挿絵本


 「藤田嗣治と愛書都市パリ――花ひらく挿絵本の世紀――」(於渋谷区立松濤美術館、9月9日まで。もうすぐ終わりです)。

 このカタログは実際の展示では見られなかったページがかなり図版にしてあるので(さすがに本の全てのページを展示することはできない)、値打ちです。

 挿絵本というのは、本という複製物と絵画という「オリジナル一個だけ」のものの中間的存在だということ、それから文学と絵画の相互作用の場であるということ、二重の意味で交錯の場です。

 話は変わるんですが、ベニヤミンの話から「複製芸術の時代には、作品からオーラが失われる」というところばかり引かれるのはちょっとおかしいと思ってます。
 十九世紀のヨーロッパでもてはやされた「浮世絵」は「版画」であり、つまり複製されてできるものでした。それをヨーロッパの人もよく意識していたはず。
 日本はこのあたりでも非常に「アンチ」だということなんでしょうか。

 藤田はアンコールワットも行ったんですね。この色彩的キュビスムを思わせるようなアンコールワットの絵が、このカタログの中で一番好きです。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

ごんとらん ぱん


 そんでもって渋谷の宮益坂の入口のところに、おふらんすでお人気のぶーらんじぇ、Gontran Cherrierがお店をださはったです。
 シェリエはん、ようまあこんなところへ。借り賃高いやろに。
 そのわりにはパンはそんなに高くもない感じなんですが、これは持ちますやろかね。
 
 この並びというと、わたしは富士そばくらいしか用がないあたりなので、こっち坂のこっち側に人が回ってくる呼び水になったらちょっとおもしろいかもしれませんなあ。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

おふらんち語


 銀座の某通りなんですが、ここには3軒チョコレート店があるんだそうな。
 いまじゃこういうのを、しょこらてぃえ、と言うんだそうな。

 そんでもって、店に入ったら全店員が「ぼんじゅーる」と、おふらんち語で叫ぶんだそうな・・・

 うううフランス語系人としては、想像しただけで背筋がぞーっとするわな。くわばらくわばら・・・
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

おふらんちらんち


 天下の銀座まで出ると、渋谷に戻るまでになんとなく「おふらんち」関係のところをたどった感じになりました。

 まずおランチはおパリでお流行りになっているというRose Bakery銀座店。ここは空いてて、落ち着けるところでした。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

Monsieur Lazhar, Fellag, アラブお笑い


 『ぼくたちのムッシュ・ラザール』Monsieur Lazhar、東京・銀座まで出かけてやっと見ました。
 
 例によって予備知識はほとんど無しで見に行きました。フェラーグが主役やっててアルジェリア人がケベックで先生をやる話、くらいのところを聞いたので、あとは意識的に情報に耳をふさいでおきました。

 これは「移民映画」ではないですね。またケベック州の「地方映画」でもないですね。もっと普遍的なこと、近しいひと、かけがえのないひとの死にどう向き合ったらいいのか、と考える映画です。
 アルジェリアでテロリストによってもたらされた死も(現時点のアルジェリアではもうこんな酷い殺人は横行していないはずというところがひっかかりますが)、先生の立場にある人の心理的な脆さとあらゆるところにハラスメントを見る過保護的制度のもつ非情さとがあいまって到来した痛ましい死も、死には変わりはなく、それがひとびとにもたらす喪失感、罪悪感にも究極的には違いはなかろう、というメッセージがそこにはあると思います。

 こんなことを考えるのはやっぱり例のシンポジウムのふたつのメッセージの形のことが念頭にあるからでしょうか・・・

 映画自体は、異常な事件が次々起こるようなタイプのものではなく、淡々とした物語で、好感がもてました。
 それにしてもフェラーグはうまいなあ・・・

 ところでフェラーグはわたしにとっては、スケッチDjurdjurassique Bledや映画Le Gone du Chaabaで昔からお馴染みの・・・アラブお笑いの第一人者なのですが、なんかこの「アラブお笑い」というジャンルの存在自体あまり日本では意識されないようなので、いつかまとまった紹介ができれば、と思ってます。

 要するにフランス語を使ってアラブ人の視点からのギャグをとばすお笑い系のひとたち、humoristesというのはかなり存在するのですが、そういう人たちがいること自体あまり日本では知られてないと思うんです。

 もちろんわたしだって全てのギャグを理解などできないのでほんの上っ面をなでるだけですが、とにかく「こういうものが存在する」ことだけは伝えておかないといけないと思いますよ。

 しかし、なんというか、「笑い」というのは一番、文化の差異を超えにくいものなんですねー。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )