retifの都市探検日記(高層ビル編)

東京の街並みなどを報告します

日比谷線神谷町駅(神谷町MTビル)

2009-02-28 05:01:57 | Weblog
やがて、南北に伸びる、交通量の多い、幅広な昭和通り。上空には、首都高上野線の高架が走っている。
この通りの先は、もう、秋葉原だ。
昔は、毎週のように、秋葉原に通っていたものけど、最近は、行かなくなったなあ。
とくに、秋葉原に行かなくても、量販店があちこちにできたので、そこで用が足りてしまう、ということもあるのだけど。
ただ、以前、秋葉原には、下町商店街みたいな、ラビリンス、カオス、というような雰囲気があったが、今の秋葉原は、すっかり、きれいになって、見通しがよくなって、そのような雰囲気がなくなってしまった、ということもある。
そんな秋葉原を横に見ながら、昭和通りを南に歩く。
すぐに、日比谷線秋葉原駅に着く。
地下に降りていき、日比谷線へ。都心に向かう。
神谷町駅で下車。
まわりには、静かなビル街。緑がけっこう多くて、落ち着いた街並み。
オープンカフェが、普通にあるような感じがするなあ。
ついさっきまで、押上、曳舟、本所、浅草橋、そんな城東の下町界隈を歩き回っていたので、地上に出ると、本当に、まるで、外国に来たみたいな感じがする。
もっとも、そのような下町も、今後、再開発が、進めば、昔に比べ、ここらへんと、それほどの、違和感はなくなるだろう。
違和感がなくなるのはいいのだが、それは、たぶん、下町が、一方的になくなる、ということなのかもしれないな。だとすると、ちょっと、寂しい気もするが。
そんなことを考えながら、南北に伸びる桜田通りから、西側へ。
少し、入ったところに、神谷町MTビルがある。
竣工は、バブルが崩壊した頃だ。
高層ビルの出現は、特に、一帯のきれいな街並みの形成に一役、買ったことだろう。
こうして、今に到っても、ますます、街は整備されている。
ただ、実は、ここらへん、駅名、神谷町、とあるように、西側の六本木の台地と東側の愛宕山に挟まれた、薄暗い谷地なのだ。
谷地、ということは、かつては、下町だったのだろう。
とすると、押上、曳舟の将来は、神谷町、ということなのかな。
(2008年9月記)

総武線浅草橋駅(タワーレジデンストーキョー)

2009-02-27 03:07:26 | Weblog
東へ歩き、本所吾妻橋駅に戻る。
再び、都営浅草線に乗りこむ。
浅草橋駅で下車。
浅草橋、というと、浅草と関係がありそうだが、実際は、かなり、離れている。
ただ、距離は離れているが、完全に、無関係、というわけでもない。
江戸時代は、浅草橋御門、と言われていたらしい。
浅草への入口だったのだろう。
つまり、今では、浅草は、ここから、はるかに遠い地点にあるのだが、江戸時代には、浅草、というのは、とても広い範囲を指していた、ということなのだ。
だから、浅草橋を渡れば、浅草、という感じがしたに違いない。
その後、浅草は、縮小し、ごく限られた場所になっていく。そして、浅草橋、という名前が、この場所に、取り残されたのだ。
ということは、浅草橋、という名前、かつての、広範囲だった浅草の痕跡、なのだろうな。
もっとも、浅草橋周辺は、何度か、歩いたことがあるけど、レトロな下町っぽくて、いい感じの街だったけど。たぶん、名前だけではなく、浅草の雰囲気も、残っているのかもしれない。
そのような、浅草橋界隈を離れ、西へと歩いていく。
途中、南北に伸びる、清洲橋通りに入り、北へ。
しばらく進んで、再び、西へ曲がり、少し歩く。
西へ伸びる通りの北側にタワーレジデンストーキョーがある。(工事中はこちら
最近、竣工した高層住宅だ。
このような再開発は、今、進行している、秋葉原の大変貌の余波なのかもしれないな。
今のところ、その波も、ここまでだけど、いつか、大変貌の大波が、東側の浅草橋まで、押し寄せるかもしれない。
押上や曳舟と同じように。
浅草、と同じように、浅草橋も歴史テーマパークになれば、残るだろうけど。
(2008年9月記)

都営浅草線本所吾妻橋駅(墨田区庁舎)

