らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

左遷の日

2013-01-25 | 雑学

入試シーズンとなりました。
この時期になると受験者本人は勿論、親御さんやご家族の方も合格を祈願して天満宮にお参りされる方が多いと思います。

先日テレビで、大阪天満宮の境内に出店しているうどん屋さんが受験生で賑わっているとのトピックスが紹介されていました。
何でも、このお店の「すべらーずうどん」に人気があって、お参りした受験者の皆さんがよく食べているとのことでした。
この「すべらーずうどん」は箸で持った時に滑らないようにと、うどんの中心を切っているもので、学校の入試に限らず、入社試験や昇格試験、資格試験などの社会人の受験者の方にも人気があって、うどんがよく売れているとのことでした。

さて、天満宮と言えば、大阪では天神さんとして親しまれていますが、その天神さんこと主祭神の菅原道真公が九州の大宰府に左遷されたのが今日1月25日だそうです。

右大臣・菅原道真は今から1112年前の901年(延喜元年)1月25日に、醍醐天皇によって九州の大宰府に左遷されました。
彼の才能を妬む左大臣・藤原時平は、道真を罪に陥れてやろうと策略し、「道真は国家の政治を私物化している」と醍醐天皇に何度も讒言(ざんげん)しました。
これにより、天皇も道真のことを逆臣と思い込むようになり、菅原道真を太宰権帥(だざいごんのそち)に左遷し、筑紫国に流罪とすることとしたものです。

長年住み慣れた自宅の庭に植えられていた梅が咲いているのを見て、
   東風(こち)吹かば 匂ひ送来(おこ)せよ 梅の花 無しとて 春を忘るなと詠み、この日、都を旅立ちました。
その梅は菅原邸から太宰府の庭まで一夜にして飛んで行き、そこに根づいたという有名な「飛梅伝説」も伝えられています。
菅原道真は無念の思いを抱きながら、2年後の903年(延喜3年)2月25日に京に戻ることなく亡くなりました。

死後、都では落雷などの天変地異が多発したことから、道真は雷の神である天神(火雷天神)と同一視されるようになりました。
朝廷に祟りをなしたとされて天満天神としての信仰の対象となり、その信仰は全国に広がり、やがて、各地に祀られた祟り封じの「天神様」は、災害の記憶が風化するに従い道真が生前優れた学者・詩人であったことから、後に天神は学問の神として信仰されるようになって、現在に至っているものです。
「なお、天満」の名は、道真が死後に送られた神号の「天満(そらみつ)大自在天神」から来たといわれ、「道真の怨霊が雷神となり、それが天に満ちた」ことがその由来と言われています。

大宰府については、いつも当ブログにコメントを頂いているiinaさんの「もののはじめblog」に詳しく説明されているので、ご参照ください。
http://blog.goo.ne.jp/iinna/e/aad77552ce13e3f9a2fea73eaf3ecc71