山形の過去、現在、未来

写真入りで山形の歴史、建物、風景を紹介し、併せて社会への提言も行う

炭焼藤太・金売吉次が通った道 ②

2008-08-30 23:25:39 | 郷土史
 出羽国の宝沢で炭を焼いて売り捌くのを生業としていた炭焼藤太は炭の材料となる樹木の枝の採集のために、更に山奥の方まででかけていたのであろうか。
 彼の居住地跡とされている上宝沢の住吉神社から蔵王の主峰の方向にしばらく歩くと蔵王ダムが待ち構えている。 たぶん、藤太を始めとする宝沢の住民たちはこのあたりも当然テリトリーとしており、また修験の行者たちも主峰を目指して道なき道を歩いていたであろう。
 宝沢の里人たちは炭焼きや鉱物の採掘などの山仕事の他にも遠くから訪れた修験者たちを宿泊させたり道案内することも生業としていたとも考えられる。 宝沢の里はかつて蔵王の信仰登山の主要な登り口として上宝沢と下宝沢を合わせて「宝沢十二坊」と呼ばれる修験の坊舎があり、遠来の行者の宿泊所としてばかりでなく、道場でもあり、住吉神社も以前は神仏混淆の坊舎の一つであった。
 そう、今でこそ山深い感がある宝沢の里には日本各地から訪れる山岳信仰の行者たちや山仕事の漂泊の民が訪れる多文化交流の地であった。彼らは往古の最先端技術や知識・情報も背負って巡り歩いていたからである。
●写真説明「上」蔵王ダムの前景(関連HPより)「下」南雁戸山頂から見える蔵王ダム(約30年前に撮影)右手の方向に宝沢の里がある。正面の山が竜山。その陰が山形の市街地。蔵王の主峰は左手方向だが、この写真では見えない。

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