山形の過去、現在、未来

写真入りで山形の歴史、建物、風景を紹介し、併せて社会への提言も行う

伊達政宗の母が住んだ平地の隠れ里(1)

2009-12-10 07:40:11 | 郷土史
 伊達政宗は強し、されど母も強し
手前には建設機械、上部には送電線、右手には鉄塔も見えるなど、全体として決して麗しい景観だとは言えないが、部分的にトリミングすれば、鎮守の森が見えるなど麗しい農村景観となろう。[須川沿岸の山形市西公園見晴らし塔より]
 後方には丘陵が連なっているが、建設機械と鉄塔のすぐの前方の集落があるあたりは概して平地であると申すべきであろう。
 その集落こそ天下人の秀吉や家康にまで怖れられた奥羽の暴れん坊で戦国末期の武将の中でも一際強烈な個性を天下に知らしめた伊達政宗の母が隠れ住んだと伝えられている村である。
 否、隠れ住んだというよりは、兄の最上義光の命により「押し込められた」里と申すべきなのかもしれない。
 その集落は悪戸と称する山形市村木沢地区の一小字であるが、山形盆地の真ん中の低地を南北に流れる須川の川縁に位置し、須川西部の他の集落からは多少の距離がある「離れ里」でもある。
 しかし、慶長五年(1600)この里にも大きな戦火が迫っていた。 続く

※ 彼女がこの里に住まうに至る経緯については次回以降に記します。
 
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