retifの都市探検日記(高層ビル編)

東京の街並みなどを報告します

東急目黒線西小山駅(碑文谷一丁目 立会川跡)

2014-04-30 04:54:58 | Weblog
西へ西へと、歩く。
しばらくすると、南北に伸びる、道。
立会川流路は、ここで、北へ。
おそらく、このまま、南へ、流れると、もう一方の、立会川との、合流が、垂直になってしまうので、いったん、東へ、向きを変えて、東側で、緩やかに、合流させたのかも、しれない。
本当は、どうだか、わからないが。
北へ、曲がり、そのまま、立会川跡の道路を、北へ。
かなり、歩いたところ、道路が、西側に、大きく、湾曲している。
立会川の、自然の、流路跡、に違いない。
ここらへんだけ、畑地に、できなかったのか、あるいは、何かが、あって、流路を、改修できなかったのか。
なんとも、わからない。
再び、北へと、歩いていく。
(2012年12月記)

東急目黒線西小山駅(目黒本町六丁目 立会川跡)

2014-04-29 05:36:31 | Weblog
しばらく、北西へと、歩き、途中、西へ。
合流する、流路とは、平行して、流れていたようだ。
ほとんど、畑地の、用水路、という感じだったのかも。
西小山駅周辺よりも、少しばかり、街並み、庶民的になってきたかな。
そういえば、あたりの、町名は、目黒本町。
本町、と付くと、あたかも、発祥の地、みたいだが。
ただ、もともとは、碑文谷で、目黒とは、あまり、関係ない。
高度成長期、まったくの、きまぐれで、付いた、町名。
その頃、住宅地になったのかな。
さらに、西へと、進んでいく。
(2012年12月記)

東急目黒線西小山駅(原町一丁目 立会川跡 別の流路)

2014-04-28 04:47:07 | Weblog
立会川緑道を、北へ北へと、歩いていく。
しばらくすると、緑道は、西へ。
流路が、大きく、変わったのだ。
そのまま、西へと、辿っていくと、再び、北へ。
ずっと、北へ向かうと、碑文谷公園弁天池に、達するらしい。
ただ、そこまで行っていると、間違いなく、日没になってしまう。
途中、神社や、寺院。あるいは、碑文谷カトリック教会など、見所が、たくさんあるのあるのだが。
西に向かうのは、断念し、北西へ向かうことにする。
実は、こちらにも、流路があり、この地点で、合流していたのだ。
緑道は、なくなるが、そのまま、北西へと、歩く。
(2012年12月記)

東急目黒線西小山駅(原町一丁目 立会川跡)

2014-04-27 07:06:58 | Weblog
通りすがりだと、この場所に、鉄道の駅があるなんて、思わないだろうな。
鉄路が、地上から、消えて、閑静な、住宅地は、より、暮らしやすくなったのだろう。
ちなみに、地下化されたのは、それほど、昔ではない。
今の、世の中、山の手は、より、住みやすくなり、それ以外は、より、シャッター通りが、増えていく、そんなところかな。
そういえば、都心側、隣の駅、武蔵小山駅では、かなり、大規模な、再開発が、予定されているらしい。
かくして、駅近くは、どんどん、再開発が、進んでいく。
とすると、たとえ、住みやすくなっていく、山の手であったも、閑散としていくのかもしれない。
そんなことを、考えながら、北へ北へと、歩いていく。
すると、立会川跡、緑道が、再び、現れた。
(2012年12月記)

東急目黒線西小山駅(西小山駅駅前広場)

2014-04-26 07:14:43 | Weblog
立会川の流路跡、とも思えない、普通の、道路を、北へ北へと、歩いていく。
もう、夕暮れが近いの、急がなければいけない。
途中、神社や寺院なども、あったようだが、そのまま、通り過ぎていく。
なかなか、閑静な住宅地。冬枯れの並木が、美しい。
公園もあったが、さらに、北へ。
かなり、歩くと、次第に、賑やかになっていく。
鉄道の駅が、近いようだ。
さらに、歩いていくと、はたして、東急目黒線西小山駅。
ただ、路線も駅も、地下化されていて、駅前という感じではない。
今風の店、おしゃれな店が、集まっていて、そして、ちょっとした、広場。そんな感じだ。
駅があることも、わからない。
西小山駅前を後にして、さらに、北へと、歩いていく。
(2012年12月記)

東急大井町線荏原町駅(旗の台六丁目 立会川跡)

2014-04-25 05:14:58 | Weblog
中原街道から、東側、あるいは、南側は、ずいぶんと、庶民的な、感じだったが。
中原街道の、北側、西側は、閑静な、山の手、という感じになる。
立会川跡の、緑道も、なくなり、普通の、道路へ。
その道、まっすぐなので、ひょっとしたら、開拓されたとき、川筋が、改修されたのかもしれない。
蛇行していると、畑作には、不便だったのだろう。
そういえば、すぐそば、昭和大学病院、昭和の初め頃、できたらしい。
立会川が、なくなったのが、高度成長期。
しばらくの間、病院の脇、川が流れていたのだ。
もう、ずっと、昔のこと。
立会川跡の通り、北へと、歩いていく。
(2012年12月記)

東急大井町線荏原町駅(旗の台二丁目 立会川跡)

2014-04-24 05:06:29 | Weblog
中原街道は、南西へと、向きを、変えるのだが、その場所から、南へと、緑道が、伸びている。
立会川跡に、違いない。
これから、荏原町駅まで、辿りなおそうかと、思ったが、やめた。
晩秋の日没は早く、そんな寄り道していたら、もう、日が暮れてしまうだろう。
そういえば、川の跡は、谷地なのだ。台地の上、住宅地を、歩いているときに、気付けばよかったかな。
どこか、下り坂を、辿れば、立会川跡に、辿り着いたかもしれない。
といっても、もう、手遅れ。
もう、二度と、来ることはないので、ちょっと、心残りだが、先を、行くことにする。
(2012年12月記)

東急大井町線荏原町駅(旗の台二丁目 中原街道)

2014-04-23 06:42:28 | Weblog
北へ向かうと、南北に伸びる、中原街道。
ここで、どうも、見当違いの、方向に、向かっていると、やっと、気付いた。
南側に、あったはずの、立会川跡、これ以上、北に、行っても、あるはずない。
中原街道を、南へ、向かう。
かつての、太古の、道。
もちろん、今は、その痕跡は、残っていないけど。
しばらく、歩いていくと、昭和大学病院
入院棟が、高層ビルになっているので、一度、来たことがある。
当時も、昭和の、街だったな。
今よりも、ちょっと、賑やかだった気がするが。
時代は、流れる。
(2012年12月記)

東急大井町線荏原町駅(旗の台二丁目 荏の花温泉)

2014-04-22 05:10:53 | Weblog
実は、北に、向かっても、立会川跡が、あるわけでもない。
完全に、道に、迷ったようだ。
途中、荏の花温泉。
以前、すでに、廃業していたらしい。
銭湯は、もう、いらなくなったのだろう。
バブルの頃までは、まだ、銭湯も、あったのかな。
豊かな時代なら、残っていても、よかったのかもしれない。
そういえば、さっき、通ってきた、東急池上線、地下化されたのは、バブルの頃。
当時、街は、賑わっていたのかも。
それも、今は、昔だ。
昭和の名残り、漂う、路地を、北へ、向かう。
(2012年12月記)

東急大井町線荏原町駅(西中延三丁目 西中お日さま公園)

2014-04-21 05:12:34 | Weblog
すぐ南側、荏原町駅、なのだが、一帯は、かなり、昔、平安時代から、荏原、と呼ばれていたらしい。
しかも、品川の、海岸まで、広い地域。
その中心、郡衙は、どうも、このあたりに、あったようだ。
古代の道路が、交錯しているし、神社も、古いので、確かに、そう思える。
ただ、遺跡が、発掘されたわけでもないので、わからない。
そのうち、役所に使用した、建築物の、遺構が、発掘されるのだろうか。
などと考えているうちに、すっかり、立会川の、跡を、見失ってしまった。
実際は、荏原町駅の、西側だったのだが。
古く、閑静な、住宅地を、歩き回っているうちに、細長い、公園に、行き着く。
西中お日さま公園。
やっと、立会川の跡地を、見つけた、と思ったら、どうも、違うらしい。
地下化された、東急池上線の跡、ということだ。
北へと、歩いてみる。
(2012年12月記)