らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

虞美人伝説

2023-02-09 | 雑学

立春が過ぎ、暦の上では春になりましたが、まだまだ寒い日が続いています。
しかし、当地では今週から最高気温が平年を上回る日が出始め、春を思わせるような温かさを感じることもあります。
春になればいろいろな草花が咲き乱れ、生命の息吹を感じますが、そんな花の中に「ひなげし」があります。

「ひなげし」と言えば、1972年(昭和47年)11月にリリースしてヒットした曲にアグネス・チャンの「ひなげしの花」がありました。
♪丘の上ひなげしの花で
 うらなうあのひとの心

と歌い出すこの歌はどなたもご記憶にあることと思います。
でも、歌謡曲はご存じでも、植物の「ひなげし」の花は如何でしょうか?

「ひなげしの花」
ひなげしは、ケシ科ケシ属の秋まき一年草です。
原産地はヨーロッパ中部で、日本へは桃山時代に中国を経由して渡来しました。
秋に種を播いて発芽させ、幼苗の状態で冬を越して春の生育期を迎えると、ぐんぐん茎葉を伸ばして5〜6月に開花します。
開花期になるとまっすぐに立ち上げて先端に花径5〜8cmの白、赤、ピンクなどの花を咲かせます。
ひなげしは寒さには強いものの暑さに弱く、日本の暑い夏を乗りきることができずに枯死してしまいます。

「別名:虞美人草」
「ひなげし」は別名を虞美人草(グビジンソウ)といいますが、 これは中国で絶世の美女とされた虞美人に例えたものです。
その虞美人には伝説がありますのでご紹介します。

・ひなげしの花です


「虞美人伝説」
紀元前202年、楚軍の項羽と漢軍の劉邦が長期間戦った、「垓下(がいか)の戦い」があります。
この戦いで敗れた楚軍の項羽は防塁に篭り、漢軍はこれを幾重にも包囲しました。
形勢利あらずと悟った項羽は、別れの宴席を設けました。

項羽はこの戦に虞妃(ぐき)という生涯愛した美しい姫を連れ添ってきており、彼女や愛馬との別れを惜み、宴の席で次のように歌い、自らの悲憤を詠みました。

『力は山を抜き 気は世を覆う          訳:我が力は山をも引き抜き、気は世をも蓋うというのに
 時に利あらずして 騅(すい:愛馬)逝かず     時勢は不利で、騅も進もうとしない。
 騅逝かざるを奈何(いかに)すべき         騅が進まぬことを、我はどうすることもできない。
 虞や虞や若(なんじ)を奈何(いかに)せん』    虞や、虞や、我はそなたをどうすればよいのだろうか。

項羽の歌が終わると、虞姫は剣をとって舞い、舞いつつ項羽の即興詩を繰り返し歌って応えました。
そして、舞いおさめると虞姫は自刃して殉じ、項羽は一陣のつむじ風となって敵軍の中に突っ込みました。
彼女を葬った墓には翌年赤いヒナゲシの美しい花が咲き、人々はこの花を彼女の生まれ変わりと考え、その生涯をはかなんで虞美人草と名づけました。

夏目漱石の小説「虞美人草」でも美貌の女性が毒をあおって自殺します。
花の虞美人草(ひなげし)も暑さに弱く、日本では夏に枯死します。
虞美人は悲しい運命(さだめ)を背負った名称なのですね。