山形の過去、現在、未来

写真入りで山形の歴史、建物、風景を紹介し、併せて社会への提言も行う

誰が上杉軍が隠れた「かくれ石」を隠したか

2009-07-16 22:57:19 | 郷土史
 ああ、また一つ歴史が隠されようとしているのか。
 この右の写真は「掛入石」または「かくれ石」と呼ばれ、この岩のような巨石が最上領と置賜郡の境界とされ、慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いの最大の余波戦である出羽合戦がこの巨石の周辺でも戦われた。
 巨石の右側に供養塔のような物が並んでいるが、様式からして明らかにここまでが上杉領であったことを示している。戦死者の墓石か供養塔なのであろうか。
 ここを越境しようとする者がこの岩の所に掛け入ったからとも、また最上軍の攻撃に備えて上杉軍の兵士たちが隠れたとも伝えられていることから、これらの名で呼ばれることになったのであろう。
 この岩の周辺は両軍の将兵たちにとってはまさに命懸けの場所であったに違いない。
 だが、現代でもここは同じく「命懸け」の場所である。
 この巨石のすぐ脇には国道13号が走っており、クルマがひっきりなしに疾走しているし、この巨石の所で大きくカーブしているから見通しも悪い。むろん、歩行者が横断することはまさしく命懸けである。
 だから、危険緩和のための「道路改良」工事が進行中なのであろう。(ただしクルマ相互での危険解消であり、むろん横断歩道なんぞ新設されそうもない。)
 この工事の以前は少々危険ではあるが自転車や徒歩でも通ることができたから、間近にこの巨石を見ることができたが、この工事のために巨石側の歩道(路側帯?)は寸断され、危険を冒して反対側に設けられた歩道に渡ってそこから眺めようとしたが、高架になったために巨石の上部しか見られなかった。
 工事が完成して反対側にも歩道が設けられたとしても「かくれ石」を見下ろすことになるが、この歩道を利用する歩行者も自転車もほとんどないし、わざわざクルマから降りて眺めるドライバーもまずは居ないであろうから、この歴史的な記念物もほとんど視界から消え失せるも同然ということになる。
 今や世を挙げて「天地人」ブームなのに、一方で「歴史無視」の事業が進められており、出羽合戦で命を失った両軍の将兵の霊魂はますます浮かばれないことになろう。
それにしても、渋滞解消のためと称して巨費を投じた工事を行うよりも「クルマ通行の制限」を断行することの方がよほど地球温暖化抑制策になるのではないか。
◆ 右側の写真は工事以前に撮影されたもの(関連HPより)

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