山形の過去、現在、未来

写真入りで山形の歴史、建物、風景を紹介し、併せて社会への提言も行う

史跡・馬見ケ崎川旧河道

2006-09-09 21:59:49 | 郷土史
 「日本一の芋煮会」で有名な馬見ケ崎川は山形城主が最上氏までは山形城三の丸のすぐ北を流れていた。それを現在の市街地北東方面に向きを変えたのが新しい城主鳥居氏であったことは先日書いた(8月1日の記事を参照)。
 それでは旧河道にはまったく水流が無くなったのかと言えば、決してそんなことはない。むろん、水流はかなり小規模で細々としたものになったが、両岸の城下民の生活用水や下流の農村地帯の農業用水として近代に入っても使用され続けてきた。農業用水としては現在も「八ケ郷堰」という名で現役である。
 現在の文翔館(旧県庁)の敷地もその河道であったが、現代になってからは用水路は暗渠となり、市民の目にふれることもなくなっていたが、旧県庁が文翔館という名の文化施設として整備されるのを機に、敷地内に馬見ケ崎川の旧河道と後の八ケ郷堰が流れていたことを記念するために装いが新たな親水空間としてお目見えしたのである。

★ワンポイント山形語 [尊敬語?or揶揄語?]
 山形では神様、仏様、王様、ヨン様に続くような言葉が一般的に使われていたし、現在でもまだまだ使われている。「おじいさん」「おばあさん」のことを「様」付けで言うからである。即ちズサマ、バサマであり、漢字で書けば爺様、婆様となる。だが、「貴」と「様」という尊敬的意味のある漢字を連ねれば「貴様」という見下した意味の軽蔑語となるように、「爺様」「婆様」はむしろ見下した意味や揶揄語として使われることの方が多いようだ。
 かなり高齢の山形人は「ズドバー」というフランス語みたいな言葉を使うことがある。つまり「爺と婆」のことである。

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