らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

勝海舟「行蔵は我に存す」

2019-06-08 | 時事

丸山穂高議員が「北方領土を戦争で取り戻す事」を容認するかのような発言したことが問題となって、先日、国会では全会一致で糾弾決議が可決され、事実上の辞職勧告を突きつけられました。
強制力はなく、法律上の「懲罰」にも当たらないことから、本人は議員辞職を否定しています。
それどころか、寧ろ開き直るかのように、江戸城を無血開城に導いた勝海舟の言葉を引用して、「行蔵(こうぞう)は我に存し毀誉(きよ)は他人の主張にて。その任期を全うし前に進んでまいります。」とツイッターに投稿しています。

丸山議員が投稿した勝海舟の有名なこの言葉は、福沢諭吉との間で交わされたもので、天下国家を背負った二人が語ったものです。
丸山議員のように、 戦争を知らない若い国会議員が国家の事を考えず、酒を飲んだ後に自己の欲望のままに羽目を外して暴言を吐くような人に引用して語って欲しくありません。
丸山議員は大阪19区からの選出議員であり、小生もその選挙区の有権者の一人として腹が立って仕方がありませんが、今日はこの言葉についてご紹介します。

この言葉は仲が悪かった勝海舟と福沢諭吉の間で交わされたもので、その言葉とは、
 『行蔵(こうぞう)は我に存す。毀誉(きよ)は人の主張。我に与(あずか)らず我に関せずと存じ候。各人へ御示し御座候とも毛頭(もうとう)異存これなく候。』
です。

勝海舟です。(ネットより)


「この言葉の背景」
福沢諭吉が勝海舟に「こんな本(勝海舟を批判した本)を出すけど文句があったら言って来い」と出した手紙の返事の一部が、 前記の有名な言葉なのです。
この意味は、『我が行いは自らの信念によるものである。けなしたりほめたりするのは人の勝手である。私は関与しない。どなたにお示しいただいてもまったく異存はない。』というものです。

福沢諭吉が勝海舟を批判した本は、『痩(や)せ我慢の説』で、「幕臣の身でありながら、敵の作った新政府に仕えるとはけしからん。」と言うものです。
これは、勝海舟が維新のとき、江戸を火の海にしないため、内乱を避け、江戸城を無血開城し、官軍に勝ちを譲ったこと、更に、新政府の要職に就いたことで、幕臣としてあまりに情けない、と責めたのです。

これに対する勝の有名な返事が前記の「行蔵(こうぞう)は我に存す」であり、命を賭けて、信念を持ってやったこと、学者・福沢ごときにとやかく言われる筋合いはないというものです。

行蔵(こうぞう)とは、世に出る、あるいは世に出ない、といった自分の行動のことであり、いわば出処と進退。 自分の行動は全て自分の責任であり、貶(おとし)められようが、非難されようが、すべて甘んじて受ける、という言葉です。

一方で勝は福沢に対して、「上野で彰義隊が命懸けで戦っているとき、品川の山から高みの見物をしていた男が福沢だ。日本のためだとか、天は人の上に人は作らず、と御託を並べる前に、今、人が死んでゆくのを高見の見物するような輩に天下国家を語ってほしくないね」と言っています。

自らの行動の結果には、一切言い訳をしない。 そして、言いたいものには言わしておけと、ニッコリ笑って受け止める。
流石、勝海舟は大物ですが、「戦争で北方領土を取り戻す」発言の丸山穂高議員は勝海舟の言葉を引用するだけの資格があるのでしょうか?