山形の過去、現在、未来

写真入りで山形の歴史、建物、風景を紹介し、併せて社会への提言も行う

伊達政宗の母の墓所を訪ねて(1)

2009-10-29 23:07:52 | 郷土史
 ◎10月21日の記事に続く
 伊達政宗の母という言い方は伊達政宗の生地の米沢もしくは政宗の後の領地となり以後江戸時代末期まで仙台藩であった宮城県側の言い方になるのだが、山形県の言い方となると「最上義光の妹」になる。
 即ち、伊達政宗の母にして最上義光の妹である。
 婚姻以前の最上家時代はの彼女は一般的に「義姫」と呼ばれ、婚姻後は「最上午前」とか「お東の方」「お東様」と呼ばれることが多い。
また夫の輝宗の死去により仏門に入り「保春院」と称した。この名がそのまま菩提寺の名ともなっている。
 彼女は晩年仙台で没している。
 伊達政宗の母であるならば仙台で死んだのは当然ではないかと言われそうだが、晩年の前年までは故あってしばらく実家最上家のある山形に住んでいた。
 しかし、元和8年(1622)に最上家が内紛を幕府に責められて近江国に改易となったために息子の政宗が仙台に呼び寄せたが、翌年76歳で死去している。
 それで、彼女の墓所はどこにあるのかを訪ねて先日仙台市を歩き廻ったが、その道筋を下記の写真により紹介したい。
 ◆写真説明 ①菩提所で義姫の位牌が祀られている保春院の入口(仙台市若林区)JR貨物線路のすぐそばで若林区役所はここから徒歩1分 義姫の仏名と同じだが墓は別の寺にある ②位牌が安置されている保春院の本堂 ③光明寺(仙台市青葉区にあるいわゆる北山五山の一つ)有名な遣欧使節支倉常長の墓所 ④同じく光明寺の長い石段の参道 むろん伊達家ゆかりの寺
 
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