切ない電話が1本・・・直接会うこともなく、今までの関係は断ち切られる。鬱々とした気持ちを振り払うように、以前から気になっていた岐阜の件に取りかかる。
岐阜の依子(4期生)に会いたかった。それもあり三光社に電話した。どうせなら、三光社の袴田さんといっしょに飲もうと考えた。依子と袴田さんならノリが合う。春期講習も終わりに近づいていた、4月初めなら大学生に塾を任せて岐阜で一泊とも考えていた。
袴田さんは教科書販売から塾専用教材も扱う。昔はよく三重県にも来てくれたし、こっちから岐阜まで教材を買いに行ったりしてた。7年ほど前には、家を継ぐという息子さんといっしょに塾に来てくれた。
「これが中山先生、僕が三重県にこんな塾があるって紹介したから全国から見学にやってきた」と息子さんに紹介する。「父からはよく先生の話を伺っています。生徒たち主体の考えさせる塾を実践されてるとか」「親父さんは大げさなんやって」「いやいや、全国からみんな来たよね中山先生」「はいはいはい、鹿児島の佐藤塾さんが一番遠かったよね」「そらそらそら」
三光社に電話、袴田さんに代わってほしいと伝えると「少しお待ちください」待たされて代わったのは娘さんとのこと。「あれ、親父さんは・・・」「父は5年前に他界しました」「・・・」「コロナの蔓延する直前でした、検査入院だったのですが、それで合併症を併発して・・・時期が時期なだけに、県外から来ていただくわけにはいかぬと身内で葬式を済ませました」
橋本ドクターから電話、「先生、今日は月末の金曜日」「あっ! 忘れてた」・・・WEB会だ。「じゃあ、できないですね」「森下(8期生・県立看護大学准教授)がおらんからねえ」 ともあれ、即興で塾で起こったことなどを話す。ほとんどが大学入試、高校入試の話だ。WEBではなく電話でやってるだけだが・・・
「あの石田君の息子さんが三重大学医学部・・・僕の後輩ですか、嬉しいですね。5月の連休にそっちに行く楽しみが一つ増えましたね」「また、いろいろ教えてやってほしい」「ええ、で、最近はどうですか、過呼吸はありますか」「そういや、ないよ」「それならいいですが・・・先生、逃げたいと思ったら逃げたらいいですよ。三重大学にたくさん入ったようですし、彼らに任せて先生は逃げたいと思った時に逃げればいい」
その森下から電話・・・京都の『あげた亭』からだ。隣にサッチャンがいる。「先生、お元気ですか。今は千葉大学医学部で職を頂いて教えています。森下さんから聞いたら、先生もやっとご自分の身体に不安を感じられるようになったようで」「ああ、救急車騒ぎかいな」「ええええ、ふつうはもっと若いうちに自分の身体に限界を感じるものなんですけどね」

今日は悠人(三重大学医学部へ進学)が中2を教えてくれている。