2009-02-26 05:01:06 | Weblog
京成曳舟駅で京成押上線に乗る。
まだ、この駅は、以前のローカルな雰囲気を残している。昔のままだな。
でも、たしか、京成押上線は、押上駅から先、高架になる予定だったはずだ。
いつ完成するか、わからないけど。
ただ、その高架が完成する頃には、もう、すっかり、曳舟の街並みが変わっているだろう、ということは、確かだけど。
京成押上線は、押上駅から、都営浅草線に乗り入れている。
本所吾妻橋駅で下車。
外に出ると、幅広の道路を走るクルマは多いが、街は、とても静か。
この一帯は、江戸時代には、新興住宅地。そして、明治時代から高度成長期あたりまでは、一大繁華街だったのだが。
さっき、通った、業平橋駅は、かつては、浅草駅、という駅名だったらしい。
たぶん、浅草駅で通用するぐらい、浅草と同じような、繁華な街並みだったのだろう。
だが、そんな賑やかな街も、高度成長を経ると、すっかり、寂れて、忘れられた街になってしまった。
昭和レトロの街の出現だ。
でも、その昭和レトロだが、最近になって、都心集積化の波を受け、押上、曳舟は、急激に変貌し、近未来都市になろうとしている。
ただ、その中にあって、浅草に近い、ここらへんは、今でも、時が止まったままだな。
そんな忘れられた街中を西へ、隅田川に架かる吾妻橋の方へ向かう。
吾妻橋の袂、通りの北側、隅田川の東岸には、ビル群、リバーピア吾妻橋がある。
そのビル群の北側には、墨田区庁舎。
この妙な形から、わかるように、竣工は、バブルの頃だ。
もっとも、妙な形のビル、ということでは、南側の、アサヒビールタワーの方が、有名だけど。
これらの高層ビルを見ていたら、つい、バブルの頃の熱気を思い出してしまったな。
華やかな時代にあっては、さぞ、このリバーピア吾妻橋ビル群も、その賑やかさに、映えていたことだろう。
今は、なんか、忘れられているような気もするが。
そうか、この場所では、バブルの頃も、時が止まっているのだ。
バブルも、レトロになったんだな。
(2008年9月記)

東武伊勢崎線曳舟駅(アスコットパーク東京イーストコア曳舟)

2009-02-25 05:09:22 | Weblog
押上駅に戻り、東武伊勢崎線に乗る。
次の曳舟駅で下車。
改札を出て、東側へ。
南北に伸びる、曳舟川通りへ出る。
そこには、昭和の時代の取り残された風景が、眼前に広がっている、はずだったのだけど。まったく、様変わりしているな。
曳舟川通りの東側一帯は、再開発の工事中なのだが、その内、高層住宅の一棟が、すでに、完成しているのだ。(工事中はこちら
アスコットパーク東京イーストコア曳舟、という名前の高層住宅らしいけど、なんだか、もう、名前からして、曳舟、という感じはしない。
どこぞの、新興の郊外住宅地、みたいな雰囲気だ。
そして、さらに、アスコットパーク東京イーストコア曳舟の南側には、もっと、巨大な高層住宅も、完成間近なのだ。
このように、曳舟駅周辺は、急速に、新しい街へと、変貌してきている。
だから、ひょっとしたら、この高層住宅に、住む、ということで、曳舟の、ノスタルジックで、昭和レトロな、街並みを、期待するかもしれないが、でも、もう、そのような昭和レトロは、消滅しているな。
もっとも、交通の便のよさを期待する向きはあっても、昭和レトロを期待する、なんてことは、ないんだろうけど。
昔は、そのような昭和レトロが街中に、満ちていて、異郷の地に来た、ということを、実感したものだったなあ。
そんな感慨に浸りながら、曳舟川通りを北へ歩く。
京成線の曳舟駅に向かっているのだけど。
同じ街の駅なのに、乗り継ぎどころか、もう一方の駅に行くのは、けっこう、歩かなければならないのだ。
この妙に不便なところも、昭和レトロであれば、旅情、という風に感じたりしたけど。
でも、再開発が進み、景観がすっきりすると、ただの、遠回りにしか、見えない。
早くも、頭の中では、さっきの、再開発地に、両駅から、ペデストリアンデッキを伸ばせば、直結するのに、なんて考えてしまっている。
また、昔の記憶が、遠い思い出になってしまったな。
(2008年9月記)

半蔵門線押上駅(東京スカイツリー東街区高層棟)

