日本人はフランス語を誤解している!・・・と思うけどなあ・・・
フランス語系人のBO-YA-KI
わたしのこたえ
(このエントリー、およびこのエントリーから続きます)
スキヤキ・シンポジウムの最後にみなさんのご質問をいただいたのですが、その最後の方のご質問がたしか、楽しむだけの音楽、あるいは売れ線狙いだけの音楽(つまりメッセージ性のないもの)を認めるか、というような趣旨のものだったかと思います。表現が違っておりましたらごめんなさい。
実はこの質問、スキヤキ大打ち上げの席でキウイ・パパイヤ・マンゴーズ(この名前は中原めいこの名曲から取られたんでしょうか。聞きそびれました)のキウイさんからも聞かれたものなのです。
どちらもわたくしからは中途半端なお答えで終わっていたと思いますので、改めてちょっとしっかり目にお答えします。
音楽ですから、楽しく聴くことになんら問題はないと思います。それがどんな陳腐なものであれ、売れ線狙いの商業的作品であれ、「ほんとうに」(格好つけとかそういうのなしで)その人を楽しませるなら、それが悪いわけはないはずです。
というかそういう、「何がほんとうに好きか」という自らの心の声を的確にとらえ、それに従順に従っていてこそ、感性が磨かれ熟するのだと思います。
不肖わたくしの音楽遍歴を振り返ってみると、いろんなジャンルの愛好期があったことに感慨を覚えます。
だいたい中学1,2年生くらいのときは日本の歌謡曲とか洋楽ポピュラーとかのかなりありきたりの曲を聞いてました。
その時点では「おまえはつまらない曲ばかり聞いている。もう少し真面目なものを聞け」とか他人に言われても弁解の余地がなかったと思います。
でもあるときLed Zeppelinを聞いて一発で圧倒されてしまいまして、そうするとそれまで楽しく聞いていたたくさんの曲の魅力が私の中でいっぺんに色あせ、「軽すぎ」てどうしようもないものになってしまいました。
Zeppelinの愛好は、それまでいろんな曲を聞いていたことで感性が熟し、より高度な音楽が受け入れられるようになっていたから可能だったように思います。
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花
(このエントリーから続きます)
わたくしは8月30日が誕生日なのですが、ある方からFacebookで花束の写真をいただきました。これはほんとに、心からうれしかった。
ほんとにほしいものを人からいただく、ということがわたしには滅多にないので。
単にそれだけ人に好かれてないということなんでしょうが、それよりわたしのほしいものってのがあんまり人にはわかってもらえてないということもあるように思えます。
ときどき「・・・あんたがなに言ってるのか、わかんないよ」と率直に言われてしまうこともあります。
コミュニケーションは難しい・・・というか、そもそも「コミュニケーション」なんてものは「無い」と言えるのかもと思います。
[追記] まあよく考えてみると、ほんとうに欲しいものをいただいてうれしかったことはたくさんありますね。それらの物を私にくださった方々に大変無礼なことを書いてしまいました。ごめんなさい。
でも昨日は、なんとなくそういう気持ちになったのです。2012.09.02.
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