山形の過去、現在、未来

写真入りで山形の歴史、建物、風景を紹介し、併せて社会への提言も行う

またもや出羽の豪農街路を歩く(1)

2007-10-14 23:43:59 | 建物

 今日、“出羽の大庄屋”の屋敷内で昭和の暮らしに関する古い映画の上映会があるというので、でかけてみた。2年半ぶりの訪問である。
 映画上映は土蔵の中で行われ、国史を学ぶ学生たちと教授も多数鑑賞していた。その中に『今どきの嫁さん』という昭和31年製作のモノクロ映画があり、月山がよく見える寒河江近郊の農家に嫁いだ女性の人間関係の苦労を描いた内容で、わずか50年前の農村の情景と人々の服装、慣習はまことに日本文化そのものであり、まさに隔世の感がした。
 ここ中山町岡地区とは最上川を挟んで目と鼻の先と思われる。
 それらの農家の嫁さんたちが血と汗にまみれて改革を目指した農村も現代では専業農家がごく少数となり、農業離れが加速化している。
 今日訪れた豪農屋敷もむろん農業収入で維持されているわけではない。
 半ば観光化により歴史遺産としての地区民の意識が覚醒し、ボランティア的奉仕により辛うじて維持されている。
 山形映画祭は既に終了したが、この大庄屋屋敷でも映画祭関係者と出逢った。
 もっとも映画祭出版物翻訳スタッフの米人青年を引率しての訪問であった。

 ※ 写真は映画会場の屋敷の近隣の街路 豪農屋敷が数軒隣接
   関連記事は10月1日と2日の記事
 
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天気晴朗 民のカマドは賑わいけり

2007-10-13 19:52:08 | イベント

 超巨大ナベを使う“日本一の芋煮会”とは異なり、これぞ“正統派”の芋煮会。
 確か先週も好天だったが、河川敷を埋める人の数はさほどでなかったと言える。
 まさに秋晴れのもと、「民のカマドは賑わいにけり」である。
 今日は一昨日に終了した山形国際ドキュメンタリー映画祭のスタッフとボランティアの芋煮会グループに飛び入りで参加した。
 まあ、我が家では英語スタッフや首都圏からの映画観覧客たちに宿泊してもらったり、映画人らと我が家で語らったりしたので、我が家族も広義のボランティアと言えるのかもしれない。

 映画祭は第9回までは山形市の主催であったが、今回から民営化され、NPO法人による主催となったため、ボランティアの力に負うところが格段に増した。
 そのボランティアはまことに全国各地からかけつけてくれた。それだけにこの映画祭の名声が高くなっていたためであろう。
 一昨日に終了したのだが、まだ山形を去らないで今日の芋煮会に参加してくれた若いボランティアも多かった。また、英語や中国語も聞こえた。
 ヤマガタの名は映画祭のゆえにアジアの人々からは近年とみに高まっているから、確かに山形市民にとって山形映画祭は大きな自慢だが、市街地のすぐそばで大自然を満喫しながらの野趣あふれる芋煮会も大きな自慢である。
 ※ 写真「上」「下」ともにクリックにより拡大
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八日間世界一周 そして香味庵のこと

2007-10-11 22:15:23 | イベント
 山形国際ドキュメンタリー映画祭 8日目
 さて、昨日で映画祭は終わったはずなのに、今日が8日目とは何たることなのか。確かに昨夕にコンペ作品の中から受賞作品が決定し、表彰もあって、Farewell Partyも開かれたのだが、今日はそれらの受賞作品(詳細は昨日の記事)の上映が行われた。そんなわけで、昨日の記事のタイトルには「7日間世界一周」という言葉が使われたが、今日のタイトルはジュール・ベルヌの古典的冒険小説『八十日間世界一周』ならぬ「八日間世界一周」となった。
 この私も今日はイスラエル人監督の案内で南米ボリヴィアの高山都市にして銀鉱の鉱山都市であるポトシに4時間弱だけ足を伸ばしたのであった。(『旅ーポトシへ』)
 さて、この期間にいずれの上映会場(4カ所7ホール)も多数の映画人や映画ファンで熱気で満たされたが、それ以上に熱気が漲り賑わったのが写真の建物である。
 普段は土産用漬物販売と郷土料理の店舗であるが、映画祭の期間は臨時の国際交流センターとなって真夜中の遅くまで多様な人種と言語により映画談義で満たされた。
 だが、この店舗「丸八・香味庵」の外観も間もなく大きく変わるであろう。
 すぐ近くの西谷菓子店シバタモデルなどの昭和初期のレトロな洋風店舗建築が道路拡張計画に伴い解体されたのと同じ理由でこの和風店舗も直接道路に面する部分の解体が不可避になったからである。幸い右手の土蔵部分は何とかそのままになりそうであるが、またしても山形の中心街を彩ってきた歴史的景観が変貌する。
 2年後の国際映画祭の時にはこの店舗はどうなっているのであろうか。
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人間理解の7日間世界一周終わる

