この道はいつか来た道。
義姫がよみがえってこの道を歩けば、きっとそう感じるに違いない。
むろん、彼女がこの地に住んでいた時代は屋根が赤いペンキで塗られていたはずはないし、こんな豪壮な土蔵が建つほど土地の者が豊かであったわけはない。
だが、この地で彼女の警護の責任を担っていた山形城主最上義光の家臣加藤掃部左衛門はむろん武士で、その後代々この集落の名主をつとめた家系の祖であり、彼の分家がこの集落を中心に散在している。
直江兼続率いる2万の上杉軍が山形盆地になだれ込んで、この集落のすぐ近くが戦場になったがために掃部左衛門は戦死している。
上杉軍の山形盆地侵入の報を聞いた掃部左衛門は当然すぐに義姫をこの地から出して山形城に逃れさせたはずである。
兄の義光は伊達家の仙台城から少しでも遠いこの地に妹を住まわせたものの、まさかこの地が戦場のすぐそばになるとは思いもよらなかったであろう。
だが、この地が上杉兵に荒らされたことはなかったようである。
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地球温暖化対策のためのCOP15コペンハーゲン会議に関する記事です。
義姫がよみがえってこの道を歩けば、きっとそう感じるに違いない。
むろん、彼女がこの地に住んでいた時代は屋根が赤いペンキで塗られていたはずはないし、こんな豪壮な土蔵が建つほど土地の者が豊かであったわけはない。
だが、この地で彼女の警護の責任を担っていた山形城主最上義光の家臣加藤掃部左衛門はむろん武士で、その後代々この集落の名主をつとめた家系の祖であり、彼の分家がこの集落を中心に散在している。
直江兼続率いる2万の上杉軍が山形盆地になだれ込んで、この集落のすぐ近くが戦場になったがために掃部左衛門は戦死している。
上杉軍の山形盆地侵入の報を聞いた掃部左衛門は当然すぐに義姫をこの地から出して山形城に逃れさせたはずである。
兄の義光は伊達家の仙台城から少しでも遠いこの地に妹を住まわせたものの、まさかこの地が戦場のすぐそばになるとは思いもよらなかったであろう。
だが、この地が上杉兵に荒らされたことはなかったようである。
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「郷土史講座―長谷堂城合戦」元木公民館(8・26、9・26、10・30、講師・伊藤繁雄氏)で聴講しましたが、その時の一部資料は山形第九中2年生が作成したもので、感激しました。未来の山形・郷土史を育てて欲しいものです。また、公民館での郷土史講座など地元研究を積極化して欲しいものです。勿論、その際は小中学生の参加に注力して頂くことを希望します。