retifの都市探検日記(高層ビル編)

東京の街並みなどを報告します

みなとみらい線元町・中華街駅北口(ホテルニューグランド)

2007-12-31 08:38:09 | Weblog
高田馬場駅から山手線で渋谷駅へ。
東急東横線に乗り換える。
みなとみらい線に直通しているのでそのまま乗っていれば、元町・中華街駅へ着く。
元町・中華街駅から地上に出ると、相変わらずのリゾートな雰囲気でいっぱいだ。
この日もあんまり天気はいいほうじゃなかったが、明るくてすがすがしい気分にさせてくれる。
北側に歩いて行くともう横浜港になるが、海岸に沿って山下公園があり、その山下公園を見渡すような位置にホテルニューグランドがある。
バブルの終わり頃にオープンしている。
横浜のリゾートホテルとしては、最高の立地条件を満たしているような気がする。
と思いつつ、すぐにUターンして元町・中華街駅へ戻ってしまうのだが。
山下公園には、バブルの頃に何度か、そして学生の頃に一度行っただろうか。
もともと、山下公園は、関東大震災の瓦礫で海岸を埋め立て、昭和の初め頃に完成したらしい。
臨海公園第1号を自称しているようだが、その当時から、海岸に公園があるのは珍しくはない。しかし、都会の中で海岸や港をテーマにした臨海公園、ということなら、やはり、山下公園が日本で臨海公園の最初であった、という考えは、妥当ではないかと思う。
大桟橋に接岸する大きな客船。その客船が運んでくるエキゾチックな旅情感溢れる雰囲気。
港の雄大な風景。時に強く吹き付ける潮風。カモメの鳴き声が響き渡る。
はるか海の果てに消え去ろうとする船。どんな航海が待ち受けているのだろうか、こちらの胸まで熱くなるような感じがする。
今現在でも、こんな臨海公園、自分は山下公園以外では知らないのだが。
バブルの頃以前に何回か訪れたのは、いい思い出になったのかもしれないなあ。
落ち着いたら、また、ゆっくり訪れてみたいけど、もうそんなことはないだろう。
せめて、思い出になったことを、運命に感謝するしかない。
(2007年6月記)

京葉線海浜幕張駅南口(ホテルニューオータニ幕張)

2007-12-30 07:58:36 | Weblog
海浜幕張駅に戻り、今度は南口に。
国際大通りを南へ歩く。
広大な幕張メッセの東側にはホテルニューオータニ幕張がある。
この高層ホテルもバブルの終わり頃にオープンしている。
千葉県の高層ビルは、たいてい、バブルの終わり頃か、つい最近、完成したと思って間違いないな。
さきほど、高架の海浜幕張駅の下をくぐって、南口に出たときに気付いたのだが。
今日、最初に訪れた、外房線鎌取駅で見かけた、いろんな楽器を持った大道芸人(ストリートミュージシャン)がいるではないか。
年のころは、もう、3、40歳ぐらいだろうか。
中年というほどではないけど、決して若い、という感じではない。
地元で大道芸、というのはちょっと考えられないけど、まったく関係ない土地からやってきたとも思えない。
ニュータウンの外房線鎌取駅から京葉線海浜幕張駅、という流れは、なんとなく、もともと千葉県を知っていなければ、ありえないような気がする。
広場のアスファルトの地面にいそいそと楽器を並べている姿を見かけたとき、その偶然に驚いたのも確かだが、なぜか、やっぱり、という感じもした。
この大道芸人(ストリートミュージシャン)が若い頃は、バブルの頃だったのだろう。
そして今でも、こうしてバブルの頃の街並みを演奏しながら、あてどなく渡り歩いているのだろうか。
などと、勝手に想像してしまう。
本当は、ただ、ペデストリアンデッキがあったり、外来者が多かったりする駅前を選んで商売をしているだけなんだろうけど。
さて、もう日が暮れるので、こちらは京葉線を使って帰るとするか。
ちょっとだけ、この大道芸人(ストリートミュージシャン)がどんな音楽を演奏するのか興味があったけど、疲れてしまったので帰る方を優先させることにする。
(2007年6月記)

