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retifの都市探検日記(高層ビル編)

東京の街並みなどを報告します

中央線新宿駅(西新宿八丁目 青梅街道南側)

2016-10-07 04:43:33 | Weblog
青梅街道の南側は、高層ビル街。
もはや、レトロな感じだ。
しかも、最近、あまり、訪れていないので、ますます、そう感じるのかもしれない。
いまも、高層ビル、増え続けているのだが。
ただ、高層ビルが、増えるにしても、北側、南側は、住宅地になるので、もうないだろう。
西側も、もう、そろそろ、そうなる。
わずかに、拡大しているのかな。
青梅街道を、西へ向かう。
(2013年9月記)

中央線新宿駅(西新宿八丁目 青梅街道)

2016-10-06 03:57:41 | Weblog
中央線で新宿駅。
今日は、雨が降ったり止んだり。
秋雨、というところか。
雲が垂れ込めている。
新宿駅西口。相変わらず賑やか。
西口を、北西へ向かう。
しばらくすると、東西に伸びる青梅街道。
青梅街道を西へ。
高層ビル街。最近は、あまり、足を運んでいない。
(2013年9月記)

南武線武蔵中原駅(等々力 市民ミュージアム)

2016-10-05 03:57:30 | Weblog
南へ南へと、歩いていくと、しばらくして、通りの、東側には、市民ミュージアム。
バブルの頃に、完成している。
まさに、そういう感じだ。
地方、郊外に、施設が、たくさん、完成したのだ。
じつは、市民ミュージアムで、武蔵小杉行きの、バスに乗ろうと思ったのだ。
実際、バス停で、待っていたが、なかなか、バスは来ない。
やっと、到着した、バスに乗り込む。
だが、結局、武蔵小杉に着いた頃には、日没になっていた。間に合わなかった。
武蔵小杉駅、南武線で帰ることにする。
(2013年9月記)

南武線武蔵中原駅(宮内二丁目 南への道)

2016-10-04 03:57:02 | Weblog
幾棟もの、巨大な高層ビル、ここからでも、見ることができる。
昔、誰が、このような、景観を、予想しただろうか。
東急東横線、というのが、大きいのだろうけど。
そういえば、以前、近くの、新丸子駅で、降りたことあったな。
鄙びた感じが、よかった。
忘れ去られたような街並み。
今は、どうなっているのだろう。
さらに、南へと、歩いていく。
(2013年9月記)

南武線武蔵中原駅(宮内二丁目 遠く武蔵小杉高層ビル)

2016-10-03 03:53:38 | Weblog
ようやく、多摩川近くで、東西に伸びる道に、行き当たる。
東へ曲がり、そのまま、東へ。
道は、すぐに、南へと、向きを変える。
道なりに、南へ向かう。
これなら、途中で、東へ、たとえば、春日神社、常楽寺のあるあたりを、東へ、歩いた方が、はるかに、近かった。
下調べをしてこなかったので、こんなに、道が、北側に、湾曲しているとは、気付かなかったのだ。
南へ歩いていくと、遠くに、武蔵小杉の高層ビル。
(2013年9月記)

南武線武蔵中原駅(宮内二丁目 川崎の住宅地)

2016-10-02 05:01:54 | Weblog
再び、北へ歩く。
このまま行くと、多摩川だが、実は、東へ、向かうはずだったのだ。
だが、その東へ向かうはずの道、北側に、大きく湾曲している。
明治時代初め頃の地図を見ると、北側に湾曲している道、どうも、土手だったようだ。
とすると、その昔、多摩川は、ここから、西側では、南へ、蛇行し、いったん、北へ蛇行したあと、すぐに、また、南へ、蛇行していたのかも。
明治時代初め頃の地図で、すでに、多摩川は、まっすぐ、流れているので、江戸時代では、すでに、まっすぐ、だったのだろう。
ひょっとすると、多聞寺が遭った、洪水で、川筋が、まっすぐになったのかも。
さらに、北へと、歩いていく。
(2013年9月記)

南武線武蔵中原駅(宮内二丁目 多聞寺)

2016-10-01 05:14:28 | Weblog
府中街道を渡り、そのまま、北へ北へと、歩いていく。
途中、東へ曲がれば、有名な、春日神社、常楽寺が、あったのだが、下調べをしていなかったので、気付かす。
住宅地の中、北へ北へと、進んでいく。
かなり、歩いたところ、西側、ちょっと、入ったところには、多聞寺。
創建は、江戸時代の前、戦国時代。
あたりが、開拓される直前なので、その通りだと思える。
ただ、創建の地は、もっと、多摩川に、近かったらしい。
洪水に遭い、この地に、移転したようだ。
(2013年9月記)

南武線武蔵中原駅(宮内四丁目 二ヶ領用水)

2016-09-30 05:02:52 | Weblog
中原街道、名前は、江戸時代かららしいのだが、道は、かなり古い。
かつての、東海道でもある。
海岸よりも、内陸を、通っていたのだろう。
その近く、春日神社、常楽寺、平安時代の終わり頃、創建されたらしい。
江戸時代とは別に、平安時代末、荘園が設けられ、開拓されていたようだ。
もっとも、灌漑設備もなく、広大な水田が、整備された、というわけでもないだろう。
具体的に、どうだったのかは、もはや、わからない。
(2013年9月記)

南武線武蔵中原駅(宮内四丁目 上家内橋)

2016-09-29 04:26:00 | Weblog
上家内橋で、二ヶ領用水を渡る。
家内橋、どういう意味なのだろう。
まったく、わからないが、ひょっとすると、渡った先、宮内町、あたりからだろうか。
宮内、というのは、春日神社のことかな。常楽寺もある。
南側には、古い、中原街道。
歴史がありそうな地域だ。
江戸時代に開拓されるわけだが、その、はるか以前から、暮らしがあったのだろう。
(2013年9月記)

南武線武蔵中原駅(上小田中六丁目 二ヶ領用水)

2016-09-28 04:26:20 | Weblog
しばらくすると、南へ流れる、二ヶ領用水。
江戸時代直前、開削される。
江戸時代の、開拓のためだろう。
多摩川北岸もそうだが、多摩川の南岸でも、水田等の、開拓が、本格的に、進んだわけだ。
かくのごと、用水が、張り巡らされれば、頻繁に洪水を起こし、また、そのたび、流路を、変えていた、暴れ川、多摩川も、少しは、穏やかになったのだろう。
流路は、これ以降、確定されたようだ。
新田開発と一石二鳥、ということか。
(2013年9月記)