retifの都市探検日記(高層ビル編)

東京の街並みなどを報告します

常磐線三河島駅(三河島駅駅舎)

2013-04-30 04:17:11 | Weblog
再開発工事現場の、すぐ、北側は、もう、三河島駅、となっている。
本来は、駅と、再開発地、ペデストリアンデッキと、結ばれたりするのだが、三河島駅の場合、駅舎は、昔のままなので、そうはならない。
あるいは、そうなるとしても、先のことかな。
ところで、もともとの、三河島、駅よりも、ちょっと、離れて、北側にあったようだ。
鉄道の駅は、集落から、離れた場所に、設置されるので、この場合も、そういうことなのだろう。
さらに言えば、そこには、東西に、古来から、幹線道路が、伸びていたらしい。
幹線道路沿いの、集落、でもあったのかな。
今度、来たときは、駅の、北側にも、足を、伸ばしてみよう。
今回は、雨が、激しいので、その気にならない。
三河島駅から、そのまま、帰ることにする。
(2012年6月記)

常磐線三河島駅(アトラスブランズタワー三河島工事現場)

2013-04-29 07:24:29 | Weblog
日暮里銀座通り、北へ北へと、歩いていくと、やがて、通りの西側、アトラスブランズタワー三河島の工事現場。
いよいよ、三河島にも、再開発の波。
計画は、前からあって、何度か、足を、運んだのだけど。
その時は、下町として、ずいぶん、賑わっているな、という、感じ。
再開発とは、無縁な、雰囲気だったな。
あれから、ずいぶん、時が流れ、なにか、すっかり、賑やかさが、なくなっている。
そうなると、再開発、ということなのかな。
あるいは、日暮里駅周辺の、再開発が、完成したので、今度は、三河島、ということかも。
さらにいえば、北側には、町屋。こちらも、再開発は、完成している。
なにか、どんどん、街が、きれいに、整備されていくようだ。
昔、あった、下町は、もう、なくなったのだろう。
再び、北へ。
(2012年6月記)

常磐線三河島駅(東日暮里三丁目 日暮里銀座通り)

2013-04-28 07:14:49 | Weblog
猿田彦神社の、鎮守の森を、カンカン森、とよんでいたのかもしれない。
ただ、明治時代初期の、地図を、見ても、このあたり、田圃が、広がるばかり。
明治時代初期に、なければ、おそらく、江戸時代に、遡っても、森は、ないのだろう。
ひょっとすると、もっと、前なら、あったのかも。
今となっては、わからないけど。
雨の中、南北に伸びる通り、北へ。
日暮里銀座通り、という名前。
日暮里、となっているが、三河島駅と、鶯谷駅を、結んでいる、商店街。
二つの、駅を、結んでいるので、昔は、かなり、賑やかだったと、思う。
今は、このあたり一帯と同じ、閑散としているけど。
それでも、古い、店舗が、まだ、通りに並び、歩くだけでも、楽しい。
さらに、北へと、歩いていく。
(2012年6月記)

山手線日暮里駅(東日暮里三丁目 カンカン森通り)

2013-04-27 08:12:40 | Weblog
東へ東へ、歩いていくと、南北に伸びる、通りに、行き当たる。
南へと、曲がり、そのまま、南へ。
三河島駅と、鶯谷駅を、結んでいるので、本来は、賑やかな、はずなのだが、閑散としている。
しばらくすると、今度は、東へと、伸びる、通り。
カンカン森通り、という名前。
通りを、東へ、進んで、北側、神々森猿田彦神社、があり、そこから、通りの名前が、とられている。
創建は、おそらく、江戸時代の、前半、だろうか。
もともと、ちょっと、離れるが、北側を、東西に、太古の昔から、幹線道路が、あったので、それなりに、開けていたのかな。
今回は、カンカン森通りには、入らずに、来た道を、引き返す。
(2012年6月記)

山手線日暮里駅(東日暮里六丁目 七五三通り)

2013-04-26 06:08:50 | Weblog
問屋街、というのは、賑やかなものと、思ったが、それは、昔のことかもしれない。
今日の、激しい雨の、ためだろうが、そうでなくても、ひょっとしたら、静かなのかもしれない。
尾久橋通りに戻り、北西へ。
すぐに、北に曲がり、そのまま、北へと、進む。
下町のはずだが、思いのほか、落ち着いた、街並み。
かなり、歩いたところで、東へ。
七五三通り、という名前の通り、がある。
なにか、意味ありげな、名前だが。
七丁目、五丁目、三丁目、を結んでいたかららしい。
子供の成長を、祝う、行事と、関係があるのかと、思ってしまうけど。
七五三通りを、東へと、歩いていく。
とくに、商店が、並んでいるわけでもなく、静かな、通り。
昔は、それなりに、賑わっていたのかな。
(2012年6月記)