2009-02-24 05:00:02 | Weblog
高田馬場駅から東西線。
九段下駅で半蔵門線に乗り換える。
押上駅で下車。
半蔵門線が延伸して、とても、来やすくなったな。
でも、土地勘がまったくないので、地上に出ると、まるでわからない。
とりあえず、いい感じの商店街に誘われるように、北東へ歩く。
すると、踏切が現れたので、その踏切を渡って、東武伊勢崎線の北側に出てしまう。
北側に出てしまってから、東京スカイツリーの再開発地は、どうやら、東武伊勢崎線の南側らしい、と気付いた。
西に歩けば、どこかで、東武伊勢崎線の南側に出る、道に出くわすだろう、と思って、延々と、歩いていったが、高架が続くばかり。
やっと、南北に伸びる、通りに出て、南へ進むと、業平橋駅だった。
押上駅と、東武伊勢崎線の業平橋駅は、乗り継ぎ駅なので、見当違いの方向ではないんだけど、前もって、地図で確認しておくんだったな。
東武伊勢崎線の南側に出て、東西に流れる北十間川の北岸を東に歩いていく。
北側一帯の広大な地域では、盛大に工事が行われている。
この目前で繰り広げられている、工事現場を見ても、巨大な電波塔が建つ、なんて、未だに、信じられないなあ。
それに、あまりに、工事現場が広いので、この工事現場の、どこに、東京スカイツリーが建つのか、よくわからない。
この東京スカイツリーの東側には、高層ビルも併設されるらしいのだが。
けれど、そもそも、東京スカイツリーの場所が不明なので、その高層ビルの場所も、残念ながら、わからないな。
このように、今でも、東京スカイツリー、という事実を飲み込めないで、ウロウロしている有様なのだが。
もっとも、工事が進み、建築物が、建ち現れてくれば、場所もわかるだろうし、また、巨大タワーの出現、という実感も、沸いてくるのだろう。
でも、それ以前に、半蔵門線が、延伸してきて、この、僻遠の地、押上に、考えれないぐらい、来やすくなった、ということ自体が、まだ、驚きなんだけど。
(2008年9月記)

山手線新宿駅(西新宿8丁目成子再開発地)

2009-02-23 03:05:41 | Weblog
国際展示場駅で再び、りんかい線に乗り込む。
乗った車両は、埼京線へ乗り入れている車両だ。やはり、直通は、便利だな。
そのまま、一気に新宿駅へ。
新宿駅で下車。
西口に出て、北へと歩いていく。
青梅街道へ入って、西へ西へと進んでいく。
南側には、巨大高層ビルが林立する、西新宿高層ビル街が広がっている。
北側は、住宅街、だったはずだが、いつの間にか、青梅街道沿いに、ビルが壁のように並んでいる。
さらに西へ歩いていくと、神田川の谷地への下り坂。
坂を下っていくと、途中に北へ伸びる細い道。
歩道もないような道だが、今まで、何度も歩いてきたな。
この道の西側には、北新宿再開発の更地が広がり、一方、東側には、西新宿8丁目成子再開発地が広がっているのだ。
歩道がないので、クルマに注意しながら、北へと歩く。
やがて、西へ伸びる、広い職安通りへ出る。
広い、と言っても、広くなったのは、最近のことなんだけど。
それに、この先、西へ伸びて、青梅街道に合流するようになったのも、最近のことなのだ。
だから、さっき、通ってきた、細い道は、以前は、今よりも、頻繁に、クルマが通っていたものだが。
西新宿8丁目成子再開発地は、この職安通りから南側、青梅街道までの広い区域になる。
今は、更地になってしまった、この空間も、ちょっと前まで、家々が建て込んでいて、その中に、焼鳥屋なんてあるような場所だった。
職安通り自体も、普通の細い道で、その細い道に沿って、いろんなお店が並んでいたっけ。何もなくなってしまったな。
そう言えば、コンビニかクリーニング店かな、夏になると、店の奥から、お囃子の音色が聞こえてきた。お祭りに向けて、練習していたのだろう。
そういった事ども、すべてが、残骸を残して、消えてしまった。
そして、そこには、雨が、びしょびしょと、降り注ぐのみ。
時代は、動いていく。
だが、自分は、その中、途方に暮れて、しばらく、立ち尽くしてしまった。
もう、雨が降り始めてしまったので、先を急ぐ必要は、ないけど。
(2008年8月記)

