らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

「而今」の教え

2023-08-10 | 雑学

「而今」という言葉があります。
「而今」、この漢字は「じこん」または「にこん」と読みます。どちらでも構いません。

「而」は、一字では通常「じ」と読み、「そして」「すなわち」「それでも」という意味があり、
「今」は、いうまでもなく「過去とも未来とも言えない時」のことです。
以上から「而今」の意味は、「過去の話や未来の不安はさておき、今に集中しよう」となります。

「出典」
この言葉の出典は、曹洞宗の開祖道元の『正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)』です。
道元はご存じの通り、鎌倉時代の禅僧で、厳しい修行で有名な永平寺を開き、大著『正法眼蔵』を記しています。

「道元禅師・而今の教え」
今、自分自身をより良く生かすこと。
今、私がなさなければめぐり合うべき真実の何もありません。
この世の全てのものはみな変化しています。

『仏道を学ぶ人は、後日に修行しようなどと考えてはいけません。今日、このときをぼんやりと過ごさず、その日その日、その時、その時を勤めなければならない。』
過ぎ去った日の自分を振り返ってみて、わが人生に悔い無しと、言い切れるでしょうか。

「而今」、未来のありたい姿のイメージ、目指したいビジョンは持っていていい。
しかし、忘れてはならないのは未来のために「今」を犠牲にするのではなく、「今、この瞬間」を大切にすること、本当に重要なことに時間を使うこと。
道元禅師はこのように教えています。

今日の記事は決して曹洞宗を推奨しているのではありません。
皆さんは、今、この瞬間を大切にしていますか?
自分にとって本当に重要なことに意識を向けていますか?
それらを先送りにしていませんか?
曹洞宗の「而今」は「今この瞬間を大事に生きていこう」と教えています。

八十路を過ぎると、残りの人生を考えるようになってきました。
未来のことよりも、今この瞬間を大事にしたいという思いが強くなります。
皆様、一日、一日を大切にお過ごしください。


自転車のヘルメット着用義務化

2023-08-08 | 時事
「自転車のヘルメット着用義務」
ご存じのように道路交通法の一部が改正され、令和5年4月1日からすべての自転車利用者に乗車用ヘルメットの着用が努力義務となりました。
また、令和5年7月1日からは、特定小型原動機付自転車の利用者にも乗車用ヘルメットの着用が努力義務化されました。

「特定小型原動機付自転車」
特定小型原動機付自転車とは、電動キックボードなどです。
この自転車の定義は、原動機付自転車のうち、電動機の定格出力が0.6kW以下であって長さ1.9m、幅0.6m以下かつ最高速度20km/h以下のものを特定小型原動機付自転車とし、それ以外の原動機付自転車を一般原動機付自転車と定義しています。

「罰則」
上記の自転車の乗用時にはヘルメットを着用することが努力義務となりましたが、仮に、着用していなくても努力義務であるため罰則を受けることはありません。
努力義務には強制力や拘束力はなく、あくまでその人の努力に委ねられている規定です。
つまり、自転車に乗る際にヘルメットを着用していないからといって、罰金や懲役などの刑罰があるわけではないのです。
その他にも、自動車の速度違反をしたときのような違反点数などもないため、絶対的な拘束もありません。

「自転車違反に反則金検討」
ところが、先日のニュースでも報じられていましたが、警察庁は、自転車利用者の違反者に反則金の支払いを求める、いわゆる「青切符」の導入を視野に有識者検討会を設置しました。
年内に内容をとりまとめ、早ければ来年の通常国会での法改正を目指すという事です。

「背景」
その背景は、警察庁によると、自転車全体の事故は減っている一方で、歩行者との事故は昨年2905件発生しており、2年続けて増加していること。
また、自転車が絡む死亡重傷事故では、7割以上で自転車側に違反があること。
等があります。
こうした悪質な自転車に対して、全国の警察は取り締まりを強化し、昨年は2万4549件が摘発されました。これは10年前に比べて3倍以上となっています。

現在の制度では、自転車の悪質な違反は、刑事責任が問われるいわゆる「赤切符」の対象になりますが、手続きに時間がかかり、違反者にも警察にも負担が大きいことから、実際に起訴されるのは1~2%に過ぎないようです。
そこで検討会は、自転車も車や電動キックボードと同じく、行政処分として反則金の支払いを求める交通反則金制度、いわゆる「青切符」の導入の検討を始めるということです。



