先日、所用で岡山県笠岡市へ帰郷した際、笠岡市立竹喬(ちっきょう)美術館へ行ってきました。
この美術館は昭和57年10月に開館したもので、笠岡市出身の日本画家 小野竹喬(おの ちっきょう)の作品を中心に2,300点余り所蔵しています。
今日から3回に分けて小野竹喬(おの ちっきょう)の作品の一部をご紹介します。
・笠岡市立竹喬(ちっきょう)美術館です。

小野竹喬(1889~1979)は近現代日本画を代表する日本画家で、14歳から89歳に至る75年間の画業を通して、日本の自然の美しさを描き続けました。
・旭日

竹喬(ちっきょう)の雅号は、明治38年に師事した竹内栖鳳(たけうちせいほう)より「竹橋」を与えられ、後に「竹喬」と改められたそうです。
昭和22年(1947年)には、京都美術専門学校教授に就任し、京都市立芸術大学と改組した後も教鞭を執り、同年には日本芸術院会員になっています。
竹喬は戦後も日本画壇の重鎮として活躍し、昭和43年(1968年)には文化功労者となり、昭和51年(1976年)に文化勲章を受章しています。
・樹と雲

竹喬の作風は、四季の移り変わりや一日における朝から夕への微妙な変化にまで向けられ、描かれた作品からは自然のささやかな息遣いた伝わってくるかのようだと言われています。
・春の空

そして、その繊細な感性によってもたらされる清澄(せいちょう)な世界には、生まれ育った瀬戸内の温暖な気候と、大きく花開いた京都の洗練された芸術風土が強く反映されていると言われています。
・春堤

この美術館は昭和57年10月に開館したもので、笠岡市出身の日本画家 小野竹喬(おの ちっきょう)の作品を中心に2,300点余り所蔵しています。
今日から3回に分けて小野竹喬(おの ちっきょう)の作品の一部をご紹介します。
・笠岡市立竹喬(ちっきょう)美術館です。

小野竹喬(1889~1979)は近現代日本画を代表する日本画家で、14歳から89歳に至る75年間の画業を通して、日本の自然の美しさを描き続けました。
・旭日

竹喬(ちっきょう)の雅号は、明治38年に師事した竹内栖鳳(たけうちせいほう)より「竹橋」を与えられ、後に「竹喬」と改められたそうです。
昭和22年(1947年)には、京都美術専門学校教授に就任し、京都市立芸術大学と改組した後も教鞭を執り、同年には日本芸術院会員になっています。
竹喬は戦後も日本画壇の重鎮として活躍し、昭和43年(1968年)には文化功労者となり、昭和51年(1976年)に文化勲章を受章しています。
・樹と雲

竹喬の作風は、四季の移り変わりや一日における朝から夕への微妙な変化にまで向けられ、描かれた作品からは自然のささやかな息遣いた伝わってくるかのようだと言われています。
・春の空

そして、その繊細な感性によってもたらされる清澄(せいちょう)な世界には、生まれ育った瀬戸内の温暖な気候と、大きく花開いた京都の洗練された芸術風土が強く反映されていると言われています。
・春堤