りんかい線国際展示場駅(有明TT計画)

2009-02-22 05:22:16 | Weblog
北へ歩き、南船橋駅に戻る。
京葉線に乗る。
新木場駅で、りんかい線に乗り換える。
たしか、りんかい線と京葉線は、乗車運賃の徴収ができないので、相互乗り入れは、していないそうなのだが、それ以前に、あんまり需要はない感じだな。
京葉線の車両が、このまま、りんかい線に入ってしまえば、便利だなあ、と思うのは、自分くらいかもしれない。
現に、新木場駅から、りんかい線は、がらがらだし。
国際展示場駅で下車。
東側へ。ゆりかもめの下を通る道路へ出て、北へ。
首都高湾岸線を越える。
さらに、北側へ。
東西に伸びる通りとの交差点を西に曲がり、そのまま、西へと歩いていく。
有明テニスの森公園の通りを挟んで、北側に、有明TT計画の工事現場がある。
東側には、すでに、着工していて、だいぶ、できあがってきた、Brillia Mare 有明もある。
他にも、すでに、完成している高層住宅が2棟。
このように、何棟も高層住宅が建つと、まるで、高層住宅宅団地みたいに見えるかもしれない。
ただ、これだけ、人口が多くなれば、ショッピングセンターの一つでも、できるはずなのだが、どうも、見当たらないけど。いずれ、どこかに、開業するんだろうな。
今は、ひょっとして、買出しに、ゆりかもめで、豊洲まで、行っていたりするんだろうか。
まわりは、倉庫街しかない。
そして、通りを挟んで、南側には、バブルの頃に完成した、有明コロシアムを擁する、有明テニスの森公園の緑地が広がっているばかり。
この、無計画ぶり、ちぐはぐぶりが、最先端っぽくて、いいのかもしれないな。
そんな、再開発地を見渡していたら、ついに、雨が、ぱらぱらと降り始めた。
さっきは、雲の切れ間も見えたのに。
雷三日、ということもある。先を急がなければ。
戻るとき、ひさしぶりに、有明コロシアムの脇を通って、首都高湾岸線を、コロシアムブリッジで越える。
誰もいない陸橋の上、雨音だけが、響き渡っている。
(2008年8月記)

京葉線南船橋駅(グランドホライゾン東京ベイ)

2009-02-21 05:27:10 | Weblog
津田沼駅に戻り、再び、総武線快速に乗る。
船橋駅で総武線各駅停車に乗り換える。
西船橋駅へ向かっているのだが、総武線快速は、西船橋駅を通過してしまうのだ。
だとすると、津田沼駅で、そのまま、総武線各駅停車に乗った方が、よかったな。
西船橋駅で武蔵野線へ。
西船橋駅の駅構内は、昔は、がらんとしていたのだが、最近は、エキナカ、ということで、妙に、賑わっている。これも、集積化の影響かな。
武蔵野線は、南へ進み、京葉線に合流する。南船橋駅で下車。
南側に出る。相変わらず、駅前は、原っぱが広がっているな。
でも、最近は、広大なイケアの店舗が出現し、ちょっと、賑やかになったみたい。
そのイケアの東側を南へと歩いていく。
イケアの南側には、ワンダーベイシティサザンの高層住宅群があり、さらに、その南側には、グランドホライゾン東京ベイがある。
こちらは、最近、竣工した、高層住宅だ。
東棟、南棟、西棟、の3棟からなっている。
それにしても、すぐ北側のワンダーベイシティサザンと合わせると、ものすごい密集ぶりだ。まるで、蜂の巣みたい。
もっとも、一戸一戸は、それなりに、広いのだろう。それなら、気にならないかな。
東側には、微妙に仕切られているが、若松団地が、広がっている。
空きがあるなら、別に、こっちで、かまわないような気もするけど。
若松団地だって、完成したばかりの、高度成長期の頃は、最新の近未来都市空間だったのだ。
さらに言えば、グランドホライゾン東京ベイやワンダーベイシティサザンも、何十年も経てば、今の、若松団地のように、レトロな中古物件になるに違いない。
そんなことを考えながら、グランドホライゾン東京ベイを見上げていたら、空を覆っていた、分厚い雲が、裂け、青空が覗いていることに気が付いた。
おまけに、夏の太陽の光も、一時的だが、射しはじめた。
この束の間の、夏の太陽の光、なにか、儚いが、崇高な希望の光に見えてしまったのは、気のせいなのだろうか。
(2008年8月記)

