らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

中国地方の旅(その6)山口・サビエル記念聖堂

2010-04-16 | 旅行

中国地方の旅シリーズは昨日の「錦帯橋」から山口県に入っています。
6回目の今日は山口市の「山口サビエル記念聖堂」をご紹介します。

「山口サビエル記念聖堂」は、1952年(昭和27年)にフランシスコ・ザビエルの来訪(山口での布教活動)400年を記念して献堂されたそうです。
しかし、1991年(平成3年)9月に失火で焼失し、その7年後の1998年(平成10年)4月に再建されたものです。

・斬新なデザインの「山口サビエル記念聖堂」です。


新聖堂は「光」、「水」、「テント」を全体のテーマに、高さ53mの2本の塔を配し、正面にはステンドグラスと十字架、屋根が建物全体を覆う神の幕屋(幕を張り巡らした小屋)をイメージしたデザインとなっているそうです。

新しい聖堂の1階はサビエルの足跡と日本のキリスト教の歩みを紹介する記念館に、2階は光と水をテーマにしたステンドグラスが美しい礼拝堂になっています。
塔には9つの鐘がつけられており、それぞれに平和と幸せを告げるメッセージが刻まれ、定刻には山口の街並みに鐘の音を響かせているそうです。

・9つの鐘がつけられている塔です。


宣教師のフランシスコ・ザビエルは1549年(天文18年)に来日し、日本に初めてキリスト教を伝えましたが、そのフランシスコ・ザビエルは、西国一の大大名であった大内義隆を頼って山口を訪れました。
大内義隆はキリスト教に理解を示し、山口に来たフランシスコ・ザビエルに対して宣教の許可を与えると共に宣教師を手厚く保護したと言われています。
このため山口は日本で最初にキリスト教が根付いた地とされています。

フランシスコ・ザビエルは修道士ジョアン・フェルナンデスと毎日2回、山口の大殿小路という通りに出かけ、そこにあった井戸端で集まってくる人々に向かい、要理の書を読んだり、説明したりして布教活動をしていたそうです。
そこにはあらゆる階層の人たちが集まってきて、その数は大変なものだったそうです。

・井戸端で説教するフランシスコ・ザビエルの銅像です。


「大聖年の鐘平和の鐘」
説明書きによれば、この鐘は「キリスト生誕2000年 アジアに平和を祈る 大聖年の鐘」で、ローマのマネリック社によって造られ、ローマの新しい教会に設置されました。そして、姉妹を象徴すべく5つの鐘が5つの大陸に送られました。
アジアの鐘は、1981年2月25日に教皇が広島で平和メッセージを述べたことを記念し、広島教区に送られましたが、ザビエルゆかりの山口に据えられることになったそうです。

・「山口ビエル記念聖堂」前に設置されている「大聖年平和の鐘」です。誰でも自由に鳴らすことができます。


「ルルドの園の「聖母マリア像」の由来
ルルドとは南フランスの巡礼地です。
1858年2月ベルナディック・スピルという14歳の貧しい女の子の前に聖母マリアが何回(18回とも言われています)も現れたました。
その場所は洞窟のような場所で、聖母マリアが現れるとまもなく泉が湧き、多くの人たちが水を飲みにきました。
その中のたくさんの病人たちがその湧き水によって癒されたと言われます。
このようなことから各地に「ルルドの園の聖母マリア像」が建てられるようになったそうです。

・ルルドの園の「聖母マリア像」です。


なお、山口ではビエルのことをビエルと濁らずに呼ぶそうです。このため聖堂の呼び名も「山口ビエル記念聖堂」となっています。