一昨日オープンした「紅の蔵」は来館者でごった返しているが、約半年前に内覧の機会を得た時にはまことに静まりかえっていた。
豪壮な複数の土蔵を構える蔵屋敷が多かった山形の中でも有数な豪商だった○谷(マルタニ)長谷川家も戦後はしばらくひっそりした時期が続いていた。
それでも「紅」という文字が付き、実際に紅花を中心とした上方との商いで繁栄したというからには、建物の内部もすべて華やかさで彩られているのかと思って屋敷内に足を踏み入れたのだが、建物自体は確かに堅固で広壮なな造りでありながら、概して「地味」であるというのが内覧しての印象であった。
それがヨーロッパの豪商ならば、部屋という部屋は隙間無く装飾で埋め尽くされているのであるが、日本の、そして山形の豪商は武士にならい華美に陥ることないように「質素」を旨としていたからであろう。
「商人町山形」の伝統の基礎は武士の長たる最上義光によって築かれたと申して過言ではない。だから、最上氏が改易後も巨大城下町を担う心意気は城下民の間で代々明治に至るまで継承され続けたのである。
◆写真 ①左から荷蔵、座敷蔵、母屋(東門より) ②母屋、店蔵北棟 ③店蔵南棟のタイル壁面、母屋、斜め向きの玄関、座敷蔵(西門より) ④玄関前坪庭と東門に通じる小道 裏画面 ①玄関の引戸 ②母屋の座敷 ③店蔵南棟の内部 洋館みたい ④荷蔵南棟の前にて
◆感謝 当日の内覧会を企画してくださったKさんに感謝申し上げます。