島国ニッポンの山国から

地球温暖化、クルマ社会の諸問題、時評、街作り提言などを島国の中の四方を山で囲まれた山形盆地からのつぶやき

未来はニュータウンという名の「姥捨て山」

2012-06-02 06:21:48 | Weblog

 今でも宅地購入の呼びかけが賑やかな高台に造成された「ニュータウン」の写真である。
 なるほど真新しいモダンな外観の住宅が既に多く建ち並んでいるが、すぐ近くには今なお買い手がつかない造成済みの空き地もあれば、更に新しく造成工事が進んでいるところもある。
しかし、ここを訪れて歩いてみたときは人っ子一人歩く姿は見当たらず、ゴーストタウンのような不気味な静けさであった。
なるほど、この時間帯は子どもたちの在校時間だし、大人たちは奥さま方も含めて職場で働いている時間である。つまり住民の多くは若い世代の家族で、年配者が居てもせいぜい70歳前後で、80歳以上は希のようだ。
 なぜなら、先に書いたように、この地は「高台」である。でも、津波対策での高台ではない。場所は内陸部も内陸部の山形盆地の際の高台で、蔵王連峰や山形盆地の眺めが素晴らしいことから「蔵王みはらしの丘」と呼ばれている。
 しかし高台なるがゆえにクルマがなければ不便きわまりない。それゆえにクルマが運転できる若い世代の家族が新居の地として選ぶ傾向が強い。
 だが、近くの県道で出会った旧村の老人が次のように語っていた。
「これから30~40年後、彼らもクルマが運転できなくなる年代になると、こだな所ば選んだことを後悔するようななるべ~。」
 それでも彼らの子どもたちがこの地に残って一緒に住んでくれるのなら幸せと言えるであろう。ところが、成人となって巣立ち、結婚して子どもを設けても、配偶者や子どもに気兼ねして(子どもの場合は受験期であるとか・・・)生家に戻って老いた親と同居することはほとんどありえないであろう。いわば互いの「自立」の美名のもとでの「姥捨て」である。
 しかし、信濃の伝説的な「姥捨て山」と大きく違う点がある。信濃の場合は老人たちが里から連れてこられるのだが、現代の姥捨て山は「置き去り」型である。 ⇒ 姉妹ブログ「山形の過去、現在、未来」の本日(6月2日)付けの記事の見出し写真を参照

 この上の写真はこのニュータウン「みはらしの丘」から望まれる山形市の旧市街地でああり、なるほど文字通り「素晴らしい見晴らし」であるが、むろん、ここにも無数の住宅がひしめいている。・・・・・

 ⇒ 姉妹ブログ「山形の過去、現在、未来」の本日(6月2日)付けの記事(←クリック)に続く
     ぜひ、見てくだされ!!