らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

敵に塩を送る

2013-01-15 | 雑学

「敵に塩を送る」という諺があります。
意味は、競い合っているライバルの弱点につけ込まず、反ってその苦境から脱出できるような援助の手を差しのべることですが、その由来は、戦国時代に長年敵対関係にあった上杉謙信が武田信玄に塩を送って助けたという故事に基づくものです。

戦国時代の1567年、武田信玄が今川氏との同盟を破棄し、東海方面への進出を企てたおころ、それに怒った今川氏は北条氏と協力し、武田領内への「塩留め」を行いました。
武田の領地は甲斐・信濃(現在の山梨・長野)で、海に面していなかったため塩を取ることが出来ず領民は苦しみました。
この事態をみて、武田の領民の苦しみを見過ごすことが出来なかったのが、信玄の好敵手である上杉謙信でした。
義を重んじる謙信は、越後から信濃へ塩を送り、武田氏とその領民を助けたと言うものです。
このことから、敵対関係にある相手でも、相手が苦しい立場にあるときには助けてあげることを「敵に塩を送る」というようになりました。

昔、日本人のテニス選手が素晴らしいスポーツマンシップを発揮して世界から称賛された逸話があります。
1920年(大正9年)、ウィンブルドン世界選手権に日本人として初出場した清水善造選手は、アメリカのビル・チルデンと準決勝で対戦しました。
世界一の名選手チルデンに対し、小柄な清水は軽やかな身のこなしで善戦しました。

清水は第1セット、第2セットをいずれも4―6のスコアで落とし、迎えた第3セットは5―2とリードしていました。
あと1点でセットをものに出来るところで、清水の球を打ち返したチルデンは足を滑らせて転倒しました。
この時、清水が逆サイドに打てばそのセットを取れるというシーンでしたが、清水はあわてて立ち上がったチルデンが返球できるよう、ゆっくりと弧を描くボールを送ったのです。
結局、このセットはジュースの連続となり、最後は13―11で清水は敗れましたが、翌日のロンドンタイムズ紙は、「清水はよく戦った。そして、スポーツマンシップがどんなものであるかを示してくれた…」と清水を絶賛したと言うものです。

92年前に清水選手が披露したスポーツマンシップは、差し詰めスポーツ界における上杉謙信と言ったところでしょうか?
この素晴らしい話は中学生の時に、“正々堂々と戦うを旨とする日本人の精神であり、誇りとすべきである”と、先生から教えてもらったことを今でもよく記憶しています。