京葉線海浜幕張駅北口(OVTA海外職業訓練センター)

2007-12-29 02:28:22 | Weblog
千葉駅で千葉都市モノレールに乗り込む。
順番的には千葉そごうに行ってから千葉ポートスクエアに行くべきだったかな。
千葉都市モノレールは懸垂式なのでレールが上にあり、下の景色がよく見える。
千葉港駅に到着し、京葉線に乗り換える。
海浜幕張駅で下車。
北口に出て、そのまま北へ歩く。
最近できたばかりのような、巨大なショッピングセンターのようなマーケットの隣にOVTA海外職業訓練センターがある。
この建物もバブルの頃に竣工している。
いまだに何の施設なんだかよくわからないのだが。
バブルの頃にぼこぼこ建っていった高層ビルの施設のうちの一つなんだろうなあ。
海外職業訓練、というから、海外での仕事のやり方などを学ぶのだろうが、バブルの頃ほど、海外に対して、日本人が自信を持った時代はないだろう。
いまだになんの根拠があって、あんなに自信満々だったのか、不思議な気分だ。
例えば、1ドル、といえば、そこそこな金額に思えたが、それが、100円玉と同じになる、なんて、やはり意識は変わってしまうだろう。
当時、1ドルが、缶ジュース1本と同じ、なんて、笑ってしまったけど。(今でもそうなんだが)
この自信の根幹は、おそらく、高度成長期から安定期のディスカバージャパン、という雰囲気あたりなのかもしれない。
ディスカバージャパンがいつしか、ジャパンアズナンバーワン、になっていくのだ。
あの頃は本気で、世界が日本のようになればと思っていたけど、今ではそんな考えは、微塵もない。
そういえば、お隣の巨大なショッピングセンターのようなマーケットは外資系のようだな。
今は、イオングループに売却されて、イオングループの傘下にあるようだけど。
でも、なんだか、今の日本の海外に対する感覚を象徴しているような気がする。
バブル期以前なら、スーパーが外資系なんて考えられなかった。
(2007年6月記)

総武線千葉駅西口(オーロラモールジュンヌ)

2007-12-28 06:23:05 | Weblog
また、細長く続く新宿公園を延々と歩いて千葉中央駅の方へ。
うんざりするほど長い道のりだ。
やっぱり、もっと緑が多いほうがいいかな。それに、ちょっとした休めるお店かなんかあれば、いいのだが。そんなことは、望むべくもないだろう。
千葉中央駅の手前で北へ曲り、そのまま歩いていく。
千葉駅の西口にオーロラモールジュンヌがある。
昔は、千葉そごうコリドー館といった。
なんか名前が変わっただけみたいな気がする。あるいは、よけいなんだかわからない建物になったみたいだ。
バブルの終わり頃、自称、世界最大の百貨店、千葉そごうが千葉駅前に誕生したんだっけ。
すぐ間近を千葉都市モノレールが通り(千葉そごうの低層棟では、その上をモノレールが通っている)、そして、駐車場だけの巨大ビルが併設されている。
せっかく千葉都市モノレールを作ったのに、でかい駐車場なんか建てたら、皆、クルマで来てしまうではないか、と竣工した当初は思ったものだが。
いままでの常識を覆すほどの壮大な百貨店は、しかし、バブル崩壊後、失われた10年の間にあえなく、事実上の倒産、ということになってしまう。
やはり、こんなに都心から遠い場所に、自称、世界最大の百貨店、なんて無理があったのかな。(もちろん、千葉そごうのためだけにそごうが事実上倒産したわけではないが)
もっとも、どういう魔法を使ったのわからないが、閉店はまぬがれ、現在に至っているようだ。
ところで、昔の千葉の街の中心軸は、栄町、千葉銀座、千葉県庁、だったが、千葉駅の西側への移設によって、街の中心は西側に移っている。
だが、千葉そごうのある千葉駅や千葉中央駅の西側は、いまだになにもない。
せっかく、巨大な百貨店が建ったのに、でも、さらに西に賑やかさが広がるなんて、もうないような気がする。
とすると、街のはずれに異様に大きな百貨店があったとすれば、それこそがバブルの痕跡なのかもしれない。
(2007年6月記)