「青切符の対象違反」
自転車利用者の違反者に反則金の支払いを求めるいわゆる「青切符」の対象となる違反には下記が検討されています。
・対象は、「逆走」
     「信号無視」
     「歩行者の妨害となる危険な運転」
     などになるとみられています。
・自転車は免許が不要のため違反点数はありません。
・対象年齢については、16歳以上となっている電動キックボードも参考にするということです。

自転車に乗る人は自分の身を守るためにも、信号無視や逆走をしないように、交通ルールを守って、安全運転を心がけましょう。


諏訪「甲賀三郎伝説」

2023-08-06 | 情報

家庭菜園をしていると天候によって畑への出勤が左右されます。
晴耕雨読という言葉があるように、晴れた日には耕し、雨の日には家に居て書を読むという気ままな生活を送っていますが、最近は書を読む代わりに、撮り溜めたビデオを観ています。
春先は雨の日だけ、撮り溜めたビデオを観ていましたが、猛暑が続く現在はほとんど毎日、冷房の利いた部屋で推理ドラマを観ています。
先日観たドラマの中に甲賀三郎伝説が出ていたので調べてみることにしました。

「甲賀三郎伝説」
この伝説の甲賀三郎とは、長野県諏訪地方に伝わる竜神信仰の主人公です。
三郎は妻の春日姫を我がものにしたいと妬んだ兄に陥れられ、地底で穴蔵生活をすることとなった男です。

・ドラマに映し出されていた竜神です。


「伝説」
甲賀三郎伝説は以下のように語られています。
近江国甲賀郡に安寧天皇から5代孫の甲賀権守諏胤(よりたね)という者がいました。
彼には三人の息子がいて、嫡子を甲賀太郎、次男を甲賀次郎、三男を甲賀三郎といいました。

70歳余になった諏胤は病床に息子たちを呼び寄せ、三男の郎諏方(よりかた)を惣領として東海道15か国の惣追捕使(そうついぶし=一国の警察・軍事的役割を担う官職)の職を与え、長男の太郎諏致(よりむね)には東山8か国を、次男の次郎諏任(よりただ)には北陸道7か国の惣追捕使に任命しました。
諏胤は亡くなり、35日の塔婆供養の3日後に奥方も亡くなりました。
三郎が父の三回忌の後に春日権守の孫娘・春日姫と契りを結び、ともに甲賀郡へ帰りました。

ある日、妻とともに伊吹山で狩をしていた時のことです。
妻が天狗にさらわれてしまい行方不明になったのです。
三郎は兄たちとともに五畿七道をくまなく探し歩いたところ、信州蓼科の大楠の大穴に閉じ込められていることがわかりました。
早速、藤の蔓(つる)で編んだ籠を下ろして救出したのですが、妻が穴の中に大事な唐鏡を置き忘れたというので、三郎が一人穴の中に舞い戻ることになりました。
この時、弟を妬んだ兄が、春日姫を我がものにしたいと、藤の蔓を切ってしまったのです。
哀れかな、三郎は穴蔵の底に転落し、取り残されることになりました。

三郎は抜け出ることもままならず、地底内を散々歩き回った末、とうとう維摩(ゆいま)なる国にたどり着きました。
そして、その国の王妃・維摩姫と結ばれて、長い長い年月を過ごしてしまったのです。

それから13年が過ぎたある日、春日姫の事を思い出した三郎は地上に帰ることを決意しました。
三郎のその姿を見た維摩姫は、引き止める訳にはいかず、義父が教えてくれた道をたどって、地上に向かい、信濃国の浅間山に無事帰ることができました。

三郎は甲賀に戻りましたが、体が蛇になっていたことを知り、父の為に造った笹岡の釈迦堂の仏壇の下に身を隠したのです。
するとその塔の前に、僧に身を変えた神が現れました。
三郎はその僧の教えにより人身にもどることことができました。
人間の姿となった三郎は穴に落とされる前に助け出した春日姫と再会することができました。

そして二人は天竺に赴き、神になって三郎と姫君は日本に帰ってきたのです。
その後二人は信濃の国に諏訪の上社、下社としてそれぞれ示現したというお話です。

ドラマではこのような内容ではありませんでしたが、諏訪湖の竜神(上記の画像)が映し出されていました。
この伝説の結末はハッピーエンドでしたが、しかし、弟の妻をわがものにしようとする二人の兄は許せませんね。
父が三男を惣領にしたことを恨んでのことからなのでしょうか。