2007-10-10 23:43:06 | イベント

山形国際ドキュメンタリー映画祭 7日目
 賑わった映画祭も今日で終了した。全部で200本余の各国の映画が上映され、10本以上観た人はだいたい世界一周したに等しい。
 そして夕方6時から受賞作品の発表と表彰が行われた。
 受賞作品は以下のとおり
◎インターナショナル・コンペティション部門
・大賞    鳳鳴ー中国の記録(王兵、中国)
・山形市長賞 アレンテージョ、めぐりあい(ピエール=マリー・グレ、フランス)
・優秀賞   旅ーポトシへ(ロン・ハビリオ、イスラエル・フランス)
       M(ニコラス・プリビデラ、アルゼンチン) 
・特別賞   垂乳女(河瀬直美、日本) 
◎アジア千波万波部門
・小川伸介賞 稟愛(馮艶、中国)
・奨励賞   溺れる海(U・F・アンシャリ、インドネシア) 
       バックドロップ・クルディスタン(野本大、日本)
・特別賞   雲のかなたに(蕭美玲、台湾)
◎コミュニティ・シネマ賞 稟愛(馮艶、中国)
◎山形市民賞 バックドロップ・クルディスタン(野本大、日本)
       ミスター・ピリペンコと潜水艦(ヤン・ドレーフス他1名、ドイツ)
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関西弁の世界的“山形人”

2007-10-09 23:50:34 | イベント
山形国際ドキュメンタリー映画祭 6日目
 今日は私にとっては多めの3本の映画を観た。
 とは言っても、映画のメニューはまことに豊富で、今日も22本の映画が上映されており、その中から選ぶのは至難のワザであり、よほど時間に余裕ある人でも1日に見ることができるのは6本か7本であろう。
 私が見たのは、インドネシア人監督の『象の間で戯れる』、フィンランド人監督の『革命の歌』、そして河瀬直美監督の『垂乳女』である。
 河瀬監督はこの映画祭でも馴染み深いが、1995年の第4回の際に『につつまれて』と『かたつもり』の2本が受賞され、97年のカンヌ映画祭で『萌の朱雀』が新人監督賞となり、これは史上最年少であり、これにより一躍世界人となった。
 更に2007年には同じカンヌ映画祭で『殯の森』で審査員特別賞に輝いている。
 本人もTVのインタビュー番組で、山形映画祭が自分を飛躍させたと語っているから、彼女自身は『垂乳女』の中でも関西弁で出演し、昨日のシンポジウムでも関西弁をまじえて話していたが、まさに山形は彼女にとって“第二の故郷”と言っても過言ではなかろう。

 ※写真は映画祭主会場のAZ七日町ビル(上階が中央公民館)
     「上」は1925年当時の現在地 「下」が現在のAZビル
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山形弁が聞こえない山形映画祭

2007-10-08 23:47:20 | イベント

 ↑ クリックにより拡大

 山形国際ドキュメンタリー映画祭 5日目
 映画祭も後半、今日も複数の映画を観た。
 一つはインド人監督の『ビショル・ブルース』で、インド・ベンガル地方で根付いているイスラム教主体の混合宗教の模様を描いている映画で、鳴り物入りの音楽で教えを説き、線香も焚くのには驚いた。
 もう一つはロシアの黒海の海水浴場で戯れる人々の乱れぶりを描いた映画『ワイルド・ワイルド・ビーチ』で、18歳未満はお断りの映像も現れ、公的支援の難しさすら感じた。
 上映会場はいずれも少人数の映画館なので、席の予約券確保のため早朝から街路まで並ぶ必要があるのだが、直前に訪れて、立ち席券で入場したが、2度ともキャンセル席に割り込むことができた。
 その他、シンポジウム「地域映画祭の市場性」をも覗いてみたが、観客席の河瀬直美監督がパネリスト席の山形映画祭事務局長との質疑応答が興味深かった。
 ともかく山形で開かれている映画祭であるが、英語や中国語などの外国語や標準日本語、関西弁などは盛んに耳にするが、山形弁がほとんど耳にできないのが少々もの淋しく、気にかかることである。
 また、国技館でもないのに上映会場の内部や周囲で男性のチョンマゲ姿が多いのもこの映画祭の特色である。
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映画より芋煮派VS芋煮より映画派

