山形の過去、現在、未来

写真入りで山形の歴史、建物、風景を紹介し、併せて社会への提言も行う

千年昔の交通事故死 馬から落ちて落馬して

2009-02-16 14:58:21 | 郷土史
 前回記事「かくとだに・・・」の続き
 
 山形のシンボル千歳山の阿古耶の松を訪ねての帰路だったのか、またはそうでないのか、4年前に陸奥国司として赴任した藤原実方卿はこの神社の前を通りかかった時に落馬して絶命した。いわば平安前期のエンジントラブルによる交通事故死である。
 現在も道祖神社と称するなかなか風格のある神社であるが、1010年昔の当時も現在のような立派な社殿を構える神社だったのであろうか。
 道祖神と聞けば、長野県安曇野に多い野ざらしの石碑程度のものを連想するが、これほどの広大な境内と社殿を構える神社だったとは訪れるまでわからなかった。
 土地の者は「親の進める縁談に逆らって好きな男と一緒になって当地に住み着いた女性が祭神ですが、性器をかたどった物を供えればすべての願い事が叶いますから、是非そうなさってください」と勧めたが、そんな下卑た女神にそんな供え物したくはないとばかりに、馬から下りないまま通り過ぎたので、祭神の怒りに触れたのか、馬は暴れ出したために彼は落馬して、それがために絶命した。
 彼の遺体はここから700mほど北に葬られた。また、千歳山萬松寺の彼の墓と称する物があるが、彼の遺言により遺骨の一部が葬られたのであろう。あるいは単なる供養碑なのか。(※前回の記事を参照)
◆写真 ①名取市西部の愛島北野地区にある実方卿の墳墓を離れて南に10分ほどすると山道に入る ②途中、道に迷ったが県道沿いに「道祖神社」の標識があり、そこからほんの1分で鳥居の前に出た ③堂々たる社殿で、夫婦和合、子孫繁栄、五穀豊穣、そしてむろん文字通り旅の安全、悪霊の流入阻止が千年前も祈られていたであろう ④⑤鳥居の脇にある石像は猿か 道案内の神の猿田彦も女神とともに祀られている 工事用の車の駐車が多かった ⑥道祖神社のある丘を下り名取市街地に近い老人ホームの傍にあった江戸時代の民家「中沢家」 ⑦⑧⑨名取市旧市街地(JRの東側)で見つけた土蔵と豪商屋敷
 以上、名取駅を発着点としてすべて徒歩でした。

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