京成電鉄千原線千葉中央駅西口(ホテルグリーンタワー千葉)

2007-12-27 06:24:57 | Weblog
ポートサイドタワーの北西隣には、ホテルグリーンタワー千葉がある。
千葉ポートスクエアの宿泊機能を担っている。
こういう殺風景な場所に泊まる、というのもいいのかもしれない。
夜景がきれいな感じがする。
もっとも、千葉ポートスクエアの中では、ラジコンカーのレース大会かなんかで一画は盛り上がっていたのだが。
ラジコンカーを走らせるにはちょうどいい場所なのかもしれない。
まわりには何もなくて静かだし、人通りもあまりなさそうだし。
緑の回廊のように千葉中央駅から新宿公園が細長く伸びているのだが、ちょっと遠すぎるなあ。
千葉ポートスクエアの利用客は皆、こんな公園通らずにクルマを利用しているような気がする。
だが、ひょっとしたら、この細長い新宿公園に桜の木をたくさん植えれば、春、桜の並木道として名所になるかもしれない。
桜の木でなくても、細長い林のようにすれば、夏は緑のトンネルのようで、涼やかで憩いの場所になるかもしれない。
しかし、おそらく、住宅地の中なので、木をたくさん植えることはできないのだろう。
それ以前にまわりの取り残された有様を見ると、そんなことは実現しそうにない、と思える。
バブルがもっと続いていたら、まわりはきれいに整備された緑の多い一帯になっていたかもしれない。
ちょうど横浜市の金沢八景あたりのように。
でも今は格差社会。負け組は取り残されるのだ。
その有様をバブルの頃に建った高層ホテルで眺め渡す、というわけかな。
(2007年6月記)

京成電鉄千原線千葉中央駅西口(ポートサイドタワー)

2007-12-26 07:47:19 | Weblog
大通りを西へ西へと歩いていく。
途中、千葉銀座あたりには、高層住宅の工事現場があったりする。
やはりさびれていく街には高層ビルが建つ、ということか。
さらに西へと歩いていく。
京成電鉄千原線の千葉中央駅がある。
実は、この場所には、JR(当時は国鉄)の本千葉駅があったらしい。
もともとの京成千葉駅は、もっと東の方、千葉銀座にあった、ということだ。
千葉駅が西に移る少し前に京成千葉駅も西に移動している。
ややこしいが、その後、京成千葉駅は、千葉中央駅になり、千葉駅近くの駅が京成千葉駅になって、ターミナルになっている。
一方、千葉中央駅は、通過駅、ということになる。
千葉中央駅の西側に出る。
一転してあたりは住宅地帯になる。
駅西口から新宿公園という細長い公園が南西に伸びている。なんか、川を埋立てたようにしか見えないが。また、新宿、という地名からすると、江戸時代あたりは、宿場町があったのかもしれない。
延々と歩いて行くと、陸橋があり、幅広の国道357号線を渡っていく。
やっと千葉ポートスクエアに辿り着く。
この施設群の中のもっとも南西側にポートサイドタワーがある。
バブルの終わり頃に建っているのだが、本当に、バブルでなければこんな不便な場所に高層ビルなんて建たないだろう。
まわりは何にもない。埋立地の倉庫街、といったところか。
まるで、この千葉ポートスクエアだけが島のように見える。
バブルの頃は、どんどんまわりに千葉ポートスクエアが広がっていく、という幻想があったんだろうなあ。
(2007年6月記)

京成電鉄千原線千葉中央駅東口(Qiball)

2007-12-25 06:23:03 | Weblog
再び、都川を渡り裁判所などがある大通りを北へ歩く。
千葉銀座と呼ばれている通りだ。
交差点を東に曲る。少し歩くとQiballがある。
完成間近、というところか。実はまだ、ビルの入口あたりは、工事中だったりするのだが。
巨大なビルだが、公民館のような建物になるらしい。
役所関係の建物群が北側に拡大したような感じだ。
そのような再開発が行われる、ということは、一帯がさびれているからなのだろうか。
もともと千葉駅は、栄町の北側にあった、ということだ。
その千葉駅から栄町、千葉銀座を経て、千葉県庁を中心とした役所群までが、千葉の街の昔の中心軸だったようである。
賑やかな街並みが南北に連なっていたらしい。
だが、高度成長期に入った頃に、千葉駅が西へ移ってしまった。
賑やかな街並みもそれにひっぱられるように、西側にずれ、千葉県庁から栄町までの軸はしだいにさびれていってるのだろうか。
そして、さびれていった場所には、高層ビルが建ったりするのだ。
もっとも、千葉に関しては、バブルの頃、千葉市が政令指定都市になったぐらいからしか知らないので、いったいどんな街だったのか、見当がつかない。
かつての大宮のような地方都市だったことは確かなのだろうけど。
昔の地方都市だったころの賑やかな千葉の街を知ることなく、もう今では、さびれてなくなってしまったのだ。
新しい千葉の街は、千葉駅前大通りの方なのだろうか。
なんか、あんまりぱっとしないような気がする。
都心の側の船橋、市川、松戸、そして、幕張、さらには、新浦安、そういった近郊の街に賑やかさを吸収されてしまったような感じがする。
(2007年6月記)

外房線本千葉駅北口(千葉県庁本庁舎)

2007-12-24 09:43:10 | Weblog
鎌取駅に戻り、JR外房線に乗る。
電車がぜんぜん来ない。通勤路線という感じじゃないなあ。
本千葉駅で下車する。
本千葉駅という駅名なのだが、賑やかではない。人影もまばらだ。
まずは北西方向に向かい都川という川を渡る。
そして、東へ曲るとまた川がある。その川を渡って東へ。
少し歩くと南側、さっき渡った都川の南側に千葉県庁本庁舎がある。
これなら別に都川を渡る必要はなかったのだが。
ただ、こうして曲りくねった川や緑の多い静かな風景を見ていると歴史的な伝統を感じてしまう。川の名前も都川、ということだし。
千葉県庁の東側には、千葉県の名前の由来となった千葉氏の館もあったらしい。
もっとも、その千葉氏が活躍したのは、平安時代末から戦国時代前、ぐらいだろうか。
(千葉氏、という名前ももちろん、地名からだろうが、ではどうして、一帯が千葉、という地名かは、まったくわからない)
それが、どうして県の名前になったのだろうか。
もともと、千葉県は、最初は、総国、という一つの国だったらしい。それが、奈良時代よりも前に上総国、下総国、安房国、と三つに分けられた。
千葉氏の登場によって、再び、統一したかどうかは、わからないが、千葉氏の衰退により、再び、分裂してしまったのは確かなようだ。
その後、今の千葉市が、中心である必要がなくなったので、忘れ去られていく。
明治時代になって、上総国、下総国、安房国が再び、統合されたとき、県名に、千葉氏の名前を使ったのは、このような歴史があるからだろう。
県庁所在地が、千葉氏の本拠地だった、ということもそのためだろうか。
どうりで、この一帯は、歴史を感じさせる静かな雰囲気なはずだ。
そして、バブルがやってきたとき、千葉市は政令指定都市になる。
千葉県庁本庁舎も高層ビルになったのである。
千葉も地方都市から都心の郊外へと取り込まれていくのだ。
(2007年6月記)

外房線鎌取駅南口(オーシャンビュー壱番館)

2007-12-23 05:58:40 | Weblog
高田馬場駅から東西線、飯田橋駅で総武線に乗り換える。
さらに錦糸町駅で横須賀線へ。総武線に対する快速の役割になっている。
千葉駅へ。千葉には土地勘がないので、どれが外房線でどれが内房線なのかさっぱりわからない。
半信半疑で乗り込んだ車両は、外房線であった。
蘇我を過ぎたあたりだろうか、もはや郊外、というよりも地方、という感じだ。
車窓を過ぎ行くのは、畑やら森やら小川ばかりである。
そのような車窓の景色をぼんやりと眺めていたら、急に開けた場所が現れた。
そして、そこだけ離れ小島のようなニュータウンと遠くからでもわかる高層住宅。
そのニュータウンの最寄り駅である鎌取駅で下車。
南口に出て南へ。どこの郊外の駅にもあるようなペデストリアンデッキ。そして、その先には大きなショッピングセンター。どこも同じような街並みだなあ。
ショッピングセンターを越えてさらに南へ歩くとオーシャンビュー壱番館がある。
外房線の車窓から見えていた高層住宅なのだが。
ちょっと離れているが、西側を京成千原線(昔の千葉急行線)が通っている。
バブルの頃にこの地方色豊かな一帯をニュータウンにしようという、まさにバブルな計画があったらしい。それで、そのニュータウンの通勤路線として位置づけられていたのが、京成千原線(昔の千葉急行線)だったようだ。
しかし、あえなくバブルは、崩壊してしまう。そして、この通勤路線も経営破綻してしまうのだ。
ちょうどその頃、オーシャンビュー壱番館が竣工している。
こんな遥か遠い場所まで再開発しようとしていた、えらく勢いのある時代もあったのだ、と感慨深い思いでいっぱいになる。
さっきのペデストリアンデッキでは、いろんな楽器を持ったストリートミュージシャン、いや、大道芸人が、所在なげにベンチに座っている。もう、年齢は、3、40歳ぐらいだろうか。
演奏を終えたのか、これから始めるのわからない。
ただ、行き暮れて座り込んでいる姿は、このニュータウン再開発と妙に重なって見えてしまうのだ。
(2007年6月記)

山手線東京駅日本橋口(丸の内トラストタワー本館工事中)

2007-12-22 03:30:38 | Weblog
東京駅の西口を北へ歩いていく。
東京駅の北側、永代通りに出て、東へ。JRの高架をくぐって東口に出る。
東京駅の東側の北口は、日本橋口、ということになったようだ。
その日本橋口には、いまや、サピアタワー、JR東海の丸の内中央ビル、トラストタワーN館と3棟の高層ビルが建ち並んでいる。
数年前とは、まるで様変わりしているなあ。
さらに、トラストタワーN館の南側では、丸の内トラストタワー本館が工事中となっている。
こちらの方が、本館なので、当然、はるかにでかい高層ビルとなっている。
今年は、八重洲の巨大なツインビルの誕生が注目を集めるだろう。
そして、来年の目玉は、間違いなく、この丸の内トラストタワー本館だろうなあ。
八重洲と日本橋口が高層ビル群で一帯になる。
取り残された鉄鋼ビルはどうするのだろうか。
それはそれとして、さらに次の年は、さっき訪れた、丸の内パークビルディングと大手町のビル群の完成だろうか。
こうして延々とどこかで高層ビルの建設工事をやっている、というわけだ。
だが、とりあえず、日本橋口は完成ということだろう。
今や東京駅構内は、日本橋口まで一体、という感じがあるが、しかし、東京駅の外に出てしまうと、八重洲口と日本橋口は、まるで別方向という感じになってしまう。
しかし、丸の内トラストタワー本館が完成すれば、そのようなことはなくなるはずだ。
なんか、だんだん、東京駅が拡大していくような感じがする。
そして、京橋、八重洲、日本橋へと拡大していくのだろうか。
(2007年6月記)