山手線日暮里駅(東日暮里六丁目 日暮里中央通り)

2013-04-25 06:08:25 | Weblog
高田馬場駅から、山手線。
日暮里駅で下車。
日暮里は、ひさしぶり。
もう、高層ビルが、建つことも、ないので、足が、遠のいていた。
といって、何か、格段に、変わったことは、ないのだけど。
それにしても、今日は、雨が、激しい。
梅雨の、真っ最中。
だからだろうか、街の喧騒はなく、静かだ。
もっとも、それ以前に、高層ビルが、建って、街が、整備され、歓楽街のような、側面が、一掃されてしまったことの方が、大きいように、思える。
東口に出て、駅前広場を、東へ。
北西に伸びる、尾久橋通りを、渡ると、その先は、日暮里中央通り。
繊維問屋街でもあるのが、こちらも、静かだ。
雨だけが、激しく、降り続いている。
(2012年6月記)

山手線目黒駅(下目黒六丁目 目黒通り)

2013-04-24 04:58:25 | Weblog
直線コースを、西へ西へと、進む。
かなり、歩くが、さすがに、もう一つの、コーナーはないな。
すっかり、住宅地の中、埋もれてしまったようだ。
行き止まりのところで、北へ。
そのまま、住宅地の中、北へと、歩いていく。
そういえば、第一回日本ダービーは、目黒競馬場で、開催されたらしい。
今となっては、想像すら、できない。すべては、歴史の彼方。
北へ、進んで行くと、東西に伸びる、目黒通り。
目黒通りを、東へ。
鉄道の駅は、もう、どこか、見当が、つかないので、バス停を、探すことにする。
一昔前、この通りも、田舎びた、通りだったに、違いない。
今は、交通量も多いし、沿道には、店が、建ち並ぶ。
ほどなくして、バス停。
都営バスに、乗り込むと、一路、目黒駅へ。
次回は、目黒不動尊か、大鳥神社、かな。
そんなこと、想像しながら、バスに、揺られる。
目黒駅は、意外と、近かった。
(2012年6月記)

山手線目黒駅(下目黒四丁目 目黒競馬場コーナー跡)

2013-04-23 04:57:42 | Weblog
目黒通りを、東へ、歩き、途中、南へ。
住宅地へと、入っていく。
南へ南へと、進んで行くと、不思議な、道路。
緩やかに、カーブを、描いているのだ。
この、緩やかなカーブ、住宅地の中において、なんの、必然性もないように見える。
それもそのはず、このカーブこそは、目黒競馬場コーナー跡なのだ。
ちなみに、目黒競馬場が、あったのは、明治時代の終わり頃から昭和の初め頃。
昭和の初め頃、といえば、郊外が、誕生した時期。
ここらへんも、住宅地に、変わっていったのだろう。
そういうわけで、競馬場は、移転していったのかな。
そんな、昔日へ、思いを馳せながら、コーナーを、曲がりきり、直線へ。
西へ、伸びる、住宅地の、道を、歩いていく。
(2012年6月記)

山手線目黒駅(下目黒五丁目 目黒競馬場跡記念碑)

2013-04-22 05:01:58 | Weblog
目黒通り、東へ、歩いていくと、道路の、南側歩道に、目黒競馬場跡記念碑。
想像していたよりも、小さくて、見落とすところだった。
実は、今回、来たのは、目黒競馬場の跡地を、見るため。
さらに言えば、本当は、林試の森公園から、北へ、向かったとき、目黒競馬場跡地を、縦断する、はずだったのだが。
どうも、見当が、外れてしまったらしい。
住宅地になってしまうと、見通しが、利かなくなるし、とくに、表示板が、あるわけでもないし。
強いて、挙げれば、目黒競馬場の、痕跡、目黒街道沿いの、この、小さな、目黒競馬場跡記念碑なんだろうけど。
これだけでもいいのだが、もう一度、探してみることにする。
おそらく、西に、行き過ぎたので、今度は、東方向。
目黒通りを、東へと、歩いてみる。
(2012年6月記)

山手線目黒駅(目黒四丁目 東京バレエ団)

2013-04-21 07:11:33 | Weblog
住宅地の中、西へ。
しばらくして、北へ曲がり、そのまま、北へ、進む。
それにしても、各住居が、立派だな。
こんなところに、暮らしていたら、人生観、変わってしまう。
まず、電車に乗ることは、ない。
クルマ、だろうな。
などと、考えながら、北へ北へと、歩いていく。
かなり、歩いたところで、東西に伸びる、目黒通り。
なるほど、クルマの場合は、目黒通りに、出るわけか。
せっかくなので、目黒通りを、ちょっと、歩いていみる。
北側には、瀟洒な、建物。
東京バレエ団、とある。
まったく、閑静な、山の手住宅地には、相応しい。
もっとも、東京バレエ団の、建物を、見に来たわけではないけど。
(2012年6月記)