らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

洞ケ峠を決め込む

2013-01-22 | 雑学

今日は「洞(ほら)ヶ峠を決め込む」という諺をご紹介します。

「洞ヶ峠を決め込む」
洞ヶ峠は京都府八幡市八幡南山 と 大阪府枚方市高野道・長尾峠町の境にある峠で、日和見の代名詞のように使われている地名です。
その謂れは、天正10年(1582年)、本能寺の変の直後に、主君織田信長を討った明智光秀の軍と信長の重臣羽柴秀吉の軍が山崎において激突した「山崎の戦い」で、筒井順慶(1549年~1584年)が洞ヶ峠で日和見を決め込んだとの逸話からきているものです。

この時、明智軍、羽柴軍の双方から加勢を依頼された大和の大名筒井順慶は、一度は明智側に従って山崎の南方にある洞ヶ峠まで兵を進めながらも、最終的にはどちらに付くか日和見をしたとの伝説があったことから、日和見する事を「洞ヶ峠」あるいは「洞ヶ峠を決め込む」と表現するようになったようです。
しかし、この伝説は史実に反しており、筒井順慶は最終的には洞ヶ峠に着くことなく大和へと撤兵して中立を保ったと言われています。

「元の木阿弥」
筒井順慶に関する故事には、もう一つ「元の木阿弥」があります。
筒井順慶は3歳の時に父・順昭を失いますが、この時、順昭と声がよく似た「木阿弥」と言う琵琶弾き僧を、順昭に仕立てて死亡を隠し、順慶が成人した3年後初めて順昭の死を公にし、木阿弥は用済みになったため城主から元の木阿弥に戻ったという故事から、一旦よい状態になったものが、再び元のつまらない状態に帰ることや、苦心や努力が水泡に帰して、元の状態に戻ってしまうことを、「元の木阿弥」というようになりました。