姉妹ブログ「島国ニッポンの山国から」6月2日付けの記事からの続き
この旧市街地には既に老夫妻だけの住宅や単身高齢者の住宅が激増しており、ニュースにもならない孤独死も多い。その発見が翌日か2~3日後程度であって、1か月以上も後に発見というわけではないからでもある。
これらの高齢者のみが住む住宅も多くはかつてかけがえのない「マイホーム」であったに違いない。
しかし、今や多くが「置き去り」型の姥捨て山と化している。
それも「山の中」ではなく、街なかにである。
信濃の姥捨て山伝説はともかく、遠野の伝承をもとにした映画「でんでら」での姥捨ては良くも悪くも集団型であったが、現代型の姥捨て山は孤立型であり孤独型であり、一層悲惨であると言えるかもしれない。
写真はJR姥捨駅近くから望まれる千曲川・長野市方面
※シリーズ「山形市史と縁がある都市を訪ねて」の連載は次回以降になります。