2007-10-07 19:52:58 | イベント

 ↑ 馬見ケ崎川河川敷で芋煮会を楽しむ人々(クリックにより拡大)
 
 山形国際ドキュメンタリー映画祭(4日目)
 映画漬けの毎日であるが、河川敷方面にもでかけてみたら、やはり芋煮会のグループで馬見ケ崎川の河川敷は賑わっていた。
 あちこちに自然石を利用した芋煮のカマドからは噴煙が立ち上り、人々は鍋の中の煮具合を気に留めながら、今か今かと出来上がりを待ち構えていた。
 
 再び中心街に戻ったら、映画祭に呼応して「地球の文化祭」というイベントが路上で催され、こちらもかなりの人出で賑わっていた。むろん、これらの市民の中にはドキュメンタリー映画を鑑賞した人も少なくなかろう。
 むろん、インドなどの民族料理の屋台や民族衣装で身を包んだ外国人や映画祭のため山形を訪れた外国人の姿も多数見受けられ、街は大いに華やいだ。
 ※写真「上」は七日町一番街に並ぶ国際色豊かな屋台(会場は近くのほっとなる広場でも)「下」は再生土蔵の前でのジャズ演奏
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映画祭の最高得点はどの監督か?

2007-10-06 21:13:42 | イベント
 古代ペルシァが起源という古式打毬が今日山形市内で開かれたが、これは神社祭礼の行事。また、同時に市内では国際ドキュメンタリー映画祭が開かれている。
 古式打毬は得点を競うから、コンペティションであり、また映画祭でも受賞を目指すコンペティションが行われる。
 目下、山形は晴天にも恵まれ、戸外の河川敷では名物の芋煮会で賑わい、性格がまったく異なる祭りと祭りが重なり、市街地も大いに華やいでいる。
 さあ、どちらも高得点を目指せ!

※古式打毬(だきゅう)については昨年同日の記事(←クリック)参照
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極西の老女が唄う極東風の調べ

2007-10-05 23:26:28 | イベント
 山形国際ドキュメンタリー映画祭(第2日目)
 今日見たインターナショナル・コンペティションの出品作品はフランス人監督によるポルトガルの大西洋沿岸の片田舎が舞台であった。
 『アレンテージョ、めぐりあい』という作品で1950年代の記録映画と現代の場面とが交錯する少々わかりにくい映画だが、豊かな自然背景と素朴な村人たちの表情、静寂にして美しい村落の街路景観を見るだけでも心洗われる思いであったが、村の老女や中年女性が自宅などで口ずさむ伝統風の歌謡(民謡?)と民族楽器による伴奏の音調は西欧のさらに西のはずれのものとは思えない、まるで日本の民謡を聴くような癒しのひと時であった。

※写真 「左」は主会場前に掲げられた映画祭の看板 
     「右」この映画について語るピエール=マリー・グレ監督(右の男性)

 
 
 
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一揆の里とドキュメンタリー映画祭

2007-10-04 23:58:48 | イベント
 上の写真と下の2つの写真とはどんな関係があるのか?
 第10回の山形国際ドキュメンタリー映画祭は今日開会した。
 開会式に際しては理事長(90歳)からこの映画祭の草創の経緯の話がなされたが、成田空港建設の反対派農民たちの映画を撮り続けた小川伸介氏の撮影集団が山形市の南、上山市に移住していたので、山形市政100周年を記念し、かつ長続きのする事業として記録映画のイベント開催が提案され、小川氏に協力を求めたということであった。
 小川氏らが陣幕を張った所は18世紀半ばに名高い農民一揆があった所である。
 下の左の写真は一揆の農民集団が集結した所であり、右の写真は打首・晒し首にされた一揆の指導者3人と町方の2人の霊を祀る神社である。それゆえ「五巴神社」という。
 まさに成田闘争も上山の一揆も農民闘争であり、過去の上映作品にも“闘争”や集団間の軋轢を主題にした映画が確かに少なくなかったように思える。

※「上の写真」薬師如来も映画祭に協賛 主会場、中央公民館の近くの門燈
※「下の写真」は06年6月16日の記事(←クリック)を参照
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