山形の過去、現在、未来

写真入りで山形の歴史、建物、風景を紹介し、併せて社会への提言も行う

最後の将軍徳川慶喜公謹慎の寺と山形

2008-12-15 21:54:08 | 郷土史
 ・・・京都周遊記はお休み・・・

 空前の高視聴率が続いたNHK大河ドラマの『篤姫』も昨日をもって終幕となった。
 その1週間前の放映の時のビデオを視ていたら、ドラマの終了直後に縁の史跡が紹介される場面で江戸幕府最後の将軍徳川慶喜公が明治元年から2年にかけて謹慎した駿府城下にあった宝台院の現在の本堂の姿が映し出されたので、思わず静止画像にしてカメラで撮影した。
 この寺は静岡駅前大通りの裏手にある寺院であり、私も3年前の5月に訪れているが、決して当てずっぽうに訪れたわけではない。
 二代将軍徳川秀忠公の母の菩提寺として建造され、代々徳川家によって篤く保護され、戦前は多数の重要文化財(当時の国宝)を擁し、東海地方屈指の巨刹であった(上の古写真)が、2度の火災により多くが消失したため現在はコンクリート造りとなっている。
 ところで現在の山形市大字船町出身の義誉辧良は慶応2年2月までこの寺院の貫主を務めていたが、慶喜公がこの寺で謹慎していた頃は境内支院で閑居していた。
写真「上左」12月7日放映の宝台院本堂正面の画像 「上右」3年前に訪れた時の同所 「下左」消失前の宝台院の山門 「下右」本堂
※ 下の2枚の古写真は意外にも我が家に保管されていた絵葉書である。

※ 京都周遊記は明日以降に再開予定 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする