだっけ。
最近、高層ビルの建設場所が、都心の中心部に、集中しているので、同じ場所ばかり、訪れることになる。
南に歩いていくと、しばらくして、東京駅西口の、駅前広場。
巨大な、高層ビルが、建ち並ぶ。
バブルが、崩壊して以降、建てられている、高層ビルだ。
都心の中央が、いかに、大きく、変貌したか、ということ。
そして、まだまだ、この変貌は、今も、続いている。
駅前広場、南へと、歩いていくと、南端には、JPタワー。
最近、完成した、高層オフィスビル。(工事中はこちら
高層ビルが、次々と、建っていく。
(2012年11月記)

京王井の頭線永福町駅(京王井の頭永福町駅駅舎)

2014-01-23 05:11:31 | Weblog
井ノ頭通りを歩いていくと、もう、すぐに、駅前の雰囲気。
途中、南へ曲がると、永福町駅、となる。
そういえば、永福町の由来となった、永福寺、ここから、かなり、南側、むしろ、甲州街道に、近い場所にある。
ひょっとすると、江戸時代の頃、甲州街道あたりから、順次、開発が、進み、このあたり、拓かれたのかもしれない。
いったん、鎌倉時代に、拓かれたものの、その後、忘れ去られ、再び、暮らしが、戻った、ということかな。
時代を経て、昭和の初め、京王井の頭線が開通し、高度成長を達成、賑やかになっていく。
そして、今は、静かになりつつある、ということか。
さっそく、京王井の頭線に乗り、新宿方面へ。
明大前駅で、京王線に乗り換える。
20分もしないうちに、新宿に、着いてしまった。
ずいぶんと、便利だな、と思ってしまうけど、まあ、それだけかな。
新宿駅から、帰る。
(2012年10月記)

京王井の頭線永福町駅(永福町付近 商店が並ぶ井ノ頭通り)

2014-01-22 06:10:25 | Weblog
しばらく、線路沿いに、歩いていくが、途中、北へ。井ノ頭通りへ、出てみる。
いままで、長閑だったのに、急に、賑やかな、商店街。
とくに、京王線の、駅近く、四方に、商店街が、伸びている。
一頃よりは、ずいぶんと、静かになっただろうけど、それでも、昔、盛んだった頃が、うかがえるようだ。
ちなみに、永福町、という町名、京王線永福町駅の、南側、永福寺から、ということらしい。
永福寺、創建は、江戸時代の前、戦国時代。
その頃から、開拓が、始まりつつあった、ということかな。
井ノ頭通りをさらに、北西へ、歩いていく。
(2012年10月記)