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らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

奈良時代の花見は梅

2023-02-23 | 季節

梅の花が満開となってきました。
「梅は百花の魁(さきがけ)」とも言って、その年のどの花よりも早く咲くだけでなく匂いも素晴らしい花です。
別名の「春告草(はるつげぐさ)」、「匂草(においぐさ)」はそこからついた名前と言われています。

「奈良時代の花見」
今では花見と言えば「さくら」ですが、花見の起源を調べると奈良時代に遡り、当時は梅の花を貴族が好んで鑑賞したということです。
何故、梅なのか?
当時、遣唐使が中国・唐から技術や制度、仏教文化などを学び取り日本に持ち帰っていましたが、梅もまた唐から伝来したということで一大ブームとなったようです。
これは、決して桜が好まれていなかったわけではなく、当時の日本人にとって桜は神聖な木として扱われていたことによります。

・紅梅、白梅ともに、今が丁度見ごろとなっています


「サクラの花見の始まり」
しかし、平安時代に入ると、貴族たちは次第に桜を春の花の代表格として愛でるようになりました。
これは、894年の遣唐使の廃止を機に日本人は、中国から伝来した梅ではなく、日本古来の桜に対してより親しみを感じるようになり、桜が「春を象徴する花」になったと考えられています。

「花見の目的」
貴族たちは桜を鑑賞して楽しむ目的で花見をおこなっていましたが、農民は異なる目的で花見をしていたといわれています。
農民にとって春の到来は田畑を育てる始まりの季節であり、春の訪れを告げる花が咲くと、厄を祓う宗教的意味とともに花が愛でられていたのです。
そのなかに桜の木もあり、その下で楽しむことで、神と過ごし五穀豊穣を願ったようです。
現代のような、純粋な楽しみとしての花見が庶民に広まったのは、江戸時代以降だといわれています。

・清楚な白梅は五分咲き程度です。


「サクラの花見の定着」
お花見が民衆の間に文化として定着するのは、江戸時代になってからです。
東京の桜の人気スポット「上野公園」は、3代将軍徳川家光が奈良の吉野山の桜を移植させたことから、桜の有名なスポットとなりました。
その後も徳川政権は民衆が桜を楽しめるように各地に桜を植樹していきました。

昨日の天気予報では今月末からの最高気温は、平年並みか平年を上回る日が続きそうだという事です。
このため、サクラの開花は3月20日前後からと予想されており、あと1か月ほどでお花見が始まりそうです。
お花見が始まれば本格的な春の到来です。
待ち遠しいですね。