バイキングとバイキング料理

2023-08-04 | 雑学

旅行で皆様も感じておられると思いますが、ホテルの食事形態にバイキング形式を取り入れているところが随分多くなりました。
各種の料理を並べて、お客の好みによって自由に取り分けて食べるこの形式の食事は、利用者の方にも好評のようです。
今日はバイキングという食の形式とバイキングについて調べました。

「バイキングの日」
先ず、「バイキングの日」という記念日があるのだそうです。
8月1日がその日で、帝国ホテルが2008年(平成20年)4月に制定した記念日だそうです。
何故、帝国ホテルなのかというと、1958年(昭和33年)8月1日に、帝国ホテルが新しいレストラン「インペリアルバイキング」をオープンさせたことに因み、日本記念協会から、この日が「バイキングの日」として認定・登録されたということです。

「経緯」
その経緯は、 1958 年(昭和33年)、当時パリで修行中だった村上信夫氏(帝国ホテル初代総料理長)に、総支配人から北欧の伝統料理「スモーガスボード」を習得するよう指示がありました。
「スモーガスボード」とは、肉・魚・野菜などの各種料理を食卓に並べ自由に取り分けて食べる北欧の伝統料理だそうです。
この料理を学んで帰国した村上氏によって、1958 年8 月 1 日に日本初のビュッフェレストラン「インペリ アルバイキング」が帝国ホテルにオープンしたのです。

バイキングという名称は、当時上映されていた映画「バイキング」で海賊たちが豪快に食べる シーンがイメージにぴったりだということで、その名が付けられたということです。
以来、日本では「バイキング」と言えば、ビュッフェレストランを指すまでに広まり、50 周年を迎えた 2008 年(平成20年)には、レストランの開業日である 8 月 1 日が「バイキングの日」に制定され たということです。

バイキング料理です。(ネットより)


「海賊バイキング」
一方、バイキングとは8~11世紀に北欧を中心に略奪・征服などを行ったノルマン人の別称で、その活動が最初に現れたとされる日は、793年6月8日です。
剣や斧で武装した彼らがイギリスのリンディスファーン修道院を襲撃し、人々を驚かせたといわれています。
バイキングは海賊行為だけではなく、交易、植民、建国、傭兵など多面的な活動をしました。
バイキングの本来の語義は「入り江の民」ということで、もともとは農民や漁民でした。のち海賊を意味する俗称となりました。

その人達が貿易・通商を行うことで、中東を中心とした異民族との交流を通じて、航海術だけではなく、地理的な知識や工業的な技術、軍事的な技術なども向上し、周辺のヨーロッパ諸国を凌駕するようになりました。
その結果として、富を求めて近隣諸国を侵略していったと言われています。

映画の中で彼らの豪快な食事が再現され、そのシーンが村上氏のイメージとぴったりだという事で、ビュッフェレストランに命名され、帝国ホテルがバイキング料理の発祥となりました。
このレストランは大変好評を博し、バイキングはビュッフェレストランの代名詞となりました。
帝国ホテルに続けとばかりに、他でも真似て広がり、バイキングは日本中に普及したのだそうです。


シコンノボタン(紫紺野牡丹)

2023-08-02 | 

昨年、主枝を短く切り詰めたシコンノボタン(紫紺野牡丹)が、今年、鮮やかな紫色の花を咲かせてくれました。
切り詰めた理由は、伸ばし放題にしていたため、枝がフェンスの網目から道路側に出て邪魔になり始めたためです。
今年の春に、切り詰めた茎から新梢が伸びて、7月下旬になって蕾が付き、開花したものです。
現在では草丈が2メートルを超える高さに伸びており、蕾もたくさんついています。



「シコンノボタン」
シコンノボタン(紫紺野牡丹)はノボタン科ティボウキナ属(シコンノボタン属)の常緑低木です。
原産地は南米ブラジル地方で、日本には19世紀頃に渡来しました。

「名前の由来」
「シコンノボタン」という名前は、花びらが紫色で、ボタン(牡丹)のように美しいことに由来しています。
「紫紺」とは、濃い紫色のことで花色からきています。
また、別名を「ブラジリアン・スパイダー・フラワー」と言い、これは雄しべの形が蜘蛛の足のように見えるところから名づけられました。

・シコンノボタン(紫紺野牡丹)の花です。


「花」
開花期は夏~晩秋で、花色は紫色、花径は7cm~10cmになります。
花びらは5枚で、中心にいくつもの雄しべが突き出ているのが特徴です。
1つ1つの花は1日で枯れてしまいますが、次々と花が咲き、長く開花が楽しめます。
しかし、毎日、花弁が道路に舞い落ちることから、当分の間、道路の清掃が続くことになります。