総武線津田沼駅(千葉工業大学津田沼キャンパス新1号棟)

2009-02-20 05:00:32 | Weblog
御茶ノ水駅に戻る。総武線に乗る。
錦糸町駅で快速に乗り換える。
津田沼駅で下車。
船橋よりも東側だと、なんとなく、千葉っぽい感じが強くなっていいな。
地方、という感じがするのだが。
もっとも、今となっては、どこもかしこも、郊外になってしまったので、地方、という感じも、多少、といった程度だけど。
南側に出て、線路に沿って、東へ歩く。
南側一帯は、千葉工業大学の敷地となっている。
その中に、高層ビルとして、千葉工業大学津田沼キャンパス新1号棟がある。
竣工は、最近のことだ。
この高層校舎棟も、集積化の時代に多く建っている、教育施設の高層ビルなのだろう。
ところで、津田沼といえば、ちょっと離れているけど、南側にあった、谷津遊園が有名だったな。
バブル直前、東京ディズニーランド開園に伴って、閉園している。時代に取り残された挙句の果ての閉園、ということではなかったらしいが。
ただ、営業し続けていれば、バブル崩壊後の失われた10年の間に、他の多くの遊園地と同じく、閑古鳥が鳴いて、経営難で閉園、ということになっていただろう。
ということで、バブル直前に、谷津遊園は、なくなってしまったのだが、その代わり、というわけでもないが、津田沼の駅周辺には、充実したデパートが賑やかさを保っていた、と思う。
当時、同僚が津田沼にいたので、何度か、津田沼駅に行ったことがあるが、新興の商業地、という感じで華やかな感じがしたものだ。
でも、デパートの一角を担っていたダイエーは、なくなっているし。心なしか、あの当時よりも、賑やかさは、なくなっているようにも思える。
そんな中、津田沼駅南東側に広がる、千葉工業大学の敷地には、高層校舎棟が建ち、さらに、もう一棟、建つらしいのだ。
集積化の時代にあっては、教育施設の高層化が盛んになっていく、ということかな。
このままだと、津田沼は、千葉工業大学の街になるのかもしれない。そんなことは、ないだろうとは思うけど。
でも、現実に、今、津田沼で、一番、巨大な施設は、千葉工業大学なんだけど。
(2008年8月記)

中央線御茶ノ水駅(御茶ノ水ファーストビル)

2009-02-19 06:10:35 | Weblog
高田馬場駅から山手線で新宿駅へ。中央線に乗り換える。
御茶ノ水駅で下車。
駅の西側に出る。
それにしても、昨晩は、ものすごい雨だったなあ。
昨晩だけではなく、何日か前にも、そんな豪雨があったけど。
局地的な雨なんだろうけど、とにかく、なんでもない道路が、川のようになってしまうなんて、初めての経験だ。
今年の夏は、猛暑だったので、その季節の移り変わりも、荒々しいものになってしまうのだろうか。
今日の空も、なにか、不穏な気配のする雲行きだな。
東西に流れる神田川に架かる、御茶ノ水橋から南に伸びる通りを渡り、西へ歩く。
街中に入り、そのまま、西へ進むと、御茶ノ水ファーストビルがある。(工事中はこちら
最近、完成した高層ビルだ。
この場所には、浜田病院という病院があったが、この御茶ノ水ファーストビルの低層階は、浜田病院なので、高層ビルに建て代わった、ということだろう。
この浜田病院もそうなのだが、このあたりには、本当に、病院が多い。しかも、歴史が、かなりある病院ばかり。
たぶん、日本初の山の手、文京山の手が、北側に広がっていることと、関係があるんだろな。
つまり、身近に、上客が多くいる、ということは、重要なことなのだ。
一帯に、学校、教育施設が多いのも、同じ理由なのかもしれない。
一種の情報センター、といったものを形成しているのかもしれない。
そして、このような、施設は、集積化の時代にあっては、巨大な建造物を擁するに到る、というわけだ。
御茶ノ水ファーストビルも、その例には、洩れていないのだろう。
そんなことを考えながら、この高層ビルを見上げていたら、上空を覆う、黒い雲に気付いき、昨日の激しい雨の様が脳裏を過ぎった。
先を急がなければ。
(2008年8月記)