らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

清少納言と鶏鳴狗盗

2023-06-03 | 雑学

一昨日の弊ブログで「百人一首―清原元輔の歌ー」を取り上げ、清少納言が清原元輔の娘であることを書きました。
その時、百人一首に撰ばれている清少納言の和歌が、中国・戦国時代の斉(せい)の猛嘗君(もうしょうくん)の故事を比喩して詠んでいることを知ったので、今日は清少納言と猛嘗君の故事について取り上げます。

「清少納言」
清少納言は、紫式部と並び称される平安時代の代表的な女流作家です。
そして、第66代・一条天皇の中宮定子(一条天皇の皇后)に仕え、長保2年(1000年)定子の死と共に宮中を退きました。
晩年は不遇でしたが、世界最古の随筆と言われれる「枕草子」を著わして随筆家として不朽の名をなしました。

清少納言の「清」は清原の姓を表し、「少納言」は宮中の呼び名で、家の格を表しています。
父の清原元輔は地方官も歴任した中流貴族で、官位は高くありませんでしたが、和歌の才能に加えユーモアのセンスも抜群でした。
清少納言はそんな父の気質を受け継ぎ、明朗快活に育っていきます。
幼い頃から父に漢学を学ぶなど、学問的環境にも恵まれました。

「清少納言の和歌」
その清少納言の和歌が百人一首の第62番に撰ばれています。

 「夜を込めて 鳥の空音(そらね)は はかるとも よにあふさかの 関はゆるさじ」 (清少納言)

 意訳:あなたは、たとい孟嘗君(もうしようくん)の故事に倣って、世のまだ明けないうちに、鶏の鳴き声をまねて騙そうとしても、中国の函谷関ならともかく、この逢坂の関は通しませんよ。(騙そうとしてだめですよ)



「鶏鳴狗盗」
清少納言が譬えに詠んだ「函谷関なら・・」は、中国の孟嘗君列伝(もうしょうくん)からで、そこから鶏鳴狗盗(けいめいくとう)という言葉が生まれました。
鶏鳴狗盗とは、くだらない技能をもつ人や、つまらないことしかできない人をたとえた言葉で、そこから転じて「つまらないことでも何かの役に立つことがある」という意味です。
「鶏鳴」とは、鶏の鳴きまねをすること。
「狗盗」の「狗」は犬のことで、犬のようにこそこそと、わずかばかりの物を盗むことです。

「故事」
出典は史記の孟嘗君列伝です。
それによれば、中国・斉の孟嘗君が秦の昭王にとらわれた時、犬の真似の上手い狐白裘(こはくきゅう)に白狐の皮衣を盗ませて、これを昭王の寵姫(ちょうき)に献じて釈放されました。
そして、国境の函谷関(かんこくかん)まで逃げてきましたが、深夜のため関所は閉まったままで通ることができません。
この関所は鶏が鳴く朝まで門は開かれない定めとなっているのでした。
そこで鶏の鳴き声を真似るのが上手い従者に命じて真似をさせたところ、本物の鶏がつられて鳴き始めたため、門が開かれて無事に脱出する事ができたと言う故事からこの言葉が生まれました。

清少納言は百人一首 第62番の和歌に、この孟嘗君列伝を比喩して詠んでいるようです。
1000年以上も前に中国の故事をよく勉強していたものです。